8月13日(水)雨 時々曇り
朝からの雨で今日の外出は しないことにしました。
体調は良好です。贅沢なもので、元気になってくると退屈とさえ感じてしまう・・・・・弱さを覚えます。
感謝して時を有意義に過ごさなければ。

今日の聖書日課・・・・・・・・・”今日の知恵・明日の知恵”より

◆人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。    箴言20:27

人間の良心は、神が人間の中に備えつけられたサーチライトです。
神が人間を造られた時、「いのちの息」(創世記2:7)を吹き入れられました。
ほかのすべての動物と違って、人間には良心があり、善と悪を判別します。
神を離れて罪の道を長く歩いてきた人間の良心は、曇ったりなまったりしているので、エレミヤは、
「人の心はすべてのものより偽るもので、はなはだ悪い」(エレミヤ17-9)とさえ言いました。
確かにそうです。しかし、すべての人の心の中に、この神の声・神のともしび・神のサーチライトがあることも事実でしょう。

姦淫の現場を押さえられた女を、パリサイ人たちはイエス・キリストのところへ連れてきました。

「律法によると石で打ち殺せとあるが、先生、あなたならどうします」

と言って、人のみじめで不幸な姿を、イエスを試す材料にしようとしました。
イエスはしばらくだまっておられましたが、やがて言われました。

「あなたがたの中で罪のない者が、まず石を投げなさい。」

すると、どうでしょう。人々は、一人去り二人去り、みなこそこそと姿を消してしまいました。
パリサイ人たちにも良心があったのです(ヨハネ8:3〜11)。
良心に責められる時、弱りはててはなりません。がっかりしてぺしゃんこになってはなりません。
自分でこそこそと「もうしません」などと決心してみたり、償いだといって自分をいじめたり痛めつけたりしてもいけません。
神の前に正直に告白し、キリストの血潮の中に、神の愛の中に、洗いざらい全部を投げ出しなさい。
光の中に投げ出したものは、みな光となるとさえ聖書は言うのです。
イエス・キリストの愛と十字架の血潮は、すべての人の良心のけがれを完全に洗いきよめます。

「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(�Tヨハネ1:7)