2003 06/23 18:08
Category : 日記
本日の聖書日課、ゲッセマネにおいて、主が祈っておられる様がまざまざと目の前に現れるような聖書の箇所です。
◆「汗が血のしずくのように地に落ちた。」ルカ22章44節
誘惑に対する主の戦いから起こる心の緊張は、主のおからだを極度に緊張させ、その毛穴が血のしずくを地上に落とさせるに至った。
これは罪の重荷がいかに恐ろしいものであったかを証明するものであり、このために救い主は血の大汗をしぼり出されたのであった。
これは主の強い愛の力を証しするものである。
昔アイザク・アンブロースは、傷をつけないでも、したたり出る樟脳の木の樹液が常に最上質であることを発見したそうである。
この樟脳の木は、ごつごつしたむちに打たれたり、十字架の釘によって刺し貫かれたりした時に麗しい香りを放つが、最上の香りを放つのは、むちも釘もなく傷つけられなかった時である。
これはさらにキリストのお苦しみが自発的であったことを示す。
なぜなら、槍で刺されないのに血が自然に流れ出たからである。ひるを使ったり、ナイフを当てたりする必要はない。血は自然にほとばしり出る。
支配者が、「わきいでよ、井戸」と命じる必要もなく、自然に深紅の血潮が流れ出たのである。
人が大きな苦痛に会う時、血は明らかに心臓に向かって集まる。ほおは青ざめ、気は遠くなり、血はあたかも試練の中にある内なる人に栄養を与えるかのように、内へ内へと集まる。
しかし、苦痛の中にある私たちの救い主を見よ。主は自分自身を全く忘れ、あまりの苦痛に、血はご自身を助けるため心臓に集中する代わりに、外に流れ出て地を潤すのであった。
キリストの苦痛は、ご自身を地上に注ぎ出すことによって、人類に与えられた賜物の完全さを描き出している。
私たちは、主が経験された格闘がいかに激しかったかを見ないであろうか。
そして「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません」との声を聞かないであろうか。
私たちの信仰の大使徒、大祭司を見よ。主は私たちのたましいの大敵に屈服するよりも、むしろ血の汗を流して戦われたのである。
By Charles Haddon Spurgeon
◆「汗が血のしずくのように地に落ちた。」ルカ22章44節
誘惑に対する主の戦いから起こる心の緊張は、主のおからだを極度に緊張させ、その毛穴が血のしずくを地上に落とさせるに至った。
これは罪の重荷がいかに恐ろしいものであったかを証明するものであり、このために救い主は血の大汗をしぼり出されたのであった。
これは主の強い愛の力を証しするものである。
昔アイザク・アンブロースは、傷をつけないでも、したたり出る樟脳の木の樹液が常に最上質であることを発見したそうである。
この樟脳の木は、ごつごつしたむちに打たれたり、十字架の釘によって刺し貫かれたりした時に麗しい香りを放つが、最上の香りを放つのは、むちも釘もなく傷つけられなかった時である。
これはさらにキリストのお苦しみが自発的であったことを示す。
なぜなら、槍で刺されないのに血が自然に流れ出たからである。ひるを使ったり、ナイフを当てたりする必要はない。血は自然にほとばしり出る。
支配者が、「わきいでよ、井戸」と命じる必要もなく、自然に深紅の血潮が流れ出たのである。
人が大きな苦痛に会う時、血は明らかに心臓に向かって集まる。ほおは青ざめ、気は遠くなり、血はあたかも試練の中にある内なる人に栄養を与えるかのように、内へ内へと集まる。
しかし、苦痛の中にある私たちの救い主を見よ。主は自分自身を全く忘れ、あまりの苦痛に、血はご自身を助けるため心臓に集中する代わりに、外に流れ出て地を潤すのであった。
キリストの苦痛は、ご自身を地上に注ぎ出すことによって、人類に与えられた賜物の完全さを描き出している。
私たちは、主が経験された格闘がいかに激しかったかを見ないであろうか。
そして「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません」との声を聞かないであろうか。
私たちの信仰の大使徒、大祭司を見よ。主は私たちのたましいの大敵に屈服するよりも、むしろ血の汗を流して戦われたのである。
By Charles Haddon Spurgeon