2003 06/12 00:06
Category : 日記
久しぶりにGospelをDiaryにアップいたしました。
というのは、レンタル日記帳の不具合で書き込みが出来ないのです。復旧待ちです。
5月18日の礼拝説教は出エジプト20章4〜6節
「偉大なる神と偉大なる人間」
と題してみことばの解き明かしをして頂きました。
『あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』
モーセが神様から告げられた十戒の第二の戒めです。
十戒は日本人にとっては厳しすぎるのではないかと言われる方があります。
この戒めは 一言で言うと偶像を拝まないことです。
たとえば ・お葬式で祭壇で手を合わせる・線香をあげる。
これは 拝むという行為です。
拝む行為をしないということは、遺体をないがしろにしたり、
・お墓の墓標に手を合わせないという行為が
お墓を粗末にするということでは決してありません。
クリスチャンは遺体を大切に扱いますし、お墓も大切にします。
●なぜ神以外のものを拝むことを禁ずるのか。
そこにはふたつの理由があります。
1.偶像を拝むことは 偉大な神を引き下げ 冒涜することである。
2.偶像を拝むことは 偉大な人間を貶めること
(自分自身を冒涜すること)になる。
神は霊であり、人格をお持ちの神様を形にすることは 不可能なことなのです。
私たちは形がないと(目に見えないと)解りにくい。
神でないもの、人間が作ったものを拝むことは滑稽です。
「キリスト教は十字架を拝むでしょう。マリア像を拝むでしょう。」
といわれた事がありますが、そのようなことはいたしません。
ウエストミンスター信仰教理問答集に
「神はどのようなお方か?」
この答えは 「神は霊であり、最も清く、最も賢く・・・・・・・・・・・。
(もっともっと続くのですがMEMOしきれませんでした。)
普遍で知り尽くせない、言い尽くせない神様である。」
要するに形にすることは出来ないお方なのです。
それでは神様を知るにはどうすればいいのでしょうか。
聖書は言います。
イエス・キリストを見なさいと。
『いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。」ヨハネの福音書1章18節
神様がどのようなお方であるかを知ったならば 像を作ろうなどとは思わないはずです。
・こういうお話があります。
未開の地に遣わされて宣教師が 原住民が病気になり持っていた薬を提供しました。
薬の服用によってその病気は治りました。
時が流れ 宣教師がその地を再び訪れた時、なんと薬のビンを大切に奉り
現地の人々が「お薬さま」と拝んでいたというのです。
笑うに笑えない話です。
私たち人間だけが神に似せて造られました。
神の似姿である人間には尊厳があります。
サルから進化したものでは決してないのです。
ですから、永遠を思うことが出来ます。
他の人を自分を犠牲にしても助けようという力があります。
神よりいくらか劣るものとして創造された人間が作り物の偶像を拝む・・・・・。
自分を偶像より下にすることで、自分を馬鹿にすることなのです。
人は神に似せて造られた存在であり、
神は愛してくださり、そのままで素晴らしいと言って下さるのです。
「あなたは高価で尊い」といわれる。
自分はだめですというのはいけません。
神の愛を裏切ることです。
●拝む=重大な行為
礼拝する・拝するとは、「ハイ従います」という意味です。
わたしは絶対服従しますと等しい行為なのです。
木や、金属、物・死者は命令を発することは出来ません。
天地万物を創造された神だけが人間に命令をすることがお出来になるのです。
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」エペソ書3章17-19
というのは、レンタル日記帳の不具合で書き込みが出来ないのです。復旧待ちです。
5月18日の礼拝説教は出エジプト20章4〜6節
「偉大なる神と偉大なる人間」
と題してみことばの解き明かしをして頂きました。
『あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』
モーセが神様から告げられた十戒の第二の戒めです。
十戒は日本人にとっては厳しすぎるのではないかと言われる方があります。
この戒めは 一言で言うと偶像を拝まないことです。
たとえば ・お葬式で祭壇で手を合わせる・線香をあげる。
これは 拝むという行為です。
拝む行為をしないということは、遺体をないがしろにしたり、
・お墓の墓標に手を合わせないという行為が
お墓を粗末にするということでは決してありません。
クリスチャンは遺体を大切に扱いますし、お墓も大切にします。
●なぜ神以外のものを拝むことを禁ずるのか。
そこにはふたつの理由があります。
1.偶像を拝むことは 偉大な神を引き下げ 冒涜することである。
2.偶像を拝むことは 偉大な人間を貶めること
(自分自身を冒涜すること)になる。
神は霊であり、人格をお持ちの神様を形にすることは 不可能なことなのです。
私たちは形がないと(目に見えないと)解りにくい。
神でないもの、人間が作ったものを拝むことは滑稽です。
「キリスト教は十字架を拝むでしょう。マリア像を拝むでしょう。」
といわれた事がありますが、そのようなことはいたしません。
ウエストミンスター信仰教理問答集に
「神はどのようなお方か?」
この答えは 「神は霊であり、最も清く、最も賢く・・・・・・・・・・・。
(もっともっと続くのですがMEMOしきれませんでした。)
普遍で知り尽くせない、言い尽くせない神様である。」
要するに形にすることは出来ないお方なのです。
それでは神様を知るにはどうすればいいのでしょうか。
聖書は言います。
イエス・キリストを見なさいと。
『いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。」ヨハネの福音書1章18節
神様がどのようなお方であるかを知ったならば 像を作ろうなどとは思わないはずです。
・こういうお話があります。
未開の地に遣わされて宣教師が 原住民が病気になり持っていた薬を提供しました。
薬の服用によってその病気は治りました。
時が流れ 宣教師がその地を再び訪れた時、なんと薬のビンを大切に奉り
現地の人々が「お薬さま」と拝んでいたというのです。
笑うに笑えない話です。
私たち人間だけが神に似せて造られました。
神の似姿である人間には尊厳があります。
サルから進化したものでは決してないのです。
ですから、永遠を思うことが出来ます。
他の人を自分を犠牲にしても助けようという力があります。
神よりいくらか劣るものとして創造された人間が作り物の偶像を拝む・・・・・。
自分を偶像より下にすることで、自分を馬鹿にすることなのです。
人は神に似せて造られた存在であり、
神は愛してくださり、そのままで素晴らしいと言って下さるのです。
「あなたは高価で尊い」といわれる。
自分はだめですというのはいけません。
神の愛を裏切ることです。
●拝む=重大な行為
礼拝する・拝するとは、「ハイ従います」という意味です。
わたしは絶対服従しますと等しい行為なのです。
木や、金属、物・死者は命令を発することは出来ません。
天地万物を創造された神だけが人間に命令をすることがお出来になるのです。
「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」エペソ書3章17-19