8月24日(日)晴れ
主日礼拝をお献げすることが出来感謝でした。

礼拝説教はルカ書12章29〜34節から
「あなたの宝のあるところ」と題してみことばを取次いで頂きました。

[12:29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、

と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。

12:30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。

しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。

12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。

そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。

12:32 小さな群れよ。恐れることはありません。

あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

12:33 持ち物を売って、施しをしなさい。

自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。

そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。

12:34 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。]



私達は人生において何を一番大切にするのでしょうか。

詩篇37:25には
「私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、

その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。」

とあります。

主に従うならば 私達のライフラインは
            ・与えられるであろう。
            ・与えられるかもしれない。ではなく
31節にはっきりと、・与えられます。と記されています。

信仰のあらゆる妨げになるものより、あなたがたは、神の国を求めなさい。
と教えます。
食べることはどうでも良いとはおっしゃらないのです。
優先順位・・・・・・●神の国と義とを求めなさい。
          ●神を第一とし神の喜ばれる生活をしなさい。と教えています。
神は食べ物がないと生きられないということを 百も承知なのです。

マタイ19章16節からの箇所に お金持ちの青年が
「永遠のいのちを得るためにはどのようなことをしたら良いのでしょう」
と質問する箇所があります。
答えは 「神を第一としなさい」でした。
この青年は、この世のこと、この世の基準を持っていながら
神にも従おうとしていたのです。
私達は 神の国と世に同時に仕えることは出来ません。
ともすれば、お金を頼りし、経済が満たされると良いと考えてしまいがちです。

ローマ書13:8「 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。」

・自分の収入に見合った生活をするように
・計画的に使うように と勧めます。
まず収入があったら1/10を神に献げるために取り分けておくことです。

マタイ6章3・4
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが隠れているためです。
そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

また献げるときは、人に分からないようにするだけでなく、
自分でも忘れるように、そのように献げなさい。 と聖書は教えています。

先人のことば

一生を終えて残るのは 私達が集めたものではなく

私達が 与えたものである