2003年02月の記事
2003 02/27 22:28
Category : 日記
聖書日課
◆蟻 を 見 よ
『 なまけ者よ。蟻のところへ行き、
そのやり方を見て、知恵を得よ。
蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
夏のうちに食物を確保し、
刈り入れ時に食糧を集める。』 箴言6章6〜8節
日本人は蟻のように働きます。それが現在の富を築いたわけです。
勤勉でよく働く日本人はほめられもしますが、「働きすぎだ」とねたまれてもいます。
ねたまれて悪口をいわれても、やはり、勤勉で働くことが好きな日本人であり続けたいと思います。
健康で、やるべき仕事・働きがあって精いっぱい働けるなら、これはすばらしいことです。
イソップ物語のキリギリスのように歌ってばかりいて働かず、備えをしないでなまけていると大変です。
ところが日本人には、キリギリスよりももっと仕方のないなまけ者で、いざという時の蓄えをせず、だらしがない点があります。
それは「永遠」「永遠のいのち」という点についてです。死が一人一人に迫ってきます。
人生の冬が近づいています。ところが、だれも用意していません。
雪の降るきびしい冬の夜もたきぎがあり暖炉があるなら、「雪の降る夜は楽しいペチカ」です。
しかし、備えがなかったらどうでしょう。私たちは勤勉な蟻から学ばねばなりません。
いま見えないからといって冬は「ない」と思ってはならないのです。
蟻に冬は見えませんが、冬のために備えています。
永遠の世界が見えないから「ない」といってはなりません。
死のかなたに永遠のいのちが、または永遠の滅びが待っているのです。
死のかなたは、完全に神のみが支配する世界です。
神の愛の中で永遠の喜びを味わうか、神の怒りの中で永遠に孤独で過ごすかの選択を、
冬になる前にしなければなりません。
『あなたはあなたの神に会う備えをせよ』アモス書4章12節」
と、聖書はすすめます。
◆蟻 を 見 よ
『 なまけ者よ。蟻のところへ行き、
そのやり方を見て、知恵を得よ。
蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
夏のうちに食物を確保し、
刈り入れ時に食糧を集める。』 箴言6章6〜8節
日本人は蟻のように働きます。それが現在の富を築いたわけです。
勤勉でよく働く日本人はほめられもしますが、「働きすぎだ」とねたまれてもいます。
ねたまれて悪口をいわれても、やはり、勤勉で働くことが好きな日本人であり続けたいと思います。
健康で、やるべき仕事・働きがあって精いっぱい働けるなら、これはすばらしいことです。
イソップ物語のキリギリスのように歌ってばかりいて働かず、備えをしないでなまけていると大変です。
ところが日本人には、キリギリスよりももっと仕方のないなまけ者で、いざという時の蓄えをせず、だらしがない点があります。
それは「永遠」「永遠のいのち」という点についてです。死が一人一人に迫ってきます。
人生の冬が近づいています。ところが、だれも用意していません。
雪の降るきびしい冬の夜もたきぎがあり暖炉があるなら、「雪の降る夜は楽しいペチカ」です。
しかし、備えがなかったらどうでしょう。私たちは勤勉な蟻から学ばねばなりません。
いま見えないからといって冬は「ない」と思ってはならないのです。
蟻に冬は見えませんが、冬のために備えています。
永遠の世界が見えないから「ない」といってはなりません。
死のかなたに永遠のいのちが、または永遠の滅びが待っているのです。
死のかなたは、完全に神のみが支配する世界です。
神の愛の中で永遠の喜びを味わうか、神の怒りの中で永遠に孤独で過ごすかの選択を、
冬になる前にしなければなりません。
『あなたはあなたの神に会う備えをせよ』アモス書4章12節」
と、聖書はすすめます。
2003 02/24 22:50
Category : 日記
聖書日課
◆ わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、
季節にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。 エゼキエル書34章-26節
これは主権者のいつくしみである。
「わたしは……雨を降らせる」と言い得る者が神のほかにだれがあるだろうか。
雲に向かって語り、雨を降らせるように命じることができるのは、ただ神お一人である。
地上に雨を降らせる者はだれか。野菜の上に雨を注ぐ者はだれか。それは主ではないか。
あわれみの神の賜物であり、人の造り得るものではない。
それはまた必要な恵みである。
土地は雨がなけれは、どうすることもできない。
あなたは土くれを砕き、種を蒔く。
しかし雨がなければ、どうだろう。神の祝福はどうしても必要である。
神が豊かな雨を降らし、救いを下されるまでは、あなたはむだな働きをする。
さらにまた、これは豊かな恵みである。
「わたしは……雨を降らせる」とある。
「しずくをこぼす」のではなく「雨を降らせる」のである。
神が祝福を与えられる時には、いつも受けきれないほど多く与えてくださる。
豊かな恵みよ。私たちは謙遜であり続けるため、
祈り深くなるため、また聖潔になるために、豊かな恵みを必要としている。
熱心になるため、生涯救いより離れることのないため、
そしてついに天国に達するために、豊かな恵みが必要である。
さらに、それは時に応じた恵みである。
「わたしは……季節にかなって雨を降らせる。」
あなたの時はどうであろうか。
かんばつの時であろうか。それならば雨を要する時である。
重苦しい黒雲のただよう時であるか。それも雨を要する時である。
「あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」ここにもまた種々の祝福がある。
「それは祝福の雨となる」の雨は複数である。神はあらゆる種類の祝福を送られる。
すべての神の祝福は、黄金のくさりの輪のように群れとして与えられる。
神が回心の恵みを与えられる時には、慰めの恵みも与えられる。
神は「祝福の雨」を送られるのである。
しおれた草木であるあなたは、今日、上を見上げ、
あなたの葉と花を開いて天よりの慈雨を受けなければならない。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
◆ わたしは彼らと、わたしの丘の回りとに祝福を与え、
季節にかなって雨を降らせる。それは祝福の雨となる。 エゼキエル書34章-26節
これは主権者のいつくしみである。
「わたしは……雨を降らせる」と言い得る者が神のほかにだれがあるだろうか。
雲に向かって語り、雨を降らせるように命じることができるのは、ただ神お一人である。
地上に雨を降らせる者はだれか。野菜の上に雨を注ぐ者はだれか。それは主ではないか。
あわれみの神の賜物であり、人の造り得るものではない。
それはまた必要な恵みである。
土地は雨がなけれは、どうすることもできない。
あなたは土くれを砕き、種を蒔く。
しかし雨がなければ、どうだろう。神の祝福はどうしても必要である。
神が豊かな雨を降らし、救いを下されるまでは、あなたはむだな働きをする。
さらにまた、これは豊かな恵みである。
「わたしは……雨を降らせる」とある。
「しずくをこぼす」のではなく「雨を降らせる」のである。
神が祝福を与えられる時には、いつも受けきれないほど多く与えてくださる。
豊かな恵みよ。私たちは謙遜であり続けるため、
祈り深くなるため、また聖潔になるために、豊かな恵みを必要としている。
熱心になるため、生涯救いより離れることのないため、
そしてついに天国に達するために、豊かな恵みが必要である。
さらに、それは時に応じた恵みである。
「わたしは……季節にかなって雨を降らせる。」
あなたの時はどうであろうか。
かんばつの時であろうか。それならば雨を要する時である。
重苦しい黒雲のただよう時であるか。それも雨を要する時である。
「あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」ここにもまた種々の祝福がある。
「それは祝福の雨となる」の雨は複数である。神はあらゆる種類の祝福を送られる。
すべての神の祝福は、黄金のくさりの輪のように群れとして与えられる。
神が回心の恵みを与えられる時には、慰めの恵みも与えられる。
神は「祝福の雨」を送られるのである。
しおれた草木であるあなたは、今日、上を見上げ、
あなたの葉と花を開いて天よりの慈雨を受けなければならない。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
2003 02/21 08:35
Category : 日記
波の音を聞き 潮風に吹かれながら
ひとり静かに祈っていた。
海は いつのまにか潮が満ち 満ち
波も高くなってきた。
ピンク色に染まる南の空を見ていたら
少しずつ、少しずつ 自分を取り戻した。
神さま ありがとう。
ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。
だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。
神は傷つけるが、それを包み、
打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。
神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、
七つ目のわざわいはあなたに触れない。
ヨブ記5章17 〜19節のみことばです。
ひとり静かに祈っていた。
海は いつのまにか潮が満ち 満ち
波も高くなってきた。
ピンク色に染まる南の空を見ていたら
少しずつ、少しずつ 自分を取り戻した。
神さま ありがとう。
ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。
だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。
神は傷つけるが、それを包み、
打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。
神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、
七つ目のわざわいはあなたに触れない。
ヨブ記5章17 〜19節のみことばです。
2003 02/18 21:55
Category : 日記
仕事を終え、帰宅するやいなや、MAILを開きました。
するとどうでしょう。
ウィルスソフトが敏感に反応しました。
件名見ると またもや ”its easy”でした。
【ファイル 「Folder.htt.exe」 には 「W32.Bugbear@mm」 ウィルスが感染していました。
ファイルは Norton AntiVirus によって検疫されました。 Tuesday February 18 2003 19:15】
送り主は全く心当たりのない方でした。
kyouko.wさん あなたのPCはウイルスにやられています。早くやっつけて下さい。
ウイルスMAILは遠慮させて戴きとうございます
するとどうでしょう。
ウィルスソフトが敏感に反応しました。
件名見ると またもや ”its easy”でした。
【ファイル 「Folder.htt.exe」 には 「W32.Bugbear@mm」 ウィルスが感染していました。
ファイルは Norton AntiVirus によって検疫されました。 Tuesday February 18 2003 19:15】
送り主は全く心当たりのない方でした。
kyouko.wさん あなたのPCはウイルスにやられています。早くやっつけて下さい。
ウイルスMAILは遠慮させて戴きとうございます
2003 02/17 22:54
Category : 日記
聖書日課
『 まっすぐに前を見よ 偽りを言う口をあなたから取り除き、
曲がったことを言うくちびるを あなたから切り離せ。
あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。』箴言4章24・25
[私たちからうそ偽りを取り除け。そして、まっすぐ前を見よ。]こういうことです。
なぜ私たちは、ばかげたほどにうそをつくのでしょうか。
偽りは人格をだめにし、いつかそれが割れて人生そのものをだめにするものです。
それなのに、私たちの毎日の生活に、うそ・偽りが多すぎるのはどうしてでしょうか。
私たちが、実は全くいやになるほど自分の利害得失にこだわっているからではありませんか。
人によく思われよう、人よりえらく見られたい、人よりきよいと見てもらいたい、自分のほうがいくらかでも他人より得をしたいと思うので、真実が見えてきません。
自分にとって真実によいことが分かりません。
ほんとうにためになることはこれだと、見分けることができないのです。
「岡目八目」と言われるように、自分の利害得失がからまない第三者には、物事がよく見通せます。
目先の利害得失にとらわれた際限のないエゴエゴの生き方を捨てましょう。
そして、高く遠くまで見ているお方・最終的に善と幸福を与えてくださる神を見つめることです。
人は、後ろ姿が寂しくてはいけません。
自分のことにばかりかまけて、下を向いてトボトボ歩くのはいけません。
神をまっすぐに見て、神が見るとおりに、神が私たちに立てていてくださる人生のご計画を知り、
前方を見つめ、胸を張ってまっすぐに前進したいと思います。
[しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、
そして私のかしらを高く上げてくださる方です。] 詩篇3:3
『 まっすぐに前を見よ 偽りを言う口をあなたから取り除き、
曲がったことを言うくちびるを あなたから切り離せ。
あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。』箴言4章24・25
[私たちからうそ偽りを取り除け。そして、まっすぐ前を見よ。]こういうことです。
なぜ私たちは、ばかげたほどにうそをつくのでしょうか。
偽りは人格をだめにし、いつかそれが割れて人生そのものをだめにするものです。
それなのに、私たちの毎日の生活に、うそ・偽りが多すぎるのはどうしてでしょうか。
私たちが、実は全くいやになるほど自分の利害得失にこだわっているからではありませんか。
人によく思われよう、人よりえらく見られたい、人よりきよいと見てもらいたい、自分のほうがいくらかでも他人より得をしたいと思うので、真実が見えてきません。
自分にとって真実によいことが分かりません。
ほんとうにためになることはこれだと、見分けることができないのです。
「岡目八目」と言われるように、自分の利害得失がからまない第三者には、物事がよく見通せます。
目先の利害得失にとらわれた際限のないエゴエゴの生き方を捨てましょう。
そして、高く遠くまで見ているお方・最終的に善と幸福を与えてくださる神を見つめることです。
人は、後ろ姿が寂しくてはいけません。
自分のことにばかりかまけて、下を向いてトボトボ歩くのはいけません。
神をまっすぐに見て、神が見るとおりに、神が私たちに立てていてくださる人生のご計画を知り、
前方を見つめ、胸を張ってまっすぐに前進したいと思います。
[しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、
そして私のかしらを高く上げてくださる方です。] 詩篇3:3
2003 02/14 21:14
Category : 日記
昨年の2月14日の日記にはどんなことを書いていたのかしら?
と思い立ち 一年前に遡ってみました。
すると、下記のように記されてありましたのでそのまま コピペ致しました。
バレンタイン・デーの由来をご存知でしょうか。
バレンタイン・デー、英語だと「Saint Valentine’s Day」。
つまり「聖バレンタインの日」です。
聖バレンタインとは何かというと、
実は人の名前なんだそうです。
西暦3世紀ごろのこと、戦争続きのローマでは、
若い兵士達が家族や恋人を失うのを恐れ
なかなか戦争に出たがらなかったそうです。
それを知った当時の皇帝クラウディウス2世は、
なんと結婚を禁止する法律を作ってしまいました。
ところが、イタリアのインテラムナ(現在のテラモ)
という町のキリスト教司祭であるバレンチノ
(英語読みだとバレンタイン)は、
かわいそうな兵士達を見かねて内緒で結婚をさせていました。
彼は恋人達の幸せを心から願っていたのです。
しかし、このことがどこからか皇帝の耳に入ってしまいました。
しかも当時のローマでは、キリスト教が迫害されていたのです。
皇帝はバレンチノをローマの宗教に改宗させようとしましたが、
バレンチノはそれを強く拒否しました。そして彼は投獄されてしまったのです。
獄中でも、バレンチノは看守達に対して熱心に神の愛を説きました。
言い伝えですが・・・・・・・・・
看守の中にひとり盲目の娘がおり、バレンチノと恋仲になったそうです。
そしてバレンチノが彼女を想って神に祈りを捧げると、
なんと彼女の目が見えるようになりました。
このことがきっかけで、バレンチノは270年2月14日に処刑されてしまったということです。
彼が死ぬ前に彼女に残した手紙には、「あなたのバレンチノより」
と署名されていたそうです。
バレンタインって決して楽しい日ではなかったんです。
ちょっとだけバレンタインに対する視点が変わってきませんか?
クリスチャンでなくても、バレンタインデートのかわりに
キリスト教会に行ってお祈りを捧げるっていうのも素敵です。
バレンチノが永遠の愛を約束してくれるかもしれません。
チョコレート商戦に巻き込まれるばかりではなく・・・・・・・・ですね。
と思い立ち 一年前に遡ってみました。
すると、下記のように記されてありましたのでそのまま コピペ致しました。
バレンタイン・デーの由来をご存知でしょうか。
バレンタイン・デー、英語だと「Saint Valentine’s Day」。
つまり「聖バレンタインの日」です。
聖バレンタインとは何かというと、
実は人の名前なんだそうです。
西暦3世紀ごろのこと、戦争続きのローマでは、
若い兵士達が家族や恋人を失うのを恐れ
なかなか戦争に出たがらなかったそうです。
それを知った当時の皇帝クラウディウス2世は、
なんと結婚を禁止する法律を作ってしまいました。
ところが、イタリアのインテラムナ(現在のテラモ)
という町のキリスト教司祭であるバレンチノ
(英語読みだとバレンタイン)は、
かわいそうな兵士達を見かねて内緒で結婚をさせていました。
彼は恋人達の幸せを心から願っていたのです。
しかし、このことがどこからか皇帝の耳に入ってしまいました。
しかも当時のローマでは、キリスト教が迫害されていたのです。
皇帝はバレンチノをローマの宗教に改宗させようとしましたが、
バレンチノはそれを強く拒否しました。そして彼は投獄されてしまったのです。
獄中でも、バレンチノは看守達に対して熱心に神の愛を説きました。
言い伝えですが・・・・・・・・・
看守の中にひとり盲目の娘がおり、バレンチノと恋仲になったそうです。
そしてバレンチノが彼女を想って神に祈りを捧げると、
なんと彼女の目が見えるようになりました。
このことがきっかけで、バレンチノは270年2月14日に処刑されてしまったということです。
彼が死ぬ前に彼女に残した手紙には、「あなたのバレンチノより」
と署名されていたそうです。
バレンタインって決して楽しい日ではなかったんです。
ちょっとだけバレンタインに対する視点が変わってきませんか?
クリスチャンでなくても、バレンタインデートのかわりに
キリスト教会に行ってお祈りを捧げるっていうのも素敵です。
バレンチノが永遠の愛を約束してくれるかもしれません。
チョコレート商戦に巻き込まれるばかりではなく・・・・・・・・ですね。
2003 02/13 20:39
Category : 日記
本日の聖書日課
◆それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、
慰めもまたキリストによってあふれているからです。(�Uコリント1−5)
ここに天の調和がある。摂理の支配者が一つのはかりを持っておられる。
一方の皿には神の民の試みが、他方の皿には慰めが入れられている。
試みの皿がほとんどからになった時、慰めの皿も同様にほとんどからになり、試みの皿が満ちている時には、慰めの皿も重くなる。
黒雲がむらがっている時には、光がいつもよりはっきり見える。
日が没し、暴風がやって来ようとしている時、天の船長は乗組員に最も近い所におられる。
私たちが最も落胆している時こそ、聖霊の慰めによって高められることは、なんという祝福であろう。
その理由の一つは、試み自体が慰めを入れる余地を作るからである。
偉大な心は、大いなる悩みによってのみ作られ、悩みのくわは慰めの溜め池を深く掘り下げて、さらに多くの慰めがたたえられる余地を作る。
神が私たちの心に来られ、それがいっぱいであるのをご覧になると、私たちの慰めを砕いてそれをからにされる。
そうして恵みを入れる余地が作られる。
人は謙遜になればなるほど多くの慰めを受ける。
慰めを受けるのに適した状態となるからである。
私たちが悩みの中にいて最も幸福であるもう一つの理由は、私たちが親しく神と相談を始めるからである。
倉が満ちている時には人は神なしに生活し、財布が金ではち切れそうな時には祈りなしに暮らそうとする。
しかし、ヨナのように一度とうごまが取り去られると、私たちは神を求める。
家の中の偶像が取り去られると、私たちは主をあがめないわけにいかなくなる。
谷底から来る叫び声ほど聞こえやすいものはないように、深い試みと苦悩にあるたましいの奥底から来る祈りほど、力強いものはない。
それが私たちを神のみもとへ伴っていき、私たちを幸福にする。
なぜなら、神の近くにあることは幸福だからである。
悩める信者よ、来れ。あなたの重荷のためにいらだってはならない。
なぜなら、それは深いあわれみの来る前ぶれだからである。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
◆それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、
慰めもまたキリストによってあふれているからです。(�Uコリント1−5)
ここに天の調和がある。摂理の支配者が一つのはかりを持っておられる。
一方の皿には神の民の試みが、他方の皿には慰めが入れられている。
試みの皿がほとんどからになった時、慰めの皿も同様にほとんどからになり、試みの皿が満ちている時には、慰めの皿も重くなる。
黒雲がむらがっている時には、光がいつもよりはっきり見える。
日が没し、暴風がやって来ようとしている時、天の船長は乗組員に最も近い所におられる。
私たちが最も落胆している時こそ、聖霊の慰めによって高められることは、なんという祝福であろう。
その理由の一つは、試み自体が慰めを入れる余地を作るからである。
偉大な心は、大いなる悩みによってのみ作られ、悩みのくわは慰めの溜め池を深く掘り下げて、さらに多くの慰めがたたえられる余地を作る。
神が私たちの心に来られ、それがいっぱいであるのをご覧になると、私たちの慰めを砕いてそれをからにされる。
そうして恵みを入れる余地が作られる。
人は謙遜になればなるほど多くの慰めを受ける。
慰めを受けるのに適した状態となるからである。
私たちが悩みの中にいて最も幸福であるもう一つの理由は、私たちが親しく神と相談を始めるからである。
倉が満ちている時には人は神なしに生活し、財布が金ではち切れそうな時には祈りなしに暮らそうとする。
しかし、ヨナのように一度とうごまが取り去られると、私たちは神を求める。
家の中の偶像が取り去られると、私たちは主をあがめないわけにいかなくなる。
谷底から来る叫び声ほど聞こえやすいものはないように、深い試みと苦悩にあるたましいの奥底から来る祈りほど、力強いものはない。
それが私たちを神のみもとへ伴っていき、私たちを幸福にする。
なぜなら、神の近くにあることは幸福だからである。
悩める信者よ、来れ。あなたの重荷のためにいらだってはならない。
なぜなら、それは深いあわれみの来る前ぶれだからである。
◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より
2003 02/09 21:50
Category : 日記
本日の聖書日課
◆私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6-13)
祈りの中に、「求めなさい」「避けなさい」と教えられていることは、私たちの行動においても、実際に追求し、また回避しなければならないことである。
それゆえ私たちは努めて誘惑を避け、注意深く服従の道を歩み、悪魔をつついてかえって誘惑されることの決してないように、注意しなければならない。
獅子を求めてわざわざ茂みの中に入るべきではない。かえってひどい目に会うだろう。
この獅子は私たちの道を横切るか、茂みの中から襲いかかるかするかもしれない。
しかし、こちらから獅子を狩り出すようなことはすべきではない。
自分から挑みかかって勝ちを得るにしても、それは容易な戦いではないことを知るであろう。
友よ。私たちは誘惑に会わないように祈ろうではないか。
誘惑の意味を知り抜いておられた私たちの主は、
「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と、弟子たちを熱心に訓戒された。
しかし、誘惑を避けるために最善を尽くしても誘惑は来る。
したがって「私たちを悪からお救いください」という祈りがある。
神には罪のないひとり子がおられる。しかし誘惑に会わない子どもは一人ももっておられない。
クリスチャンも、たしかに誘惑を免れることはできない。
私たちは常にサタンを警戒しなければならない。
なぜなら、サタンは盗人のようにひそかに来るからである。
サタンに悩まされた経験をもつ信者よ、覚えよ。
ある季節に寒風の吹きすさぶことが予想されるように、サタンの攻撃が予想される時期のあることを……。
クリスチャンは危険を恐れて厳重に警戒するのである。
備えがあるなら危険は避けることができる。予防は治療にまさる。
悪魔と戦って苦しむよりも(その結果悪魔に対して勝利を得るにしても)、悪魔から攻撃されないように武装をかためるほうがはるかによい。
今夜、まず、誘惑が来ないように祈りなさい。そして次に、もし誘惑に会っても、悪から救い出されるように祈りなさい。
◆Charles Haddon Spurgeon
◆私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6-13)
祈りの中に、「求めなさい」「避けなさい」と教えられていることは、私たちの行動においても、実際に追求し、また回避しなければならないことである。
それゆえ私たちは努めて誘惑を避け、注意深く服従の道を歩み、悪魔をつついてかえって誘惑されることの決してないように、注意しなければならない。
獅子を求めてわざわざ茂みの中に入るべきではない。かえってひどい目に会うだろう。
この獅子は私たちの道を横切るか、茂みの中から襲いかかるかするかもしれない。
しかし、こちらから獅子を狩り出すようなことはすべきではない。
自分から挑みかかって勝ちを得るにしても、それは容易な戦いではないことを知るであろう。
友よ。私たちは誘惑に会わないように祈ろうではないか。
誘惑の意味を知り抜いておられた私たちの主は、
「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と、弟子たちを熱心に訓戒された。
しかし、誘惑を避けるために最善を尽くしても誘惑は来る。
したがって「私たちを悪からお救いください」という祈りがある。
神には罪のないひとり子がおられる。しかし誘惑に会わない子どもは一人ももっておられない。
クリスチャンも、たしかに誘惑を免れることはできない。
私たちは常にサタンを警戒しなければならない。
なぜなら、サタンは盗人のようにひそかに来るからである。
サタンに悩まされた経験をもつ信者よ、覚えよ。
ある季節に寒風の吹きすさぶことが予想されるように、サタンの攻撃が予想される時期のあることを……。
クリスチャンは危険を恐れて厳重に警戒するのである。
備えがあるなら危険は避けることができる。予防は治療にまさる。
悪魔と戦って苦しむよりも(その結果悪魔に対して勝利を得るにしても)、悪魔から攻撃されないように武装をかためるほうがはるかによい。
今夜、まず、誘惑が来ないように祈りなさい。そして次に、もし誘惑に会っても、悪から救い出されるように祈りなさい。
◆Charles Haddon Spurgeon
2003 02/06 21:57
Category : 日記
現在 辻仁成「サヨナライツカ」を読みつつ・・・・どうも集中して読めなくて、読みかけ。
で、禁断の小説 遠藤周作著 「死海のほとり」
を読み出しました。
なぜ、禁断か?というと、
『死海のほとりを小説として読むのであれば
良いけれど、信仰書として読むと、非常に危険で、これは、正統的なキリスト教観ではなくて、
一時流行したリベラルな考え方で・・・・』
といつも牧師先生が説教で語られるからです。
そういえば、O兄弟も、証しの中で「死海のほとり」については、同じような感想を述べられてました。
いけない、いけないと言われると、好奇心旺盛な私としては、やっぱり一度読んでみようと思ってしまうわけで・・・・・。
ただ、あまり印象が強くて 聖書よりも脳裏に焼きついてしまったらどうしようかしら。
そんなことも考えながら 恐る恐る読み出しました。
今夜はこれに没頭しようと思います。Diaryはこれにて、おしまいにします。
で、禁断の小説 遠藤周作著 「死海のほとり」
を読み出しました。
なぜ、禁断か?というと、
『死海のほとりを小説として読むのであれば
良いけれど、信仰書として読むと、非常に危険で、これは、正統的なキリスト教観ではなくて、
一時流行したリベラルな考え方で・・・・』
といつも牧師先生が説教で語られるからです。
そういえば、O兄弟も、証しの中で「死海のほとり」については、同じような感想を述べられてました。
いけない、いけないと言われると、好奇心旺盛な私としては、やっぱり一度読んでみようと思ってしまうわけで・・・・・。
ただ、あまり印象が強くて 聖書よりも脳裏に焼きついてしまったらどうしようかしら。
そんなことも考えながら 恐る恐る読み出しました。
今夜はこれに没頭しようと思います。Diaryはこれにて、おしまいにします。
2003 02/04 21:57
Category : 日記
今月号の「百万人の福音」に、
大好きな若谷さんの詩が掲載されてありましたので、転載いたしました。
母の粉雪
母の胸の内には
さらさらと
雪が降っているのでしょう
ひっそりと白い道が一本
母はそこをひとり歩いて
思い出の中へ
帰っていくのでしょう
母の胸に雪が降るたび
母は可愛く幼くなって
細い首を
こけしみたいに振るのでしょう
ああ暖かくひそやかに
雪よつもれ
母の胸に
引き返せない白い道を
母の姿が小さくなる
--+ 若谷 和子 +--
大好きな若谷さんの詩が掲載されてありましたので、転載いたしました。
母の粉雪
母の胸の内には
さらさらと
雪が降っているのでしょう
ひっそりと白い道が一本
母はそこをひとり歩いて
思い出の中へ
帰っていくのでしょう
母の胸に雪が降るたび
母は可愛く幼くなって
細い首を
こけしみたいに振るのでしょう
ああ暖かくひそやかに
雪よつもれ
母の胸に
引き返せない白い道を
母の姿が小さくなる
--+ 若谷 和子 +--
2003 02/02 16:29
Category : 日記
月が改まると ”うん、頑張ろう ”という想いになります。
月末は なんだかいつも疲れていて ゆとりが無い状態だから。。。。
月初めは とても心が開放されていて なんでも出来そうな気さえしてきます。
2月は楽しみが いっぱいあります。
楽しみというか、記念日ラッシュなのです。
これも、自分だけの記念日でして・・・非常に私的なものなのですけど。
列挙させていただくと
・2月3日は 三男の誕生日
・2月13日は結婚記念日
・2月17日は孫の誕生日
・2月28日は私の誕生日
こんな感じでしょうか。
今日はなんか、ほんわか和み気分。
夕べのへこみ心はどっかに飛んでいってしまったようです。
礼拝をお献げし 喜びに満たされているからでしょう。
お天気もいいし、ゆうげのお買い物にでも行くことに致しましょう。
月末は なんだかいつも疲れていて ゆとりが無い状態だから。。。。
月初めは とても心が開放されていて なんでも出来そうな気さえしてきます。
2月は楽しみが いっぱいあります。
楽しみというか、記念日ラッシュなのです。
これも、自分だけの記念日でして・・・非常に私的なものなのですけど。
列挙させていただくと
・2月3日は 三男の誕生日
・2月13日は結婚記念日
・2月17日は孫の誕生日
・2月28日は私の誕生日
こんな感じでしょうか。
今日はなんか、ほんわか和み気分。
夕べのへこみ心はどっかに飛んでいってしまったようです。
礼拝をお献げし 喜びに満たされているからでしょう。
お天気もいいし、ゆうげのお買い物にでも行くことに致しましょう。