10月27日(月)晴れ
聖書日課

◆『ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、

それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。』 ルツ記2章3節



彼女の運は開けた。
しかり、それは偶然のように見えるが、実は神が支配しておられたのである。
ルツは母の祝福を受け、母の神の保護のもとで、つつましいが立派な仕事に出かけた。
神の摂理はルツを一歩一歩導いた。
彼女は麦束の間で夫を見いだし、夫とともに広大な土地の所有者となったが、自分のようなあわれな外国人が、偉大なるメシヤの先祖の一人になろうとは、夢にも思わなかった。
神はご自身に信頼する人々に恵みを与え、しばしば予期しない祝福をもって、彼らを驚かされる。
明日何が起こるか、私たちはほとんど知らない。しかし、神が良いものを控えられないというすばらしい事実は、私たちを励ます。
クリスチャンの信仰の立場からは、偶然ということは存在しない。
彼らはすべてのことにおいて、神の御手を見るからである。今日、明日の小さな出来事が、非常に重大な結果を含んでいるかもしれない。

主よ。ルツを扱われたように、あなたのしもべをも深く恵んでください。
今夜、私たちが黙想の畑にさまよう時、最も血縁の近いお方がご自身を私たちに現してくださる場所に行き当たるとすれば、なんという祝福であろう。
おお、御霊なる主よ。私たちを主に導いてください。
私たちは、他の畑の全収穫をもらうよりも、むしろ主の畑で落ち穂を拾いたい。
おお、主の群れの歩みよ。それは主がお住みになる緑の牧場に私たちを導く! 
イエスがおられない時、この世は耐えがたい。
主を失うくらいなら、むしろ太陽や月なしにやってゆくほうがましである。
しかし主が臨在される時、すべてが神の栄光に照り輝く。
私たちのたましいは、イエスのうちに宿る徳を知る。
それゆえ、主がなければ決して満足することができない。

今夜私たちは、イエスのものである畑に行って、私たちにご自身を現されるまで、祈りつつ待ちたい。

『夕ごとに』By Charles Haddon Spurgeon