9月24日(水) 晴れ
Gospelが開かなくなって 更新が出来ませんでした。
先程ようやくログイン可能になり、まとめを書き込みました。Diaryにも同じものをアップします。

礼拝説教 「魂の安らぎ」マタイ11章25〜30節

『そのとき、イエスはこう言われた。
「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。
これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。
それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと
心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』マタイ11:28〜30


25節 文字通りの意味ではなくて

神の救いについて
・・・・・・・・・・・>幼子たちにあらわされた。
 
○賢いもの・知恵あるものとは
・・・・・・・・・・・>高ぶっている者、高慢な者。
○幼子とは     
・・・・・・・・・・・>謙遜な者
を指しているのです。

・子ども(幼子)は 自分一人では
 生きていけないと分かっている。
・両親に依存しきっている。
・自分が弱いということを知っている。


●謙遜な者は、神様なしでは一日たりとも生きていけないと自分の弱さを知っています。
●自分に自信があるものでも 強い、 元気だと思っていても、肉体は弱いものだと覚えるとき、
いのちも また 儚いものであるとわかるのです。

私たちは自覚するしないに関わらず、神の力と恵みに拠り頼んでいないと生きていけない
弱い存在です。
精神面においても人間の心の状態を見る時私達は自分の思い通りにいかない時にどうでしょうか?

○憎しみ、争い、嘘、我侭、愚痴、盗み、不平不満 。
●自分は正しい間違っているのは他の人・・・・・高ぶり、妬み、嫉み、悪口 。

*人間の実情とは自己中心の塊なのです。
正しく、清く生きたいと願っているのに 意に反し、情けなく・惨めなことが分かるのです。

28節でイエスキリストは招いておられます。

求人案内でも、また私達が友人を求めるときも
元気で 明るく やる気があって、優しくて・・・・と願います。
しかし、イエスさまは ”疲れた人、重荷を負っている人は来なさい”と優しく招いて下さっています。
これは、信頼できることばです。この一言が心を捉えて離しません。

●クリスチャンでも試練の中で光りが見えない時、主の十字架の苦しみを思う時、信頼し、任せきっていこう、そう思う時に、心は安らぎで満たされます。

●また私達が幼子のように主に信頼する時、手をしっかり握って離さず、道から外れてしまうとき、疲れ果て立ち止まる時も、またもとの道に引き戻し、共に歩んで下さいます。

●本気でイエスさまを求めるとき、主のお働きを経験させられます。

「 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」

ローマ人への手紙7:19〜21