2003 09/14 09:16
Category : 日記
聖書日課
◆『私は、恵みとさばきを歌いましょう。』 詩篇101:1
信仰は試練に打ち勝つ。
理性が牢獄の奥に押し込まれ、足かせに縛られている時も、信仰は楽しそうに
「私は、恵みとさばきを歌いましょう。主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう」
と叫んで、牢獄の壁を揺り動かす。
信仰は苦悩の顔から黒い仮面を取り除いて、その下にある天使の顔を見いだす。
信仰は雲を見上げて、「あの密雲の中にはあわれみが宿り、やがて祝福の慈雨を降らす」ことを知る。
神の私たちに対するさばきの中にさえ、歌の主題を見ることができる。
なぜなら、第一に、試練は当然あるべきものよりはるかに軽く、次に、患難は私たちが当然担うべきものより苛酷ではなく、そして、私たちの苦痛は他の人が負うべきものほど重くはないからである。
最悪の悲しみの中にあっても、信仰は懲罰を見ない。その中に神の怒りは一滴でも含まれず、すべては神の愛によってもたらされたものである。
怒られる神の御胸に、愛が宝石のように輝いているのを信仰ははっきり認める。
悲しみについて、信仰はこう言う。
「これは誉れのしるしである。なぜなら、子どもこそがむちを受けなければならないからである」と。
そして信仰は、悲しみのもたらすすばらしい結果について歌う。
悲しみこそ、霊的な益をもたらすからである。否、信仰はさらに言う。
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです」と。
このように、信仰は黒馬にまたがり、征服に征服を重ね、肉の理性と感覚とを踏みにじりつつ、激しい戦いの中にあって勝利の歌を歌う。
私の道で会うすべてのものは
天を目指していく私を助ける
行く道に試みの矢が襲ってきても
主にあるたましいの安きを奪うものはない
『夕ごとに』By Charles Haddon Spurgeon
◆『私は、恵みとさばきを歌いましょう。』 詩篇101:1
信仰は試練に打ち勝つ。
理性が牢獄の奥に押し込まれ、足かせに縛られている時も、信仰は楽しそうに
「私は、恵みとさばきを歌いましょう。主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう」
と叫んで、牢獄の壁を揺り動かす。
信仰は苦悩の顔から黒い仮面を取り除いて、その下にある天使の顔を見いだす。
信仰は雲を見上げて、「あの密雲の中にはあわれみが宿り、やがて祝福の慈雨を降らす」ことを知る。
神の私たちに対するさばきの中にさえ、歌の主題を見ることができる。
なぜなら、第一に、試練は当然あるべきものよりはるかに軽く、次に、患難は私たちが当然担うべきものより苛酷ではなく、そして、私たちの苦痛は他の人が負うべきものほど重くはないからである。
最悪の悲しみの中にあっても、信仰は懲罰を見ない。その中に神の怒りは一滴でも含まれず、すべては神の愛によってもたらされたものである。
怒られる神の御胸に、愛が宝石のように輝いているのを信仰ははっきり認める。
悲しみについて、信仰はこう言う。
「これは誉れのしるしである。なぜなら、子どもこそがむちを受けなければならないからである」と。
そして信仰は、悲しみのもたらすすばらしい結果について歌う。
悲しみこそ、霊的な益をもたらすからである。否、信仰はさらに言う。
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです」と。
このように、信仰は黒馬にまたがり、征服に征服を重ね、肉の理性と感覚とを踏みにじりつつ、激しい戦いの中にあって勝利の歌を歌う。
私の道で会うすべてのものは
天を目指していく私を助ける
行く道に試みの矢が襲ってきても
主にあるたましいの安きを奪うものはない
『夕ごとに』By Charles Haddon Spurgeon