3月23日(日)晴れのちくもり
今日の聖書日課
時にかなった聖書の箇所です。新たな思いを持って心に蓄えました。


◆『平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。』マタイ5章9節

これは、山上の説教の第七番目の幸いである。へブル人の考えによれば、七は完全数である。
救い主が平和をつくり出す者を幸いのリストの七番目に置かれたのは、平和をつくり出す者がキリストにある完全な人に最も近いからではないか。
この地上で受け得る限りの完全な祝福を得ようとする者は、この第七の祝福に達し、平和をつくり出す者とならなければならない。

この聖句が置かれている場所にも深い意味がある。
この句の前の節は、心のきよい者たちの祝福について、
「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです」と述べている。
これによれば、私たちはまずきよくなり、その後平和をつくり出す者になると解釈することができる。
私たちの平和は、決して罪を容認するのでも、また悪を大目に見るのでもない。
私たちは、神とその聖潔に反対する一切のものに対して心を動かしてはならない。
私たちのたましいがきよめられて初めて、平和を得ることができる。
次に来る節も、理由があってそこに置かれたように思われる。
この世にあって、私たちはどんなに平和であっても誤解を受ける。だが驚くには当たらない。
平和の君すら、その平和のために地上に火を投じられたからである。
主ご自身が、人類を愛し、いささかも悪をなさらなかったのに、
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」とある。
心の平和な者が敵に会った時にも驚かないために、次に
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」
とつけ加えられている。
このように、「平和をつくる者は幸いです」と宣言されているばかりか、その前後が祝福をもって取り囲まれている。

主よ。この七番目の幸いに登る恵みを与えてください。
私たちがまずきよくなり、そして平和をつくる者となるために、心をきよくしてください。
そしてあなたのために私たちが迫害された時、私たちの平和が臆病と失望に追われることがないように、たましいを強くしてください。

主の御名によってお祈りいたします。