2004年01月の記事
2004 01/31 16:48
Category : 日記
聖書日課
◆アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。
(�Uサムエル記18:23)
どこでも走りさえすれば、早く目的地に着くというのではない。
私たちが選ぶ道の上には多くの障害がある。
丘を登り谷を下る迅速な足は、平地をゆっくり歩く旅人に及ばない。
私の霊の旅はどうだろう。
労苦を重ねて自らの行いという丘に登り、屈辱と自己の決断の谷に下ってはいないだろうか。
それとも私は、「信じて、生きよ」との平坦な道を走っているだろうか。
信仰によって主にお仕えすることは、なんと幸いなことか。
たましいは信仰の道を疲れることなく走り、くじけることなく歩むのである。
キリスト・イエスはいのちの道であられる。
主は平坦な道であり、楽しい道であり、罪におののく人々のよろめく足や弱いひざにもふさわしい道である。
私はこの道を見いだしているであろうか。それとも、宗教家や学者が約束するような他の小道を捜し回っているのであろうか。
聖なる大道は、そこを通る人がたとえ愚かであっても、迷うことのない道だと記されているのを私は読んだ。
私は学問の高慢から救われているだろうか。そして、幼児のようにイエスの愛と血潮の中に憩う者とされているだろうか。
それなら、他の道を選んでいる最も強い走り手をも神の恵みによって追い抜くであろう。
この真理を覚えて、日ごとの関心や必要において益としたい。
友の間を駆け回るよりも、すぐに神のみもとに行くのが、私にとって最も賢明な道である。
主は私の乏しさを知り、そこから私を助け出すことができるお方である。
私は率直な祈りをもって神に嘆願し、神の明白な約束に基づいて求める。
「まっすぐ走るのが最高の走り手である。」
私はしもべたちと口論しないで、まっすぐに主人のもとに行く。
この箇所を読んで気づくことは、もし人が些細な問題で争っているならば、他の者に追い越されるということである。
私は真剣に走らなければならない。
主よ。私が心を引き締め、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走ることができるよう助けてください。
◆アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。
(�Uサムエル記18:23)
どこでも走りさえすれば、早く目的地に着くというのではない。
私たちが選ぶ道の上には多くの障害がある。
丘を登り谷を下る迅速な足は、平地をゆっくり歩く旅人に及ばない。
私の霊の旅はどうだろう。
労苦を重ねて自らの行いという丘に登り、屈辱と自己の決断の谷に下ってはいないだろうか。
それとも私は、「信じて、生きよ」との平坦な道を走っているだろうか。
信仰によって主にお仕えすることは、なんと幸いなことか。
たましいは信仰の道を疲れることなく走り、くじけることなく歩むのである。
キリスト・イエスはいのちの道であられる。
主は平坦な道であり、楽しい道であり、罪におののく人々のよろめく足や弱いひざにもふさわしい道である。
私はこの道を見いだしているであろうか。それとも、宗教家や学者が約束するような他の小道を捜し回っているのであろうか。
聖なる大道は、そこを通る人がたとえ愚かであっても、迷うことのない道だと記されているのを私は読んだ。
私は学問の高慢から救われているだろうか。そして、幼児のようにイエスの愛と血潮の中に憩う者とされているだろうか。
それなら、他の道を選んでいる最も強い走り手をも神の恵みによって追い抜くであろう。
この真理を覚えて、日ごとの関心や必要において益としたい。
友の間を駆け回るよりも、すぐに神のみもとに行くのが、私にとって最も賢明な道である。
主は私の乏しさを知り、そこから私を助け出すことができるお方である。
私は率直な祈りをもって神に嘆願し、神の明白な約束に基づいて求める。
「まっすぐ走るのが最高の走り手である。」
私はしもべたちと口論しないで、まっすぐに主人のもとに行く。
この箇所を読んで気づくことは、もし人が些細な問題で争っているならば、他の者に追い越されるということである。
私は真剣に走らなければならない。
主よ。私が心を引き締め、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走ることができるよう助けてください。
2004 01/29 20:04
Category : 日記
くる日も
くる日もあたらしくあれ
だが
たんじゅんなることの
たえざるくりかえし
みじかきことばの
にちにちのくりかえしをもおそれるな
+ 八木 重吉 +
くる日もあたらしくあれ
だが
たんじゅんなることの
たえざるくりかえし
みじかきことばの
にちにちのくりかえしをもおそれるな
+ 八木 重吉 +
2004 01/26 22:31
Category : 日記
聖書日課
◆主をあがめる生活
『あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、
あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。』箴言9章9〜10
「あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」
いかにもユダヤ的表現です。
しかし「あなたの心が、愛される喜びで満ち、あなたの心から愛する力があふれる」
と言い換えるなら、これこそ健康な生き方そのものではありませんか。
「そうすれば、あなたの倉は……」、いったいどうすれば、そんなに満ち足りた健康な生き方ができるのでしょう。
「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ」そうすれば、……なのです。
このことを、神がおさい銭を要求していると考えないでください。
そう考える私たちの考えがさもしいのです。
今の高校生がお母さんに言うことばが三つある、いや三つだけしかないということを聞きます。
「お母さん、お金!」「お母さん、メシ」「ウルセエ」。
しかしこれこそ、現代の人間関係の姿を象徴していると思います。
みんなが、カネ、メシ、ウルセエでやっていませんか。
神に対してもそうです。お金がもうかりますように、自分の商売だけ繁盛しますように、安全でありますようにとは祈ります。
けれども、神の言われることばには聞く耳を持たず、ウルセエです。寂しいむなしいエゴイズムです。
あなたの財産・あなたの収入・あなたの持っているもの、その中に一つでも神から与えられなかったものがありますか。
頭がよくて努力したから私のものになったと言うでしょうか。
しかし、その頭のよさ・その努力できる力はどこから来ましたか。
神に初物をささげ、賛美をささげ、感謝をささげているうちに豊かに満たされてきます。
これこそ満ち足りた健康な力強い生き方です。
羽鳥明著「今日の知恵、明日の知恵」
私たちは今与えられている全てのものが、主から頂いたものであることを覚え感謝いたします。
ひとつひとつの恵みを覚え、数え、主を賛美し、主に感謝を捧げる者とさせてください。
私は生まれ出でた時、何一つ持ってこなかったし、またこの世を去るときも何も持っていけないということ、私の全てはあなた様の御手の中にあるということをも、忘れることがありませんように。
◆主をあがめる生活
『あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、
あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。』箴言9章9〜10
「あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」
いかにもユダヤ的表現です。
しかし「あなたの心が、愛される喜びで満ち、あなたの心から愛する力があふれる」
と言い換えるなら、これこそ健康な生き方そのものではありませんか。
「そうすれば、あなたの倉は……」、いったいどうすれば、そんなに満ち足りた健康な生き方ができるのでしょう。
「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ」そうすれば、……なのです。
このことを、神がおさい銭を要求していると考えないでください。
そう考える私たちの考えがさもしいのです。
今の高校生がお母さんに言うことばが三つある、いや三つだけしかないということを聞きます。
「お母さん、お金!」「お母さん、メシ」「ウルセエ」。
しかしこれこそ、現代の人間関係の姿を象徴していると思います。
みんなが、カネ、メシ、ウルセエでやっていませんか。
神に対してもそうです。お金がもうかりますように、自分の商売だけ繁盛しますように、安全でありますようにとは祈ります。
けれども、神の言われることばには聞く耳を持たず、ウルセエです。寂しいむなしいエゴイズムです。
あなたの財産・あなたの収入・あなたの持っているもの、その中に一つでも神から与えられなかったものがありますか。
頭がよくて努力したから私のものになったと言うでしょうか。
しかし、その頭のよさ・その努力できる力はどこから来ましたか。
神に初物をささげ、賛美をささげ、感謝をささげているうちに豊かに満たされてきます。
これこそ満ち足りた健康な力強い生き方です。
羽鳥明著「今日の知恵、明日の知恵」
私たちは今与えられている全てのものが、主から頂いたものであることを覚え感謝いたします。
ひとつひとつの恵みを覚え、数え、主を賛美し、主に感謝を捧げる者とさせてください。
私は生まれ出でた時、何一つ持ってこなかったし、またこの世を去るときも何も持っていけないということ、私の全てはあなた様の御手の中にあるということをも、忘れることがありませんように。
2004 01/25 23:56
Category : 日記
すっかり、怠け癖がついてしまって、更新をサボってました。さて、久しぶりに更新しましょう。
バイブルクラスの学びはヤコブ書5章13〜16
『 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
あなたがたのうちに病気の人がいますか。
その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。
また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。』
義人の祈り
私たちは問題が起こった時、どのようにするでしょうか。
心配し、後悔し、恨みつらみをいい、愚痴をこぼし、感情に流されるのではないでしょうか。
『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』ピリピ書4:6
いつも、神さまと心が向き合っていないからなのです。
たえず、向き合っていなさいと聖書は教えます。
●先ず 祈りなさい。
優先順位の第�Tに、心配したり、後悔したり、憎んだりしないで祈りなさい。
●賛美しなさい。
私たちは成功した時、自己賛美に陥りやすいものです。
自分に栄光を帰することなく、神さまにまず 賛美と感謝を捧げることを忘れないようにいたしましょう。
そのことに、後で気がつく・・・・・ということが多いのですが。クリスチャンであるなら、
■苦しい時にはまず祈りなさい。
(問題を抱えたままで神の前に持って来ること。)
■喜びの時には賛美しなさい。
祈りと賛美・・・・これがクリスチャンの成功の鍵です。
祈っても、賛美することがないのであれば、一面しか実行していないことになります。
病んだ時には・・・・祈ります。
祈りはきかれる時ときかれない時があること。
親が子の要求を全て聞きいれないのと同様に、父なる神は祈りをきかれないかもしれませんが。
しかし、それでも祈るのです。
16節に 祈りは働くと大きな力があります。
祈りは本当にきかれるのでしょうか?
祈りのこたえかた・・・・4つあります。(野田秀著より)
●1、直ぐにこたえられる祈り
聖歌199番(ハイドンの曲)の3節にあるように、祈るとすぐにマナが降りてきた。
これは、クリスチャン皆なが経験済みでしょう。
●2、すぐにではないが、時間が経って応えられる祈り。
たとえば病の時・・・完全な癒しがなかったとしても
その時々に応じてこたえてくださっている。
何十年も経た後に、祈っていた方が救われたのように。
●3、応えられない祈り
祈った通りにはこたえられないが、違った方法、神さまの方法でこたえられた祈り。
こたえられないからといって祈りをやめるのは真の信仰者の祈りではありません。
●4、文字通りこたえられない祈り
自分の快楽の為に用いようと悪い動機からくる祈り。(ヤコブ4:3)
・罪を持ったままの祈り・・・・きかれない。
・罪は言い表わさないで、自分は正しい正しいと自分本位な祈り・・・・きかれない。
・自分がしなければならない義務を放棄した祈り・・・・きかれない。
たとえば、▲神を信じるようにしてください。▲罪を告白できるようにしてください・・・・このような祈りのこと。
上記は意思を働かせて自分ですることです。
まとめ
義人の祈りとはどのような祈りでしょう。
・自分の罪を知っていて悔い改め、十字架の血潮によって清められており、
自分の罪を悲しみ、イエスさまにより頼み、御心を行おうとする人の祈りです。
・神さまとの大切な管・・・・祈り
祈りは・霊の呼吸、聖書は・霊の糧です。
私達は祈りなしには 霊的に死んでしまうといっても過言ではありません。
バイブルクラスの学びはヤコブ書5章13〜16
『 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
あなたがたのうちに病気の人がいますか。
その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。
また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。
いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。』
義人の祈り
私たちは問題が起こった時、どのようにするでしょうか。
心配し、後悔し、恨みつらみをいい、愚痴をこぼし、感情に流されるのではないでしょうか。
『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』ピリピ書4:6
いつも、神さまと心が向き合っていないからなのです。
たえず、向き合っていなさいと聖書は教えます。
●先ず 祈りなさい。
優先順位の第�Tに、心配したり、後悔したり、憎んだりしないで祈りなさい。
●賛美しなさい。
私たちは成功した時、自己賛美に陥りやすいものです。
自分に栄光を帰することなく、神さまにまず 賛美と感謝を捧げることを忘れないようにいたしましょう。
そのことに、後で気がつく・・・・・ということが多いのですが。クリスチャンであるなら、
■苦しい時にはまず祈りなさい。
(問題を抱えたままで神の前に持って来ること。)
■喜びの時には賛美しなさい。
祈りと賛美・・・・これがクリスチャンの成功の鍵です。
祈っても、賛美することがないのであれば、一面しか実行していないことになります。
病んだ時には・・・・祈ります。
祈りはきかれる時ときかれない時があること。
親が子の要求を全て聞きいれないのと同様に、父なる神は祈りをきかれないかもしれませんが。
しかし、それでも祈るのです。
16節に 祈りは働くと大きな力があります。
祈りは本当にきかれるのでしょうか?
祈りのこたえかた・・・・4つあります。(野田秀著より)
●1、直ぐにこたえられる祈り
聖歌199番(ハイドンの曲)の3節にあるように、祈るとすぐにマナが降りてきた。
これは、クリスチャン皆なが経験済みでしょう。
●2、すぐにではないが、時間が経って応えられる祈り。
たとえば病の時・・・完全な癒しがなかったとしても
その時々に応じてこたえてくださっている。
何十年も経た後に、祈っていた方が救われたのように。
●3、応えられない祈り
祈った通りにはこたえられないが、違った方法、神さまの方法でこたえられた祈り。
こたえられないからといって祈りをやめるのは真の信仰者の祈りではありません。
●4、文字通りこたえられない祈り
自分の快楽の為に用いようと悪い動機からくる祈り。(ヤコブ4:3)
・罪を持ったままの祈り・・・・きかれない。
・罪は言い表わさないで、自分は正しい正しいと自分本位な祈り・・・・きかれない。
・自分がしなければならない義務を放棄した祈り・・・・きかれない。
たとえば、▲神を信じるようにしてください。▲罪を告白できるようにしてください・・・・このような祈りのこと。
上記は意思を働かせて自分ですることです。
まとめ
義人の祈りとはどのような祈りでしょう。
・自分の罪を知っていて悔い改め、十字架の血潮によって清められており、
自分の罪を悲しみ、イエスさまにより頼み、御心を行おうとする人の祈りです。
・神さまとの大切な管・・・・祈り
祈りは・霊の呼吸、聖書は・霊の糧です。
私達は祈りなしには 霊的に死んでしまうといっても過言ではありません。
2004 01/19 22:34
Category : 日記
鹿児島で開かれた九州福音交流会の録音テープを聴いていました。
(私は欠席の為テープをお借りしたのです。)
「福音が本当の福音となる為に」というテーマで工藤信夫先生(精神科医)による3回の講演分。
まだ、全部聞き終えてはいませんが、かなりインパクトのある内容です。
馴染みのある放蕩息子の聖書箇所・・・・・レンブラントの絵画に描かれている怒りに満ちた目をした放蕩息子の兄・・・この兄にスポットを当ててお話をされています。
『15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。
それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。
『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21 息子は言った。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。
『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、
15:26 しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
15:27 しもべは言った。
『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
15:28 すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
15:29 しかし兄は父にこう言った。
『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。
その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31 父は彼に言った。
『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。
いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
ルカの福音書15章11節〜32節
この放蕩息子のたとえ話は、簡単に記すと神から離れて(失われていた魂)私たち人間が・・・・神に立ち返る時、神は 愛をもって無条件で、喜んで、受け入れて下さるのですよ、神はいつも待っておられるのですよという話ですが。
しかし、いつも父の傍で一緒に暮らしていたはずの長男もまた、失われた魂であったのです。
教会の中にも、兄がたくさんいるのではないでしょうか?
ポール・トゥルニェの著書「人生の四季」を引用しながら、
キリスト教は人生を抑圧するものか、解放するものか?
神が悪いのではなく、キリスト教の福音を理解する私たち人間側・・・・道徳主義に陥っている為正しく福音が伝わらない、伝えられていない。
禁止事項を守ること・・・・・×聖書の精神から離れている。
○宗教的なもの-----神とその恩恵を情熱的に追求するもの。
●道徳的なもの-----自分自身を追求することに重きを置いている。
(道徳主義とは善悪を自分で識別し、あらゆる過ちから自分の身を守ることを自分に要求する。)
そのために絶え間ない努力と・・・・誘惑に負けるのではないかという不安と・・・・罪を犯すのではないだろうかという不安。
日本のプロテスタントの非常に悪いところは、真面目一点張りで楽しみを断念するところではないでしょうか。
生真面目で面白くない。福音を信じているようで、道徳主義。もっとエンジョイしていいのです。
イエスさまの前でいい子のふりをしなくてもいいのですよ。
「カトリック信者の中には 結婚したいと思う魅力的な女性がたくさんいるのに、どうしてプロテスタントの女性は真面目で硬くてガチガチなのでしょう・・・・・」
ポール・トゥルニェの「人生の四季」を読んで、以前ある人から聞いたこの話を思い出しその意味がなんとなく分かるような気がした。
・・・とも語られました。カトリックは女性原理、プロテスタントは男性原理が勝ってるということでしょうか。
なんだか・・・・心が探られ、刺される思いです。
本物
■「上手な絵描きは 本当の絵描きではないよ。下手な絵描きこそ 本当の絵描きです。」棟方志功
(私は欠席の為テープをお借りしたのです。)
「福音が本当の福音となる為に」というテーマで工藤信夫先生(精神科医)による3回の講演分。
まだ、全部聞き終えてはいませんが、かなりインパクトのある内容です。
馴染みのある放蕩息子の聖書箇所・・・・・レンブラントの絵画に描かれている怒りに満ちた目をした放蕩息子の兄・・・この兄にスポットを当ててお話をされています。
『15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。
それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。
『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
15:21 息子は言った。
『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。
『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、
15:26 しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
15:27 しもべは言った。
『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
15:28 すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
15:29 しかし兄は父にこう言った。
『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。
その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
15:31 父は彼に言った。
『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。
いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
ルカの福音書15章11節〜32節
この放蕩息子のたとえ話は、簡単に記すと神から離れて(失われていた魂)私たち人間が・・・・神に立ち返る時、神は 愛をもって無条件で、喜んで、受け入れて下さるのですよ、神はいつも待っておられるのですよという話ですが。
しかし、いつも父の傍で一緒に暮らしていたはずの長男もまた、失われた魂であったのです。
教会の中にも、兄がたくさんいるのではないでしょうか?
ポール・トゥルニェの著書「人生の四季」を引用しながら、
キリスト教は人生を抑圧するものか、解放するものか?
神が悪いのではなく、キリスト教の福音を理解する私たち人間側・・・・道徳主義に陥っている為正しく福音が伝わらない、伝えられていない。
禁止事項を守ること・・・・・×聖書の精神から離れている。
○宗教的なもの-----神とその恩恵を情熱的に追求するもの。
●道徳的なもの-----自分自身を追求することに重きを置いている。
(道徳主義とは善悪を自分で識別し、あらゆる過ちから自分の身を守ることを自分に要求する。)
そのために絶え間ない努力と・・・・誘惑に負けるのではないかという不安と・・・・罪を犯すのではないだろうかという不安。
日本のプロテスタントの非常に悪いところは、真面目一点張りで楽しみを断念するところではないでしょうか。
生真面目で面白くない。福音を信じているようで、道徳主義。もっとエンジョイしていいのです。
イエスさまの前でいい子のふりをしなくてもいいのですよ。
「カトリック信者の中には 結婚したいと思う魅力的な女性がたくさんいるのに、どうしてプロテスタントの女性は真面目で硬くてガチガチなのでしょう・・・・・」
ポール・トゥルニェの「人生の四季」を読んで、以前ある人から聞いたこの話を思い出しその意味がなんとなく分かるような気がした。
・・・とも語られました。カトリックは女性原理、プロテスタントは男性原理が勝ってるということでしょうか。
なんだか・・・・心が探られ、刺される思いです。
本物
■「上手な絵描きは 本当の絵描きではないよ。下手な絵描きこそ 本当の絵描きです。」棟方志功
2004 01/18 23:37
Category : 日記
聖日礼拝は日本飢餓対策機構の神田英輔師をお迎えし、バイブルクラス学びと・礼拝説教の御用をして戴きました。
世界中で飢えに苦しんでいる人々、中でも子どもたちの現状・・・・。
世界中の人々が食するに十分な食物生産量が満たされているにもかかわらず、何故飢餓状態になるのか?を詳しくお話して頂きました。
私たち日本人にも、大いに責任があるということ。今、私たちに出来ることは何か?
大切なことを たくさん学ばせていただきました。
引き続き19:00からは「宮崎クリスチャン聖会」でした。
体調も良いので 今夜の集会は出席することができ本当に感謝でした。
開催場所が、自宅から車で20分を要する「日本基督教団清水町教会」でしたし、駐車場が満杯で、有料駐車場探しに時間をとられ、なんと遅刻。すでに、開会の讃美が始まっていました。
聖会のテーマ「喜びに溢れる礼拝者となるために」
今夜は イエス・キリスト教団の森牧師先生のお証・・・そののち・聖書宣教会[聖書神学舎]の内田和彦師の第一回講演でした。
明日も10:00から、14:00から二回の講演がもたれます。わたくしは仕事の為明日の出席はかないません。
今夜の内容は後日Gospelにアップしようと思っています。
ややハードスケジュールで、疲れぎみです。さて、Diaryはこれくらいにして お風呂に入って休むことにいたします。おやすみなさい。
世界中で飢えに苦しんでいる人々、中でも子どもたちの現状・・・・。
世界中の人々が食するに十分な食物生産量が満たされているにもかかわらず、何故飢餓状態になるのか?を詳しくお話して頂きました。
私たち日本人にも、大いに責任があるということ。今、私たちに出来ることは何か?
大切なことを たくさん学ばせていただきました。
引き続き19:00からは「宮崎クリスチャン聖会」でした。
体調も良いので 今夜の集会は出席することができ本当に感謝でした。
開催場所が、自宅から車で20分を要する「日本基督教団清水町教会」でしたし、駐車場が満杯で、有料駐車場探しに時間をとられ、なんと遅刻。すでに、開会の讃美が始まっていました。
聖会のテーマ「喜びに溢れる礼拝者となるために」
今夜は イエス・キリスト教団の森牧師先生のお証・・・そののち・聖書宣教会[聖書神学舎]の内田和彦師の第一回講演でした。
明日も10:00から、14:00から二回の講演がもたれます。わたくしは仕事の為明日の出席はかないません。
今夜の内容は後日Gospelにアップしようと思っています。
ややハードスケジュールで、疲れぎみです。さて、Diaryはこれくらいにして お風呂に入って休むことにいたします。おやすみなさい。
2004 01/18 09:30
Category : 日記
1月17日阪神・淡路大震災・・・・9年前のことなのに随分時が経って遥か昔の出来事のように思う。
当時 祈りと共に讃美した聖歌397「とおきくにや」を今年も讃美したことでした。
聖歌397番 とおきくにや
1.
とおきくにや 海のはて いずこにすむ 民もみよ
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
2.
水はあふれ 火はもえて 死は手ひろげ 待つ間にも
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
3.
あおぎみれば なお恐れん うれいあらず 罪も消ゆ
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
当時 祈りと共に讃美した聖歌397「とおきくにや」を今年も讃美したことでした。
聖歌397番 とおきくにや
1.
とおきくにや 海のはて いずこにすむ 民もみよ
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
2.
水はあふれ 火はもえて 死は手ひろげ 待つ間にも
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
3.
あおぎみれば なお恐れん うれいあらず 罪も消ゆ
なぐさめもて かわらざる 主の十字架は かがやけり
なぐさめもて わがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架は かがやけり
2004 01/13 22:44
Category : 日記
聖書日課
◆『しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。』
ルカの福音書22章32節
私たちが祈る時、主は私たちのためにとりなしてくださる。
そして、私たちが祈っていない時も、主は私たちのために弁護し、その嘆願によって私たちを目に見えない危険から守られる。
ペテロに語られた慰めのことばに注意していただきたい。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし……。」この次に来ることばは何であろうか。
「しかし、行ってあなた自身のために祈りなさい」なら、よい忠告であろう。だが、そうは記されていない。
主は、「しかし、わたしはあなたを注意深くさせよう。それであなたは守られるであろう」とも言われなかった。それは大いなる祝福である。しかし主はそうは言わないで、
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」と言われた。
私たちは、自分が救い主の祈りにどれだけあずかっているかをほとんど知らない。
私たちが天国の頂に達し、私たちの神、主が導かれたすべての道を振り返ってみる時、主が永遠の御座の前にあって、サタンが地上でなした悪巧みをくつがえされたことをいかにほめたたえることであろう。
また主が決して休まれず、昼も夜もその御手の傷を指さし、私たちの名をその胸当てに銘記されたことをいかに感謝することであろう。
サタンが誘惑を始める前に、イエスは機先を制して天において嘆願された。あわれみは悪意を追い抜く。
主は「サタンが、あなたがたをふるいにかけた。だからわたしは祈ろう」と言われたのではなく、
「サタンが、あなたがたをふるいにかけることを願って聞き届けられた」と言われた。
このことに注意していただきたい。主はサタンの思いすらことごとく知り、つぼみのうちにそれを摘み取られる。
主は、「しかし、わたしはあなたのために祈りたいと思っていた」と言われなかった。
「わたしはあなたのために祈った。わたしはすでに祈ったのである。わたしは法廷へ行き、告発がなされる前にあなたのために抗弁した」と言われた。
ここにこそ、喜びと感謝と希望と信頼がある。
By Charles Haddon Spurgeon
◆『しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。』
ルカの福音書22章32節
私たちが祈る時、主は私たちのためにとりなしてくださる。
そして、私たちが祈っていない時も、主は私たちのために弁護し、その嘆願によって私たちを目に見えない危険から守られる。
ペテロに語られた慰めのことばに注意していただきたい。
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし……。」この次に来ることばは何であろうか。
「しかし、行ってあなた自身のために祈りなさい」なら、よい忠告であろう。だが、そうは記されていない。
主は、「しかし、わたしはあなたを注意深くさせよう。それであなたは守られるであろう」とも言われなかった。それは大いなる祝福である。しかし主はそうは言わないで、
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」と言われた。
私たちは、自分が救い主の祈りにどれだけあずかっているかをほとんど知らない。
私たちが天国の頂に達し、私たちの神、主が導かれたすべての道を振り返ってみる時、主が永遠の御座の前にあって、サタンが地上でなした悪巧みをくつがえされたことをいかにほめたたえることであろう。
また主が決して休まれず、昼も夜もその御手の傷を指さし、私たちの名をその胸当てに銘記されたことをいかに感謝することであろう。
サタンが誘惑を始める前に、イエスは機先を制して天において嘆願された。あわれみは悪意を追い抜く。
主は「サタンが、あなたがたをふるいにかけた。だからわたしは祈ろう」と言われたのではなく、
「サタンが、あなたがたをふるいにかけることを願って聞き届けられた」と言われた。
このことに注意していただきたい。主はサタンの思いすらことごとく知り、つぼみのうちにそれを摘み取られる。
主は、「しかし、わたしはあなたのために祈りたいと思っていた」と言われなかった。
「わたしはあなたのために祈った。わたしはすでに祈ったのである。わたしは法廷へ行き、告発がなされる前にあなたのために抗弁した」と言われた。
ここにこそ、喜びと感謝と希望と信頼がある。
By Charles Haddon Spurgeon
2004 01/11 22:56
Category : 日記
新しい年を迎えて、今日は11日・・・・早いですね。
今年も実家で新年を迎えました。娘と母と私 女3人のお正月、
といっても特別なこともなく、毎日父の入院している病院通いでした。
今年は例年にない温かいお正月でした。
実家で雪のないお正月は 初めてだったかもしれません。
スキー場などはあがったりで この不景気な時に大変なことだなぁと思いました。
7日に東京で別れて3日しか経っていませんが昨夜 成人式の為に、再び娘が帰省しました。
今朝は共に聖日礼拝をお捧げし、成人祝福の祈りをして戴きました。
20歳-----
息子の時は さほど感じなかった特別な感情といいましょうか、感慨深いものがあります。
末っ子だからでしょうか・・・・・・。
娘は今夜は早めに夕食を済ませ、現在睡眠中・・・
明日の成人式のヘアメイク・着付けの予約時間が朝3時・・・・・なのだそう、嘘〜!!
昨年の夏から予約を入れていたとかで、娘が勝手に決めていたことですが、
なんとも空いた口が塞がらない有様。近くの美容室ですればいいのに・・・・・ネェ。
何はともあれ、今日まで主のお守りとお導きを感謝いたします。
これからも 神さまと人に愛され、豊かな人生を歩むことができますように・・・・・。
『 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』
詩篇1:3
今年も実家で新年を迎えました。娘と母と私 女3人のお正月、
といっても特別なこともなく、毎日父の入院している病院通いでした。
今年は例年にない温かいお正月でした。
実家で雪のないお正月は 初めてだったかもしれません。
スキー場などはあがったりで この不景気な時に大変なことだなぁと思いました。
7日に東京で別れて3日しか経っていませんが昨夜 成人式の為に、再び娘が帰省しました。
今朝は共に聖日礼拝をお捧げし、成人祝福の祈りをして戴きました。
20歳-----
息子の時は さほど感じなかった特別な感情といいましょうか、感慨深いものがあります。
末っ子だからでしょうか・・・・・・。
娘は今夜は早めに夕食を済ませ、現在睡眠中・・・
明日の成人式のヘアメイク・着付けの予約時間が朝3時・・・・・なのだそう、嘘〜!!
昨年の夏から予約を入れていたとかで、娘が勝手に決めていたことですが、
なんとも空いた口が塞がらない有様。近くの美容室ですればいいのに・・・・・ネェ。
何はともあれ、今日まで主のお守りとお導きを感謝いたします。
これからも 神さまと人に愛され、豊かな人生を歩むことができますように・・・・・。
『 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』
詩篇1:3