2003 06/01 21:51
Category : 日記
本日は台風一過の青空が広がりました。
最近怠け気味で、礼拝説教がたまってしまいました。
今夜は5月25日のバイブルクラス学びを
Gospelに1アップです。
同じものをDiaryにも記します。
■「成熟への道」ヤコブの手紙1章2〜12節
[私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、
とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。
疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。
富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。
なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。
太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。
すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。
同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。
試練に耐える人は幸いです。
耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、
いのちの冠を受けるからです。]
新約聖書にはヤコブという人物は4人登場します。
・アルパヨの子 ヤコブ(小ヤコブ)
・イスカリオテでない使徒ユダの父 ヤコブ
・ゼベダイの子 ヤコブ
・主の兄弟である ヤコブ
ヤコブの手紙は 主の兄弟ヤコブが AD45〜48頃に書かれたものであると考えられます。
当時国外に散っていたユダヤ人キリスト者が試練にあっているのを励まし、
信仰があれば行いはなくてもよいとする誤りを正した手紙です。
もちろん救われるのは パウロがローマ書で語った、信仰義認。
行いによって救われるのではなく、信じる信仰・・・・
恵みによって救われるという教理に反するものではありません。
救われたものであれば、救われた者にふさわしく
あらゆる生活の場面で信仰が現されるべきであり、
頭の中で知識としてのみではならないと語ります。
ヤコブ書は具体的な試練の中でどのようにするのか。という
信仰の行いについて記しています。
信仰の実践の中心となる聖句2−17で
『それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』
”野田秀先生の著書で
行いの強調というより謙遜について ヤコブ書は考えさせられ 吟味させられる。”とあります。
聖書には クリスチャンになっても試練は必ずあります。
・・・・生きている間 苦しみ悲しみ試練はあります。と書いてあります。
『あなたがたは、世にあっては患難があります。』ヨハネ16章33節
ではそのような苦しみにあったとき
私たちは この上もない喜びと思いなさいと・・・・・
(ふりをしなさいとは言っていません。)
この喜びは嬉しいとは違う もっと深い意味があります。
神様を試練の前に置くのです。
苦難の意味とは・・・・。
●1.信仰が試される。
もちろん全能であられる神は私達の信仰が本物であるかどうかご存知です。
本物のクリスチャンにしようと訓練なさるのです。
私達に期待をし、愛を持って 将来に備え育てようとなさるのです。
●2.忍耐が生じる
樹木が成長するとき年輪が出来、頑丈になっていきます。
同様に 忍耐することによって 軟弱でない
身の締まった強いクリスチャンに育っていくのです。
●3.成長した完全な者となる為
完全とは・・・・・神のような完全とは違います。
・あらゆる部分で充実し、成熟した
霊的な大人になるという意味があります。
神は成長したクリスチャンを私達の中に見ておられる。
有名な聖句 第�Tコリント10章13節
『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』
私達は潰れてしまうことはなく、必ず配慮がなされているというのです。
12節で「いのちの冠を受けるからです。」と結んであります。
私達はこの世の歩みを終えるとき
「よくやった、忠実な僕よ」と主に言って頂けるのです。
主よ感謝いたします。
天において いのちの栄冠に預かる身とされている
この約束を信じます。
どうぞあなたに贖われた者に相応しく
行いが伴ったクリスチャンとして歩むことが出来ますように、御前に整え導いて下さい。
尊い主イエスキリストのお名前によって祈ります。・・・・・アーメン
最近怠け気味で、礼拝説教がたまってしまいました。
今夜は5月25日のバイブルクラス学びを
Gospelに1アップです。
同じものをDiaryにも記します。
■「成熟への道」ヤコブの手紙1章2〜12節
[私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、
とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。
疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。
富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。
なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。
太陽が熱風を伴って上って来ると、草を枯らしてしまいます。
すると、その花は落ち、美しい姿は滅びます。
同じように、富んでいる人も、働きの最中に消えて行くのです。
試練に耐える人は幸いです。
耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、
いのちの冠を受けるからです。]
新約聖書にはヤコブという人物は4人登場します。
・アルパヨの子 ヤコブ(小ヤコブ)
・イスカリオテでない使徒ユダの父 ヤコブ
・ゼベダイの子 ヤコブ
・主の兄弟である ヤコブ
ヤコブの手紙は 主の兄弟ヤコブが AD45〜48頃に書かれたものであると考えられます。
当時国外に散っていたユダヤ人キリスト者が試練にあっているのを励まし、
信仰があれば行いはなくてもよいとする誤りを正した手紙です。
もちろん救われるのは パウロがローマ書で語った、信仰義認。
行いによって救われるのではなく、信じる信仰・・・・
恵みによって救われるという教理に反するものではありません。
救われたものであれば、救われた者にふさわしく
あらゆる生活の場面で信仰が現されるべきであり、
頭の中で知識としてのみではならないと語ります。
ヤコブ書は具体的な試練の中でどのようにするのか。という
信仰の行いについて記しています。
信仰の実践の中心となる聖句2−17で
『それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』
”野田秀先生の著書で
行いの強調というより謙遜について ヤコブ書は考えさせられ 吟味させられる。”とあります。
聖書には クリスチャンになっても試練は必ずあります。
・・・・生きている間 苦しみ悲しみ試練はあります。と書いてあります。
『あなたがたは、世にあっては患難があります。』ヨハネ16章33節
ではそのような苦しみにあったとき
私たちは この上もない喜びと思いなさいと・・・・・
(ふりをしなさいとは言っていません。)
この喜びは嬉しいとは違う もっと深い意味があります。
神様を試練の前に置くのです。
苦難の意味とは・・・・。
●1.信仰が試される。
もちろん全能であられる神は私達の信仰が本物であるかどうかご存知です。
本物のクリスチャンにしようと訓練なさるのです。
私達に期待をし、愛を持って 将来に備え育てようとなさるのです。
●2.忍耐が生じる
樹木が成長するとき年輪が出来、頑丈になっていきます。
同様に 忍耐することによって 軟弱でない
身の締まった強いクリスチャンに育っていくのです。
●3.成長した完全な者となる為
完全とは・・・・・神のような完全とは違います。
・あらゆる部分で充実し、成熟した
霊的な大人になるという意味があります。
神は成長したクリスチャンを私達の中に見ておられる。
有名な聖句 第�Tコリント10章13節
『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』
私達は潰れてしまうことはなく、必ず配慮がなされているというのです。
12節で「いのちの冠を受けるからです。」と結んであります。
私達はこの世の歩みを終えるとき
「よくやった、忠実な僕よ」と主に言って頂けるのです。
主よ感謝いたします。
天において いのちの栄冠に預かる身とされている
この約束を信じます。
どうぞあなたに贖われた者に相応しく
行いが伴ったクリスチャンとして歩むことが出来ますように、御前に整え導いて下さい。
尊い主イエスキリストのお名前によって祈ります。・・・・・アーメン