2003年03月の記事


3月29日(土) 晴れ
聖書日課

◆知恵を増すには・・・・・・

「 知恵のある者に与えよ。
彼はますます知恵を得よう。
正しい者を教えよ。
彼は理解を深めよう。」      箴言9章9節

人生の力である神の知恵を、どうしたら着実に増し加えることができるでしょう。
ここに、その秘密が述べられています。
不思議なことに、神は、知恵のある者によりいっそう知恵を与えられます。
ある者はどんどん成長します。同じことをイエスさまも言われました。

「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、
持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです」(マタイ25-29)

これは、どういうことなのでしょう。
ある時、宴会に行きました。私は水飲みなので、コップの水をすぐ飲んでしまいます。
するとボーイさんが目ざとく見つけて、ついでいきます。
また、からっぽにすると、またついでいってくれるのです。これではないでしょうか。

「神さま、私はどこまでも愚かです。知恵も力もありません」

と、からっぽになって神の前に出ます。すると神は、上から新しい知恵を注ぎ入れてくださいます。
神の前に、素直に出てごらんなさい。
自分の実情をかくさず、裸になって、悔い改めて出てごらんなさい。
神は注ぎこんでくださるのです。

アウグスティヌスは、悔い改めについてこう言いました。

「神の目の高さから自分自身を見ることである。」

つまり、神の目から自分を見るというのです。

「こんな私をも神は愛し、こんな自分のためにイエス・キリストを地上にくだしてくださった。
イエス・キリストは、こんな私のために十字架についてくださった」

と知るその時、神の真実の知恵が与えられます。そして、神への理解が深まっていくのです。
祝福は、神を知る者の上に増し加わります。

今日の知恵 明日の知恵より


恵み深い天のお父様、感謝いたします。
自分は知恵のない愚かな者でであるのに、しばしば あなた様から知恵を頂くことを忘れて
自分の力で何とかしようと思ってしまいます。
どうぞ、神様の視点で 自分を見、己が何者であるかをいつも覚えることが出来ますように。
どうぞ、あなたのこどもにふさわしい知恵を与えて下さい。
この感謝、願いを われらの主 イエス・キリストさまの御名によってお祈りします。
コメント (0)

3月26日(火) 晴れ 
◆父の喜び・母の悲しみ

ソロモンの箴言
「知恵のある子は父を喜ばせ、
愚かな子は母の悲しみである。」  箴言10章-1

あるご夫婦から、待ちこがれた最初の赤ちゃんが生まれた喜びの手紙をいただきました。
それは、「子どもが生まれると親も生まれます。
今までは夫婦でしたが、これからは両親になりました」
という喜びいっぱいのあいさつでした。
この気持ちはよーく分かります。子についての親の喜びや悲しみは、純粋だと思います。
親は子どもについて、いろいろな希望をいだきます。
「えらくなってほしい」「美しくあってほしい」「よい学校へあがってほしい」
「自分の仕事をついでほしい」など、限りがありません。
しかし、ぎりぎりに煮つめると、わが子が健康で、まっとうな子であってほしいと願います。
生まれる何か月も前には、「男がほしい」「いや女がほしい」、
あるいは「鼻の高い子がほしい」「目のぱっちりした子がいい」なんて言います。
しかし親は、根本的に、わが子が正しいきよい子になってほしいと思っているのではないでしょうか。
正しい人になるために、人は神を知らねばなりません。
きよい生活をするために、人は神が心の中まで見ておられることを悟らなければなりません。
神を知っていると、どんな時にも、病気になったり貧しくなっても、勇気をもってまっすぐ歩くことができるのです。
親が子どものことで心から喜ぼうとするなら、親も子も神を知るべきです。
子どもを教会の日曜学校にやり、自分も出席しているうち、一家そろって神を知るようになり、喜びに満ちているご家庭があります。


photo by M's
by 今日の知恵 明日の知恵
コメント (0)

3月23日(日)晴れのちくもり
今日の聖書日課
時にかなった聖書の箇所です。新たな思いを持って心に蓄えました。


◆『平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。』マタイ5章9節

これは、山上の説教の第七番目の幸いである。へブル人の考えによれば、七は完全数である。
救い主が平和をつくり出す者を幸いのリストの七番目に置かれたのは、平和をつくり出す者がキリストにある完全な人に最も近いからではないか。
この地上で受け得る限りの完全な祝福を得ようとする者は、この第七の祝福に達し、平和をつくり出す者とならなければならない。

この聖句が置かれている場所にも深い意味がある。
この句の前の節は、心のきよい者たちの祝福について、
「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです」と述べている。
これによれば、私たちはまずきよくなり、その後平和をつくり出す者になると解釈することができる。
私たちの平和は、決して罪を容認するのでも、また悪を大目に見るのでもない。
私たちは、神とその聖潔に反対する一切のものに対して心を動かしてはならない。
私たちのたましいがきよめられて初めて、平和を得ることができる。
次に来る節も、理由があってそこに置かれたように思われる。
この世にあって、私たちはどんなに平和であっても誤解を受ける。だが驚くには当たらない。
平和の君すら、その平和のために地上に火を投じられたからである。
主ご自身が、人類を愛し、いささかも悪をなさらなかったのに、
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」とある。
心の平和な者が敵に会った時にも驚かないために、次に
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」
とつけ加えられている。
このように、「平和をつくる者は幸いです」と宣言されているばかりか、その前後が祝福をもって取り囲まれている。

主よ。この七番目の幸いに登る恵みを与えてください。
私たちがまずきよくなり、そして平和をつくる者となるために、心をきよくしてください。
そしてあなたのために私たちが迫害された時、私たちの平和が臆病と失望に追われることがないように、たましいを強くしてください。

主の御名によってお祈りいたします。
コメント (0)

3月20日(木) 晴れ
とうとう最悪の事態を迎えてしまいました。恐れていた開戦です。
今夜は報道番組を見ていましたが、なんとも言葉になりません。
人間の愚かさをこれでもか、これでもかと突きつけられているような気さえします。
12年前の湾岸戦争と比較しながらTVニュースは報道していましたが、当時と状況はかなり違っているのだなぁと感じました。
湾岸戦争時は国連事務総長が(仲介者として)フセイン大統領の所に赴き 開戦前の話し合いがなされていたのですが、今回は全く国連は出番なし・・・・・で、無視された形でした。
アメリカの強行姿勢がはっきりと読み取れるのです。
国際法違反をかなり犯していることは明々白々ですし・・・・・。
軍事力も湾岸戦争の時と比べ物にならないほどイラクは弱体化しているのだと伝えられています。
アメリカの一極支配の脅威を凄く感じてしまう。だれもアメリカにものを言えない・・・・
これでは国際社会の均衡を保つことはかなり難しい。
こうして開戦してしまったのなら、出来るだけ短期の終結を、罪のない市民の被害が最小限に抑えられるようにと、心から祈ります。

ブッシュ大統領演説の最後に添えられたことば「わが国に神のご加護があるように・・・・」
あの祈りは主のみ心にかなった祈りとはかなりかけ離れたものであると思いました。
このことに関しても神さまはご計画をもっておられ、全てを働かせて益として下さることを私は信じています。



だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず
すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、
すべての人と平和を保ちなさい。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。
神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。
わたしが報いをする、と主は言われる。」

ローマ人への手紙12章17〜19節
コメント (0)

3月16日(日) 雨
窓の外に目をやれば今日も雨が降っています。
三寒四温というように こうして少しずつ暖かくなって季節が変わっていくのでしょう。
2月が暖かかっただけに3月中旬にしては 肌寒い、そんな気がします。

午前中 聖日礼拝をお献げし、恵みを覚え、平安を与えられて・・・・・
こうして帰宅後ソファにもたれ過ごす時間、至福の時です。感謝。

本日の礼拝説教は 出エジプト記から モーセの十戎 の第一の戒め
『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない』
この箇所から み言葉を取りついで戴きました。

日本人の宗教観からすると、キリスト教は排他的で独善的である。
ということになるそうなのですが・・・・・・。
しかし、信仰さえあればその対象はなんでも良いのでしょうか。
行きつくところは皆、同じ・・・・本当にそうなのでしょうか。

神さまは 
『わたしのほかに、ほかの神々があってはならない』
と私たち人間に命令されているのです。
創造主なる神さまからの絶対的な命令です。
詳しくは 後日 Gospelにアップいたします。

なぜ後ほどなのかと言うのは なにを隠そうTVで小田和正のライブ放映中なのです。
今見入っているところでして もうそろそろフィナーレが近づいてきました。
コメント (0)

3月15日(土) 雨のちくもり
朝祈る前に


朝祈る前に 夜寝る前に

神は愛なり 神は愛なりと

心の中で となえてみよう


涙ぐむ人に うなだれる人に

神は愛なり 神は愛なりと

祈りをこめて 話しかけよう


苦しみの夜に 悲しみの時に

神は愛なり 神は愛なりと

まぶたをとじて 思いめぐらそう



御恵みによりて 集ったならば

神は愛なり 神は愛なりと

声を合わせて 賛美しよう


-+ 水野 源三 +-

「わが恵み汝に足れり」詩集より
コメント (0)

3月13日(木)曇りのち雨
今夜の聖書日課

『聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。』ティモテ第�U3章16節

人間の知恵の産物ではなくまぎれもない神のことばである聖書を、
本当に魂の糧としていつも食しているか。
ここには世界に対する神の計画と人の救いについて
神が伝えたいと思っておられるすべてが書かれているのに。
私たちはこれによって何が真理で、何が悪かが分かり、
毎日の生活をまっすぐにし、正しいことを行う力が与えられるのだ。
それだけではない。地上には無く天にのみある恵みが与えられるのだ。

戸外で聖書を広げてある人は言う

「やりきれぬ暑さのために、見渡す野原も、見下ろす町並みも、気息を衰えさせる時、
神のみことばの陰にあるものは、上よりのいのちを持って元気づけられる。

頭上の枝葉が囁き歌うように、ありとあらゆるすべての事物に関する新しい霊的な意味を
微妙に奏でて楽しませてくれるものは、このひざの上の神のことばだ。」

あーっ、ここまで味わいたいものです。

---+ ラブスターフィールド +---
コメント (0)

詩篇55編
コメント (0)

3月9日(日) 晴れ
先週の聖日は旅先の教会で礼拝を守りました。
初めての教会ではとても緊張するし、色々かってが違って戸惑うこともありますが、同じ信仰に立ち、主にあって一つであることを感じ心からなる礼拝をお捧げいたしました。
早朝礼拝・礼拝・サンセット礼拝と英語礼拝、
聖日礼拝が4回捧げられていることは凄い。メイン礼拝出席人数も100名と多いですね。
私は10:30からのメイン礼拝に出席。聖餐式にも与り感謝でした。ただ、聖餐式に誰でも与れる・・・・洗礼を受けていなくてもというのには正直言って驚きました。

他の教会に出かけていくと自分の属する教会の素晴らしさが改めて分かり 神さまは私に一番善しとする群れを備えていて下さっているのだと思いました。神さまのなさることは本当に素晴らしい。
 
『あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、
また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、
父があなたがたにお与えになるためです。』 ヨハネの福音書15章16節
 
奇しくも礼拝説教の箇所は使徒3章から 「選民の光栄と責任」と題してでした。

異邦人である私が、イエスさまの十字架の贖いによって、新しい契約により救いに与ったこと
このことは、私が母の胎内で形造られる以前から定まっており 神様によって選ばれていたのです。
と聖書には記されいます。
本当に何も良いところの無い 罪人に過ぎない私が・・・・・と思うと感謝と喜びでいっぱいになります。神さまありがとう。

3/2の礼拝説教はGospelにアップしてあります。
コメント (0)

3月10日(月) くもり時々晴れ
今日の聖書日課 

◆『女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです。』 ヨブ記14章1節

今夜眠りにつく前に、この悲しむべき事実を思い起こすことは、私たちにとって益となろう。
なぜなら、それは私たちをこの世のことから解き放つからである。
私たちが逆境にあることを思うのは、楽しいことではない。
しかしそれは私たちをへりくだらせ、詩篇作者のように、
「私の山は堅く立つ。私は決してゆるがされない」
と叫んで誇ることをさせず、また私たちをこの地上に恋々とさせることもしない。
私たちは、ほどなくこの地上から天の花園に移される。
私たちは、自分が弱い器であり、器の中に一時的な恵みを盛っているにすぎないことを思い起こそう。
もし、この地上の木がすべてきこりの斧にねらわれていることを思うなら、
やすやすとその上に巣を作ろうとはしないであろう。
私たちはこの地上の人々を愛さなければならない。
しかし、それは死を前提とし、死刑を予想しての愛である。
私たちの親しい家族も、天来の預かりものにすぎない。
預け主に返すべき時は、目前に迫っているかもしれない。
私たちの地上の財産についても、これと同様である。富は翼を生じて飛び去るのではなかろうか。
私たちの健康もまた不安定なものである。かよわい野の花が永遠に咲くと思ってはならない。
私たちは弱くなる時も、また病に伏す時もある。
その時、熱心に活動することではなく、苦しむことによって神の栄光をたたえなければならない。
私たちの人生は短いが、悲しみから守られている日は一日としてない。
人の一生は、苦い酒を満たしたたるである。その中に喜びを訪ねようとする者は、
むしろ塩辛い大洋の中に蜜を探したほうがよい。
愛する友よ。あなたの愛情を地のものにつながず、上にあるものを求めよ。
なぜなら、この地上では虫が食い、盗人らが押し入って、盗み出すが、
天上ではすべての喜びが永遠に続くからである。
私たちの歩む苦難の道は、私たちの故郷である天国へ帰る道である。

主よ。この思いを、多くの疲れた人々の頭を支える枕としてください。

◆Charles Haddon Spurgeon著 「夕ごとに」より

Charles Haddon Spurgeon
1834-1892年
イギリスの著名なバプテスト派説教者。
コメント (0)

3月8日(土) くもり
聖書日課

◆真実のない愛

『さあ、私たちは朝になるまで、
愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。
夫は家にいません。
遠くへ旅に出ていますから。』   箴言7章18―19節

何という絵のような情景描写でしょう。聖書は、現実を知らない学者が書いたものではありません。
聖書は、現実を知り、ちまたの実際の出来事を見通しているお方が書いた本です。
この世には耳を傾けるなら、神の声が満ちています。
花も鳥も星も、神を語り、私たち一人一人の良心も、神の細き声を語りかけ、
聖書は、はっきりと神のみこころを伝えます。
しかしこの世には悪魔の声も満ちています。
この悪魔の甘いささやきの中心は、他の何もかも無視して、欲望に酔いしれて楽しめということです。
性欲という欲望は、神が備えてくださった最もうるわしいものの一つです。
男と女が引き合い、愛が生まれ、愛が育ちます。
男と女が引き合わなかったら、この世はどれほど砂漠のようだったことでしょう。
しかし、神のみこころという枠をはずれて、欲望第一主義に走ってごらんなさい。
欲におぼれてごらんなさい。
食欲なら、食べすぎて体を壊し、太りすぎて早死にするでしょう。
遊びすぎては、貧しくなり不健康になります。性欲の野放しは、家庭を壊し、個人をだめにし、人間関係をめちゃめちゃにします。
憎み合い軽蔑し合い傷つけ合う様は、人間の没落がここにあるという感じがします。
性欲という欲望は、神のデザインされた結婚というみこころの枠の中で楽しむべきなのです。

聖書は、
「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。
なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」
(ヘブル人への手紙13章4節)と、警告しています。
コメント (0)