2003 09/12 23:38
Category : 日記
最近Diaryの内容が ガン・死と暗い偏った話題になっていますが、
そのことが私の心の中を占めているからなのでしょう。
私達は生きている限り、悲しい出来事に遭遇します。
人間関係の悩み、家族の不和、失恋、失業(リストラ)、倒産、病気等等。
数え上げたらキリがありません。
しかし、最も悲しい出来事はなんでしょうか。
それは愛する人の死・別れ だと思います。
疫学調査によれば、愛する人との死別によって
鬱病などの心の病や糖尿病、高血圧、心臓疾患等の生活習慣病、
そして、免疫系機能低下によるガンの多発が認められるのだそうです。
これは想像以上に大きなストレスとなって心に覆いかぶさってきます。
箴言17:22に「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」
このみことばに象徴されるように心と体には相関関係があります。
愛する人との死別は自らの病、死の引き金ににもなり得る訳です。
人は究極の苦しみ、悲しみといった自分の限界状況に追い込まれて初めて
神に目を向けるようになるのではないか、と思うのです。
私自身 神の存在を意識し、信じ救われたのは、自分の罪を「これでもか」というほど示され、絶望し、打ちのめされ、神さま以外に救いはないと確信を頂いたからです。
救いの証は長くなるのでまた別の機会に記すことにしますが。。。。。。
第�Uコリント7:60
「世の悲しみは、死をもたらす」
第�Uコリント7:10
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます。」
聖書には 悲しみには二種類あると記されいます。
・この世の悲しみ
・神のみこころに添った悲しみ
前者は「死」に至り、後者は「救い」に至るというのです。
この分岐点になるのが「悔い改め」だと思います。、
私達は もし愛する人が亡くなったならば
・もっと話を聞いてあげれば良かった
・もっと優しく接してあげれば良かった
・もっと看病の為に時間をとってあげれば良かった。
・もっと良い医療を、もっと十分な看護をしてあげれば良かった
もっと、もっと・・・・・・という亡くなった人に対する罪責感を持つのではないでしょうか。
どんなに最善を尽くしたと思っても、この想いは避けられないと思うのです。
つまり、人は最愛の人を失うことによって初めて自分がいかに愛が足りない者であり、
不完全で限界がある存在であるかということに気が付くのだと思います。
罪に対する、この自覚と反省・・・・・神の前で悔い改めに導かれるきっかけになる、と。
いつまでも悲しみを引きずり、その罪責感にとらわれ過去にばかり目を向けていては
いけないと、理屈は解かっていても なかなか逃れられない
というのが本当のところだと思います。
私達は愛する人を失って悲しみを完全に拭い去ることは出来ないとしても
その重荷を担って下さり、共に歩んで下さる イエスさまが居られるのですから。
重荷を主のもとに全て委ねてしまえばいいのです。
まだ、神さまを知らない人々は、まず、神さまを知る必要がありますね。
主よ感謝いたします。
今 悲しみ、お苦しみの中にある方々を覚えます。
どうぞ主がお一人お一人を行き巡って下さり、慰めと励ましをお与えください。
また、心を探って下さって、自分の罪に気が付くことがことが出来ますように。
本当の神を知らない方々が、神の存在を知り、神に出会うことが出来ますように。
愛なる主イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン
そのことが私の心の中を占めているからなのでしょう。
私達は生きている限り、悲しい出来事に遭遇します。
人間関係の悩み、家族の不和、失恋、失業(リストラ)、倒産、病気等等。
数え上げたらキリがありません。
しかし、最も悲しい出来事はなんでしょうか。
それは愛する人の死・別れ だと思います。
疫学調査によれば、愛する人との死別によって
鬱病などの心の病や糖尿病、高血圧、心臓疾患等の生活習慣病、
そして、免疫系機能低下によるガンの多発が認められるのだそうです。
これは想像以上に大きなストレスとなって心に覆いかぶさってきます。
箴言17:22に「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」
このみことばに象徴されるように心と体には相関関係があります。
愛する人との死別は自らの病、死の引き金ににもなり得る訳です。
人は究極の苦しみ、悲しみといった自分の限界状況に追い込まれて初めて
神に目を向けるようになるのではないか、と思うのです。
私自身 神の存在を意識し、信じ救われたのは、自分の罪を「これでもか」というほど示され、絶望し、打ちのめされ、神さま以外に救いはないと確信を頂いたからです。
救いの証は長くなるのでまた別の機会に記すことにしますが。。。。。。
第�Uコリント7:60
「世の悲しみは、死をもたらす」
第�Uコリント7:10
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます。」
聖書には 悲しみには二種類あると記されいます。
・この世の悲しみ
・神のみこころに添った悲しみ
前者は「死」に至り、後者は「救い」に至るというのです。
この分岐点になるのが「悔い改め」だと思います。、
私達は もし愛する人が亡くなったならば
・もっと話を聞いてあげれば良かった
・もっと優しく接してあげれば良かった
・もっと看病の為に時間をとってあげれば良かった。
・もっと良い医療を、もっと十分な看護をしてあげれば良かった
もっと、もっと・・・・・・という亡くなった人に対する罪責感を持つのではないでしょうか。
どんなに最善を尽くしたと思っても、この想いは避けられないと思うのです。
つまり、人は最愛の人を失うことによって初めて自分がいかに愛が足りない者であり、
不完全で限界がある存在であるかということに気が付くのだと思います。
罪に対する、この自覚と反省・・・・・神の前で悔い改めに導かれるきっかけになる、と。
いつまでも悲しみを引きずり、その罪責感にとらわれ過去にばかり目を向けていては
いけないと、理屈は解かっていても なかなか逃れられない
というのが本当のところだと思います。
私達は愛する人を失って悲しみを完全に拭い去ることは出来ないとしても
その重荷を担って下さり、共に歩んで下さる イエスさまが居られるのですから。
重荷を主のもとに全て委ねてしまえばいいのです。
まだ、神さまを知らない人々は、まず、神さまを知る必要がありますね。
主よ感謝いたします。
今 悲しみ、お苦しみの中にある方々を覚えます。
どうぞ主がお一人お一人を行き巡って下さり、慰めと励ましをお与えください。
また、心を探って下さって、自分の罪に気が付くことがことが出来ますように。
本当の神を知らない方々が、神の存在を知り、神に出会うことが出来ますように。
愛なる主イエス・キリストの御名を通して祈ります。アーメン