8月15日(金) くもり
本日は理学療法士によるリハビリのTEST(週1回)があります。
これに合格することが退院の一つの目安になるといいます。
毎日リハビリに励み随分バンザイ運動ができるようになりました。
朝の創の消毒時 リンパ液を初めて(注射針を刺して)抜き、脇に挟まった感じがすっきりしました。
さぁて 今日のTESTは合格できるでしょうか・・・・・・・。

聖書日課

◆イサクは夕暮れ近く、黙想するため野に出かけた。創世記24:63 英訳

イサクの行為は、まことに賞賛すべきものであった。
もし怠惰な友と交わり、つまらないものを読みふけり、無益なことに多くの時を費やす人が、知恵を得るならば、今夢中になっている空しいものよりも、黙想するほうがはるかに有益であり、興味深いことであるのを見いだすであろう。
もし私たちがさらに孤独になるならば、従来よりもさらによく神を知り、さらに神に近く生活し、恵みに成長するであろう。
黙想は他の場所において集められた心の糧を反芻し、その中から真の栄養を引き出す。
イエスが黙想の主題となる時、その黙想は実に甘美なものである。
イサクはただひとり黙想している時に、リベカを見いだした。他の多くの者も、黙想の時に最愛の者を見いだしている。
イサクの選んだ場所も、強く賞賛されるべきである。野にあって、私たちは聖句を思い巡らす。
杉の木とヒソプ、天を飛び駆けるわしと草原に鳴く虫、そして広大な青空から一滴の露に至るまで、すべてのものは教訓に満ちている。
目が神によって開かれているならば、その教訓は書物を読むよりも、はるかに生き生きと私たちの心にひらめくのである。
小さい私の部屋は、野原のように健全ではなく、暗示的でもなく、居心地もよくなく、私たちを力づけることもない。
私たちは何ものをも平凡だとか汚れているとか考えないようにしよう。
すべての被造物がその創造主を指し示していることを感じ取ろうではないか。
そうすれば、野原はただちに聖別されるであろう。

イサクの黙想の時期も、まことによかった。
日没となり、あたりが夕やみに包まれるころはたましいの休息に最適だ。
世の憂いを捨て、天上の交わりの喜びに入る。
夕日の輝きは私たちに驚異の念を起こさせ、近づく夜の荘厳さは、畏怖の心を目覚めさせる。
愛する友よ。もし今日の仕事が許すならば、一時間を割いて、夕暮れの野原を散歩するとよい。
しかしそれができなくても、主は町の中にもおられる。
またあなたの部屋で、あるいは街の雑踏の中であなたに会われる。
あなたの心を進み出させ、主にお会いせよ。


『朝ごとに』By Charles Haddon Spurgeon