2003 10/29 22:05
Category : 日記
◆しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
ルカの福音書 24章16節
弟子たちは、イエスを当然知っていなければならなかった。
彼らは絶えず主の御声を聞き、御顔を見ていたのに、主を見分けることができなかったとは、
むしろ不思議である。
しかし、あなたも同様ではないか。
あなたは近ごろ、主に会っていない。あなたは主の食卓に列しながら主にお会いしていない。
今夜あなたは暗黒の苦悩のうちにあり、主がはっきりと、
「わたしだ。恐れることはない」
と告げられるのに、あなたは主を見分けることができない。
私たちの目はさえぎられている。主の御声を知り、御顔を眺め、自分の頭を主の胸にもたせかけてきた。
しかし、キリストがすぐ近くにおられるのに、
「主がどこにおられるかを知ることができたなら」と言っている。
私たちはイエスを知るべきである。私たちは主の御姿を示す聖書を愛している。
しかしそれを開きながら、自分の愛する主を一目見ることさえできないとは、どういうことか。
愛する神の子たちよ。あなたはこのような状態にいるか。
イエスはみことばのゆりの中におられる。
あなたはそのゆりの中を歩きながらも、主を見つけることをしない。
主は常に聖書の中を歩み、そよ風の吹くころ、御父がアダムと交わられたように、その民と交わられる。
あなたは聖書の園の中におり、主が常にそこにおられるのに、あなたは主を見ることができない。
なぜ私たちは、主を見ないのか。-----不信仰のゆえである。
弟子たちは、明らかに、イエスにお目にかかることを期待していなかった。
そのため、彼らはイエスであることがわからなかった。
私たちにイエスを見ることができるようにさせるのは、信仰のみである。
「私の目を開いて、私と共におられる救い主を見させてください。」
これをあなたの祈りとせよ。主にお目にかかることを願うのは幸いである。
しかし、主を見つめることは、はるかにまさる。
ご自分を求める者に対して、主は親切であられる。
しかし主を見いだした者には、主は表現できないほど親愛なお方である。
By Charles Haddon Spurgeon
ルカの福音書 24章16節
弟子たちは、イエスを当然知っていなければならなかった。
彼らは絶えず主の御声を聞き、御顔を見ていたのに、主を見分けることができなかったとは、
むしろ不思議である。
しかし、あなたも同様ではないか。
あなたは近ごろ、主に会っていない。あなたは主の食卓に列しながら主にお会いしていない。
今夜あなたは暗黒の苦悩のうちにあり、主がはっきりと、
「わたしだ。恐れることはない」
と告げられるのに、あなたは主を見分けることができない。
私たちの目はさえぎられている。主の御声を知り、御顔を眺め、自分の頭を主の胸にもたせかけてきた。
しかし、キリストがすぐ近くにおられるのに、
「主がどこにおられるかを知ることができたなら」と言っている。
私たちはイエスを知るべきである。私たちは主の御姿を示す聖書を愛している。
しかしそれを開きながら、自分の愛する主を一目見ることさえできないとは、どういうことか。
愛する神の子たちよ。あなたはこのような状態にいるか。
イエスはみことばのゆりの中におられる。
あなたはそのゆりの中を歩きながらも、主を見つけることをしない。
主は常に聖書の中を歩み、そよ風の吹くころ、御父がアダムと交わられたように、その民と交わられる。
あなたは聖書の園の中におり、主が常にそこにおられるのに、あなたは主を見ることができない。
なぜ私たちは、主を見ないのか。-----不信仰のゆえである。
弟子たちは、明らかに、イエスにお目にかかることを期待していなかった。
そのため、彼らはイエスであることがわからなかった。
私たちにイエスを見ることができるようにさせるのは、信仰のみである。
「私の目を開いて、私と共におられる救い主を見させてください。」
これをあなたの祈りとせよ。主にお目にかかることを願うのは幸いである。
しかし、主を見つめることは、はるかにまさる。
ご自分を求める者に対して、主は親切であられる。
しかし主を見いだした者には、主は表現できないほど親愛なお方である。
By Charles Haddon Spurgeon