8月30日(土) くもり
昨日、元気に退院いたしました。皆様の篤いお祈り感謝を致します。
スポルジョン氏の8/30「夕ごとに」より、また改めて”主の癒し”の真実をみことばから示され 励まされています。ありがとうございます。

今朝の聖書日課

◆私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。(エレミヤ17:14)

◆わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。(イザヤ57:18)

霊の病をいやすことは、神のみがもっておられる大権である。
肉体の病は、人が仲介していやされるかもしれない。
しかしその時ですら薬に効力を与え、人体に病を追い払う力を与えてくださる神をあがめるべきである。
霊の病に至っては、偉大ないやし主の手のみがこれをいやす。
そして神は、ご自分の独占権としてそれを主張される。
「わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす」と。
「わたしは主、あなたをいやす者である。」
このことばは、人のくちびるからは出すことのできない約束であり、永遠の神の御口からのみ出る。
そのゆえに、詩篇の作者は主に向かって叫んだ。
「主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。」
さらにまた「私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」
敬虔な人々が主の御名を賛美する時も、同じように「主は私たちのすべての病をいやす」と言う。
人を造られた方は、人を回復させることができる。私たちの性質を造られた方は、それを新しく造り変えることができる。
キリストのうちに「神の満ち満ちたご性質が形をとって宿って」いることは、どれほどすばらしい慰めだろうか。
私のたましいよ。おまえの病がどのようなものであっても、この偉大ないやし主はいやすことができる。
このいやし主が神であられる以上、その力に限界はない。
だから、暗くて理解力がないなら、そのままで来い。
弱くなった足、信仰のない手、短気の熱、失望落胆の発作の状態のままで来い。
あなたの現在あるままの姿で来ればよい。もう何ものも、神である主イエスから流れ出るいやしの力をさえぎることはできない。
汚れた霊のレギオンも、愛する医師の力を認め、決して妨げようとはしなかった。
過去において、主の患者はすべていやされた。これから後もまたそうである。
友よ。主のうちに憩うことを願うなら、あなたもその一人となるであろう。

By Charles Haddon Spurgeon