5月26日(水) 晴れ
◆あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。詩篇55:22

思い煩いや心配は、たとえ正当な理由があっても、度を過ごすと罪の性質をもつようになる。
心配するなとの教えは、救い主が再三再四くり返し熱心に説かれたものであり、使徒たちによってもくり返された。
この教えを無視する者は必ず過ちに陥る。なぜなら思い煩いの本質は、私たちが自分を神よりも賢いと思い、自分自身を神の位置に置いて、神が私たちにしようとされることを、自分のほうから神のためにしようとすることだからである。
私たちのことを神がお忘れになることがあると想像して、神の代わりに考えようとし、
あるいは、神が私たちの重荷を負うことができないとか、それを欲しておられないとか考えて、自分の重荷を自分で負おうとして苦しむのである。
主の明らかな教えに対するこのような不従順、主の領分に割り込もうとする高慢はすべて罪である。
それだけでなく、思い煩いはしばしば罪の行為に発展する。素直にすべてを神の御手にゆだねられず、自分で重荷を負おうとする者は、自分の労を軽くするために悪い手段を取るように誘惑されがちである。
この罪の結果、神を相談相手とすることに見切りをつけて、代わりに人間の知恵を求めるようになる。
これは「泉」に行かず、「こわれた水ため」に行くことであり、昔のイスラエル人の陥った罪に陥ることである。
思い煩いは神のいつくしみを疑わせ、その結果、神に対する私たちの愛は冷却する。
私たちは神に不信を抱くようになり、聖霊を悲しませ、祈りは妨げられる。
一貫した行動がとれなくなり、生活は自己中心になる。
このように神に対する信頼の欠如は、私たちを神から離れさせ放浪させる。
しかし、もし私たちが神の御約束を単純に信じてすべての重荷を御手にゆだね、神が私たちを顧みてくださるので、「何も思い煩わない」ならば、私たちは神の近くを歩むことができ、また多くの誘惑に対する力を与えられる。



『 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。

その人があなたに信頼しているからです。』

◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より