心をあらたにすることによって
月末の忙しさと化学療法により、体調が悪く、ここのところNETはお休みしていました。

そんな中で日曜日の礼拝メッセージは 韓国OMF宣教師・柳先生より
『ローマ書12章1〜2』からみことばを取次いで頂きました。

『12:1 そういうわけですから、兄弟たち。

私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。

あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。

それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

12:2 この世と調子を合わせてはいけません。

いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、

完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』


・私たちクリスチャンは日常生活のなかにあって、どのように神を体験しているか?

・イエスさまと共に歩んでいるのか?

ということを真剣に問うべきです。

私たちが生きているこの世から 影響を受けます。

しかし、パウロが天に召されるまで彼を支えたみことば”ガラテヤ2:20”

「2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

いま私が、この世に生きているのは、私を愛し

私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

と告白していますが、彼の信仰の歩みはこの世のものではありませんでした。

12:1・・・日曜日の礼拝のみでは この極みに達することは出来ません。

・礼拝には肉体が深く関わっているということ。
・すべての時間・空間が礼拝に捧げられていること。

教会とは建物(教会堂)ではなく 1人1人が遣わされている所(家庭、職場、学校)
である。
私達が その所にあって体全体を礼拝の中に置くこと、
すなわち、すべての生活(日々の歩み)が神に捧げられていること、
このことは教会堂で捧げる日曜礼拝よりもっと大切な意味を持っているといえます。

・私たちの肉体は聖霊の宮である。
・私たちの肉体は心と魂が宿る器である。

このことを覚え、自分の心を探り思いを巡らす必要があります。

・密室で真の祈りによって、神の御心を判別する洞察力が与えられる。
・自分の歩みの告白・・・・神の御前に出て神の民が持つべき倫理が働いているかどうか?

を みことばのひかりに照らし・・・・己を顧みる大切さ。

私達は沈黙の中で、静まり、黙想するときに 神さまの御手が心に触れて下さって、
罪を示され、悔い改めへと導かれるのです。
心の一新によって、神への芳しい和解の供え物をお捧げすることができるのです。



父なる神さま 御名を讃美します。
ローマ書から 御言葉をありがとうございます。
あなた様は私が忘れていたり、また眠っている時であっても
共におられ、共に歩んで下さっていることを覚え感謝をいたします。
どうぞ主よ、遣わされている場所で、日々証の生活が出来ますように、
また もっともっと御前に静まり ディボーションの時を大切にすることが
出来ますように 今週一週間の歩みをも導いてください。

主の御名によって祈ります。・・・・・ アーメン