あなたは、どこにいるのか?
今朝はかなり冷え込み、ここにきて、ようやく12月らしくなってきました。
7日からアドヴェントの2週目に入り、2本目の蝋燭に灯が灯りました。
喜びと感謝をもってクリスマスを待ち望む気持ちが少しずつ高まってきました。
最近、Gospelを滞っていましたが、先日の礼拝説教のメッセージを想い起こし、示されたことをアップいたします。

創世記1章1〜3節

『1:1 初めに、神が天と地を創造した。

1:2 地は形がなく、何もなかった。

やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。』

新改訳聖書刊行会理事長の津村俊夫先生から礼拝メッセージを取次いでいただきました。

10月末、新改訳聖書(日本聖書刊行会)が改定され、発売されましたが、
その改定された新改訳第3版で同じ箇所を記しますと

「 初めに、神が天と地を創造した。

 地は茫漠として何もなかった。

 やみが大水の上にあり、神の霊が水の上に動いていた。

 神は仰せられた。

 『光があれ。』すると光があった。」



最近、多くの人が自殺をします。
『何故死に急ぐのですか?』の問いに、彼らは
それでは 『何故、私たちは生きるのですか?』と問われるかもしれません。
私達は 虚しさを忘れる為に 忙しくし、虚しさから解き放たれたいと思います。
究極の忘れること・・・・・これが死ぬことなのでしょう。
私たち人間は 生まれてからこのかた、
「ここに居ていいんだよ」という居場所を求めて生きているのではないでしょうか。

創世記3:9

『神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたは、どこにいるのか。」』

神は常に、『あなたはどこに居るのか』
と問い続けておられるのです。
聖書は、神は永遠の生存者であったといいます。
他にも、たくさんの神々がいるけれども・・・・神が居るかどうかではなくて、
聖書は、神が居られますが・・・・どういう方であられるかということを紹介されている。
天地創造の前は、神さまはどうされていたのでしょうか?
・時間もお造りになり、神の他の存在するものはすべて、神によって存在させられた。
聖書は
●始まり------> 明確に示している。
●終わり------> はっきりと示されている。
神は はっきりとした目的をもってこの世を創られました。

■古代オリエントの神話には、必ず神、女神がいます。
これは、人間の世界を投影しているといえます。
しかし、聖書の創世記1章-------女神はいません。
神話を良く知っている方は この聖書の箇所を読むと 圧倒されます。
男・女は、物事を生み出す出発点ではなく、神が造られた存在なのです。
人間を造られた神、天地万物を創造された神は存在するということ。
1章24節・・・動物・植物・・・・地から生じ、地に帰る。
動物と人間の違いは、神のかたちに造られたこと。
人間は神の代わりに自然界を治めるはずでした。
しかし、自分勝手に、(罪ゆえに)自然界を破壊してしまっています。
また、自然界のみならず、人と人との関係も、本来あってはならない関係------ おかしい、
神との関係------ どこか おかしい。
3章10節「・・・恐れて、隠れました。」とあります。

バビロニアの神が人間を造った目的
1.供え物をさせる為に
2.労役を担う 奴隷として
ですから、人間には 関心がありません。



それに対して 聖書は・・・・・・

神と交わりの中にある存在として、神のかたちに 人間を創られました。
「あなたはどこに居るのか?」
神は人間を造られてから ずっと関心をもっておられますし、
神はすべてをご存知で お見通しであるにも関わらず、問いかけておられます。
人格的な存在、神と交わる存在として、
私たちが「はい、ここに居ます」との返事を待っておられるのです。

神から離れることは、肉体の死のみでなく、霊的な死、根本的な死を意味します。
人間はロボットではありませんから、人格的な交わりを強制されないし、自由意志に任せられました。
これは自己征服しながら、神を愛し従うという自由を意味します。
-------->人間は従わない自由を選んでしまいました。
にもかかわらず、神は、愛と憐れみをもって忍耐しておられ、神との関係を回復する為に、イエス・キリストを遣わされました。
神は 罪を徹底的にお嫌いになられるけれども、罪人を憐れむお方です。

『なぜ 生きるのか?』
神が生かしてくださっているのです。
●与えられた弱さ・困難の故に、神が恵を確かに与えて下さるのです。

『「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」
と言われたのです。』第�Uコリント12章9節

”ここに罪人の私がいます。イエス・キリストの贖いの故に、どうぞ赦して下さい。”
神は ひとりびとりが この告白がなされることを望んでおられると思います。