7月13日(日) 晴れ
聖日の朝、礼拝をお献げする為に教会に集い 心から主をほめたたえ、力いっぱい主を賛美いたしました。
最近礼拝説教をGOSPELにアップする作業を怠けていました。暫らくぶりに礼拝説教のまとめです。

今日の聖書の箇所はローマ書12章より

『 この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、
完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。
だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。
いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、
慎み深い考え方をしなさい。』
ローマ人への手紙12章2・3節

『 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって
互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。
祝福すべきであって、のろってはいけません。
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。
自分こそ知者だなどと思ってはいけません。』
ローマ人への手紙12章9〜16節



この箇所から「私たちの心ー高ぶり」と題してみことばを取り次いで頂きました。

私たちクリスチャンは何か立派なこと・清い行いをしたので救われたというのではありません。
しかし、救われたあと、以前と同じであるということはあり得ないことです。
信仰が生活に現れていなければそれは救われているとはいえないのではないでしょうか。
『救いは行いによらず ただ信仰による』
と信じる私たち福音主義者は、救われたあとのあり方を軽視する傾向にあるのではないでしょうか。
聖書は高ぶる心を注意しなさい、慎み深い考え方をしなさいと言っています。
慎み深いとは 消極的な考え方・態度を示すものではなく、 
聖書の基準に照らした考え方・態度のことです。
私たちは弱い者で ・威張る・卑屈の両極端になりがちだからです。
救いは神の一方的な哀れみに拠るものであり、確かに主はなんどでも赦して下さるのですが、
いつまでも罪を犯しては赦して頂くことの反復で果たして良いのでしょうか?
私たちはこの世と調子を合わせやすい者です。
ですからこの世の(新聞等の)基準ではなく、聖書の基準で、みことばを食べるようにして
みことばの糧を日々頂き、蓄え、整えられたクリスチャンにして頂きましょう。