5月12日(水)曇り
◆主は私の受ける分です。(詩篇119:57)

キリスト者よ。あなたの所有を見よ。そして世の人の分け前と比較せよ。
彼らのある者は土地を所有する。彼らは富み、収穫によってますます財産は増加している。
しかしあなたの神に比べれば、その収穫が何であろう。
はちきれそうな穀倉も神に比べれば何であろう。神は天のパンをもってあなたを養われる。

 

ある人々は、都会でその分け前をもつ。
彼らの富は豊かであり、収益は絶えず流入し、それはついに黄金のたまり場のようになる。
しかし神と比較すれば、その黄金が何であろう。
財産を食べて生きることはできず、霊のいのちは黄金では支えられない。
悩む良心の上に黄金を置いて、その苦痛がいやされるか。
黄金を気落ちした心に適用してみよ。
それは孤独なうめき、悲しみの一つでも軽減させるか。
しかし、あなたは神をもっている。そして神にあって、金や財産で買える以上のものをもっている。
ある者たちは、多くの人が愛するもの---賞賛や名声---を自分のものとしてもっている。
しかし、あなた自身に問え。おまえの神は、それらのもの以上ではないかと。
否、人生には富によっては和らげられない悲哀があり、
財産ではどうすることもできない臨終の時の深い求めがある。
しかしあなたが、神をあなたの分としてもつ時には、神以外の一切のものを合わせたよりも、はるかにまさるものをもつ。
主にあってすべての欠乏は---生においても死においても---満たされる。
神をあなたの分としてもつならば、あなたは真に富める者である。
なぜなら、主はあなたの必要を満たし、慰め、悲嘆を包み、歩みを導き、暗黒の谷間でもあなたと共にあり、そしてあなたを天の家に連れ帰り、あなたがとこしえに、主を自らの分として楽しむことを得させてくださるからである。
エサウは「私はたくさん持っている」と言った。これは世的な人が口にする最上のことばである。
しかしヤコブは「神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから」と答えた。
このことばは肉的な心では理解できない。

◆Charles Haddon Spurgeon著 「夕ごとに」より