2002年11月の記事
2002 11/30 16:31
Category : 日記
今日は子供達の学校で、「グリーンフェスティバル」と呼ばれる学園祭のようなものが行われた
私たちの頃で言えば、学芸会なんだろうか?
演目も、展示することも、皆生徒が主体でまとめるらしく、家庭に配られた「招待状」には、子供達の手書きで作成された、お誘いの文章と教室の案内MAPがかかれていた
体育館を使った歌やお芝居などの発表会は、司会や照明なども子供達が行っていた。
多分、本当の裏方の先生たちの苦労は大変なものだと思うが、それぞれ任された仕事をこなす子供達の顔は、活き活きしていた
後半は展示の時間になる。学年毎に、テーマは決まっているらしいが、クラス毎でその取り扱い方も見かたも違っているので、覗いて歩くとなかなか面白い
隣のクラスや他の学年と競争しているのか?廊下を歩いていると、それぞれの教室に足を運んでもらおうとする子供達の勧誘合戦に逢う
「○年○組では、目の不自由な人の生活を実感してもらうために、アイマスクと杖で廊下を歩くことができま〜す、是非いらしてくださ〜い!」
「紙パックからのリサイクルで、紙漉体験が出きま〜ス!○年○組にお立ちよりくださ〜い」
顔見知りの子に逢ってしまったらもう大変!
「あ〜〜、○○ちゃんのお母さん!寄って行って!!」と両手を捕まれて、強制的に連行されてしまうことも有る。子供達にしてみれば、先生方も大事なお客様らしく、あちこちで手をグイグイ引っ張られて連れていかれる先生方を見かけた(笑)
まさに、学園祭といった感じで楽しかった
私たちが子供のころには無かった行事だが、一年に一回のこのお祭りを、親も子供も心待ちにしているのだった
私たちの頃で言えば、学芸会なんだろうか?
演目も、展示することも、皆生徒が主体でまとめるらしく、家庭に配られた「招待状」には、子供達の手書きで作成された、お誘いの文章と教室の案内MAPがかかれていた
体育館を使った歌やお芝居などの発表会は、司会や照明なども子供達が行っていた。
多分、本当の裏方の先生たちの苦労は大変なものだと思うが、それぞれ任された仕事をこなす子供達の顔は、活き活きしていた
後半は展示の時間になる。学年毎に、テーマは決まっているらしいが、クラス毎でその取り扱い方も見かたも違っているので、覗いて歩くとなかなか面白い
隣のクラスや他の学年と競争しているのか?廊下を歩いていると、それぞれの教室に足を運んでもらおうとする子供達の勧誘合戦に逢う
「○年○組では、目の不自由な人の生活を実感してもらうために、アイマスクと杖で廊下を歩くことができま〜す、是非いらしてくださ〜い!」
「紙パックからのリサイクルで、紙漉体験が出きま〜ス!○年○組にお立ちよりくださ〜い」
顔見知りの子に逢ってしまったらもう大変!
「あ〜〜、○○ちゃんのお母さん!寄って行って!!」と両手を捕まれて、強制的に連行されてしまうことも有る。子供達にしてみれば、先生方も大事なお客様らしく、あちこちで手をグイグイ引っ張られて連れていかれる先生方を見かけた(笑)
まさに、学園祭といった感じで楽しかった
私たちが子供のころには無かった行事だが、一年に一回のこのお祭りを、親も子供も心待ちにしているのだった
2002 11/30 16:30
Category : 日記
ココのところ、殆どプーで結構暇だった私
ところが、この週末からにわかに忙しくなってきた!!
明日は、子供達の学校で「グリーンフェスティバル」と呼ばれる、小学校番学園祭”が行われる
前半(8時半〜)は体育館を使って、学年毎に歌や合奏やお芝居を披露する。そして後半(10時半〜)は、各教室に分かれて、クラスごとに調べた事について、いろいろ展示をする。クラスによっては、それにまつわるゲームやクイズをやっているところもある
まさに学園祭と言った感じのお祭りだ
私は今年、広報委員なのでその取材と写真を撮らなくてはいけないのだ
さて何時からいけばいいのかな?って思ったら、なんと息子の歌は朝一番なのだという(苦笑)
そして、日曜日は早朝から新東京へ練習に行く。この次の土曜日に、また娘のレースが控えているからだ
そして月曜日には、息子の病院と、娘が来春から通う予定の、地元の中学校の新入生説明会が有る
火曜日には、学校の広報委員会
今のところ、水・木・金の予定は入っていないが、土曜日はレースなので、また3〜4時に起きなくてはいけないのだ
暇な時には、なんか暇過ぎて疲れる〜〜、なんて言っていたくせに、ちょっと予定が混んでくると、またまた「忙しくて疲れる!」なんて愚痴が出る
なんてまあ、私はワガママなんだろう?と自分でもあきれてしまう
それでも、あれこれいろんな事に首を突っ込んで、体験できる事はいいことだと思うので、寒さに負けずに頑張りましょう!
体を動かしてる方が、あんまり寒くないかも知れないもんね!
ところが、この週末からにわかに忙しくなってきた!!
明日は、子供達の学校で「グリーンフェスティバル」と呼ばれる、小学校番学園祭”が行われる
前半(8時半〜)は体育館を使って、学年毎に歌や合奏やお芝居を披露する。そして後半(10時半〜)は、各教室に分かれて、クラスごとに調べた事について、いろいろ展示をする。クラスによっては、それにまつわるゲームやクイズをやっているところもある
まさに学園祭と言った感じのお祭りだ
私は今年、広報委員なのでその取材と写真を撮らなくてはいけないのだ
さて何時からいけばいいのかな?って思ったら、なんと息子の歌は朝一番なのだという(苦笑)
そして、日曜日は早朝から新東京へ練習に行く。この次の土曜日に、また娘のレースが控えているからだ
そして月曜日には、息子の病院と、娘が来春から通う予定の、地元の中学校の新入生説明会が有る
火曜日には、学校の広報委員会
今のところ、水・木・金の予定は入っていないが、土曜日はレースなので、また3〜4時に起きなくてはいけないのだ
暇な時には、なんか暇過ぎて疲れる〜〜、なんて言っていたくせに、ちょっと予定が混んでくると、またまた「忙しくて疲れる!」なんて愚痴が出る
なんてまあ、私はワガママなんだろう?と自分でもあきれてしまう
それでも、あれこれいろんな事に首を突っ込んで、体験できる事はいいことだと思うので、寒さに負けずに頑張りましょう!
体を動かしてる方が、あんまり寒くないかも知れないもんね!
2002 11/28 22:45
Category : 日記
今、私の友達が傷ついている
私のくせっけを、上手になだめてくれる、魔法の手の持ち主。行き付けの美容院の友達だ
彼女は私と同い年だが、今は女手一人で、二人の娘さんを育てている。若い頃には、鈴鹿の4時間耐久にスカウトされたこともある、という女性ライダーだった
しかし、もう少しで話しがまとまる!というところで、転倒による怪我で駄目になってしまった
そのあといろいろあって美容師になった。もともと感性が豊かで、手先が器用だった彼女は、美容師としてもなかなかいい腕を持っていた
離婚した後、子供を育てながらも、数年前に自分の店を持った。彼女の店は繁盛していて、いつ行っても待たされたが、私はどうしても彼女に切って欲しくて。電車を乗り継いで通っていた
お店は年配のお客さんも多く、通りすがりにご婦人が「今日も一杯かしら?明日来るわね」と覗いては帰って行くことも珍しくはなかった
しかし、腸に持病を抱えていた彼女は、過労で倒れてしまいドクターストップで、やむなくお店を閉めることにしたのだ
話しを聞いて、私はさっそく親友と二人で彼女のお店に手伝いに行った
噂を聞いた人達が、次々に彼女に会いにやって来た
実は彼女は、体だけではなくて心も傷ついてしまっていた
。子供達のこれからのこと、年老いていく親のこと、そして繁盛はしていてもまだまだ借金だらけの店の経営。それらを一人で抱え込んで、必死に踏ん張って来た
しかし彼女は頑張り過ぎてしまい、体を壊してしまい、自信もなくしてしまったのだ
お店が少し落ちついて、お店を手伝っている娘さんも一緒にお茶を飲んだ。私たちは、彼女の好きなアールグレイの紅茶をさし入れに持って行ったのだ
少しホッとしたのか、友達は声を詰まらせて泣き出した
親友が彼女の肩を抱いて、そっと背中をトントンとたたいて「いいんだよ、そんなこと言わなくても」と言って、私のことをそっと見た
「今まで一杯頑張ったんだから、もう頑張らなくてもいいからね」私が言った。彼女の羽を休める場所に私たちがなれたらと、私は心からそう思った
私のくせっけを、上手になだめてくれる、魔法の手の持ち主。行き付けの美容院の友達だ
彼女は私と同い年だが、今は女手一人で、二人の娘さんを育てている。若い頃には、鈴鹿の4時間耐久にスカウトされたこともある、という女性ライダーだった
しかし、もう少しで話しがまとまる!というところで、転倒による怪我で駄目になってしまった
そのあといろいろあって美容師になった。もともと感性が豊かで、手先が器用だった彼女は、美容師としてもなかなかいい腕を持っていた
離婚した後、子供を育てながらも、数年前に自分の店を持った。彼女の店は繁盛していて、いつ行っても待たされたが、私はどうしても彼女に切って欲しくて。電車を乗り継いで通っていた
お店は年配のお客さんも多く、通りすがりにご婦人が「今日も一杯かしら?明日来るわね」と覗いては帰って行くことも珍しくはなかった
しかし、腸に持病を抱えていた彼女は、過労で倒れてしまいドクターストップで、やむなくお店を閉めることにしたのだ
話しを聞いて、私はさっそく親友と二人で彼女のお店に手伝いに行った
噂を聞いた人達が、次々に彼女に会いにやって来た
実は彼女は、体だけではなくて心も傷ついてしまっていた
。子供達のこれからのこと、年老いていく親のこと、そして繁盛はしていてもまだまだ借金だらけの店の経営。それらを一人で抱え込んで、必死に踏ん張って来た
しかし彼女は頑張り過ぎてしまい、体を壊してしまい、自信もなくしてしまったのだ
お店が少し落ちついて、お店を手伝っている娘さんも一緒にお茶を飲んだ。私たちは、彼女の好きなアールグレイの紅茶をさし入れに持って行ったのだ
少しホッとしたのか、友達は声を詰まらせて泣き出した
親友が彼女の肩を抱いて、そっと背中をトントンとたたいて「いいんだよ、そんなこと言わなくても」と言って、私のことをそっと見た
「今まで一杯頑張ったんだから、もう頑張らなくてもいいからね」私が言った。彼女の羽を休める場所に私たちがなれたらと、私は心からそう思った
2002 11/28 21:12
Category : 日記
私と親友が出会ったのは、もう4年前の事、子供達が毎週通っていた、インドアカート場だった
すごくチャーミングなのに、すごく気さくで明るい、素敵なママだった。子供達が仲良く遊ぶようになって、次第に私たちも話しをするようになって行った
カートは家族が1チーム。つまり、それぞれの家族はライバルチーム同志ということにもなる
そのせいか?お母さん達の中でいろいろしがらみが生まれはじめた。もともと、男っぽい気質の私は、どうもそいう言うのが苦手なので、なるべくその手の話にも輪にも入らないようにしていたら…
何時の間にか、私はターゲットになってしまっていた。うちのだんなの”瞬間湯沸器”的な性格も、お母さん達の格好の攻撃目標だったのだ
有る時、それがもとでトラブルが起こった。キッカケは、チョットした勘違いと行き違い。ただそれだけのことだったので、私はあまり気にしないようにしていたのだが、向こうはそれでは納まらなかったらしい。そして、私が必死になってなだめて押さえていただんなの堪忍袋の尾も切れてしまったのだだんなは、カートを辞める!と言い出した
「子供の為にやっているんだから!気にしないようにしようよ。」私が執り成しても、だんなの怒りは一向に納まらず、途方にくれそうになったその時電話が掛かってきた、親友からだった
トラブルの為に、サッサとカート場から引き上げて来てしまったので、私のことを心配して、深夜にも係わらず電話をくれたのだ
親友の心配そうな声に、「ありがとう、大丈夫」と応える私の隣で、だんなは「カート辞めるから、もう関係ない!って電話を切れ!」と怒鳴っている
私が「ごめんね」と言うと、彼女は「パパの性格はわかってるから大丈夫だよ」と笑ってくれた
あちらのだんなさんが、うちのだんなに話しをしてくれたり、また彼女が私を慰めてくれたり、その日、いったい何時まで彼女と話しをしていただろうか?
すっかり自信をなくしていた私に、彼女は、「誰がなんて言ったって、ママは私の友達だからね!だから、ずっと友達でいてね!」って何度も何度も言ってくれたのだ
そう親友一家がいてくれたから、家の子はカートを続けていられるし、私もこうやって元気にやっていられるのだ
私を拾ってくれた神様は、とびっきり素敵な幸運の女神だった
すごくチャーミングなのに、すごく気さくで明るい、素敵なママだった。子供達が仲良く遊ぶようになって、次第に私たちも話しをするようになって行った
カートは家族が1チーム。つまり、それぞれの家族はライバルチーム同志ということにもなる
そのせいか?お母さん達の中でいろいろしがらみが生まれはじめた。もともと、男っぽい気質の私は、どうもそいう言うのが苦手なので、なるべくその手の話にも輪にも入らないようにしていたら…
何時の間にか、私はターゲットになってしまっていた。うちのだんなの”瞬間湯沸器”的な性格も、お母さん達の格好の攻撃目標だったのだ
有る時、それがもとでトラブルが起こった。キッカケは、チョットした勘違いと行き違い。ただそれだけのことだったので、私はあまり気にしないようにしていたのだが、向こうはそれでは納まらなかったらしい。そして、私が必死になってなだめて押さえていただんなの堪忍袋の尾も切れてしまったのだだんなは、カートを辞める!と言い出した
「子供の為にやっているんだから!気にしないようにしようよ。」私が執り成しても、だんなの怒りは一向に納まらず、途方にくれそうになったその時電話が掛かってきた、親友からだった
トラブルの為に、サッサとカート場から引き上げて来てしまったので、私のことを心配して、深夜にも係わらず電話をくれたのだ
親友の心配そうな声に、「ありがとう、大丈夫」と応える私の隣で、だんなは「カート辞めるから、もう関係ない!って電話を切れ!」と怒鳴っている
私が「ごめんね」と言うと、彼女は「パパの性格はわかってるから大丈夫だよ」と笑ってくれた
あちらのだんなさんが、うちのだんなに話しをしてくれたり、また彼女が私を慰めてくれたり、その日、いったい何時まで彼女と話しをしていただろうか?
すっかり自信をなくしていた私に、彼女は、「誰がなんて言ったって、ママは私の友達だからね!だから、ずっと友達でいてね!」って何度も何度も言ってくれたのだ
そう親友一家がいてくれたから、家の子はカートを続けていられるし、私もこうやって元気にやっていられるのだ
私を拾ってくれた神様は、とびっきり素敵な幸運の女神だった
2002 11/28 13:24
Category : 日記
父が、兄弟で起こした会社の総務部長を勤めていたせいか、我家は元旦から
人の出入りが絶えない家だった。
子供としてはお客さんが多いほうがお年玉の入
りも多くなるので嬉しいのだが、その反面、客をもてなすための準備に、いろいろ
とこき使われることになる。
「餅は貧乏人の子に焼かせろ!」とよく言うが、私は根が貧乏性なのか? 小さい時から餅を焼くのが上手かったので、いつも台所
の片隅で餅焼き当番をさせられていた。
我家のお雑煮は、澄まし汁で仕立てた関東では良く見られるとてもシンプルなものである。
程よく焼き色がついた餅を、お雑煮用の少し大きめのおわんに行儀良く2つ並べる。そこへ切り三つ葉を少し乗せ、小さく切った鶏肉と姫なるとの入った熱いおすましを注ぐ。
ユラユラと立ち上る湯気の中からは、お出汁のいい匂いと共にすがすがしい三つ葉の薫りが、ほのかに薫っていた。
煮込んでいない餅は、最後の一口になるまで角が白くてシャンとしていた。その餅の角の几帳面さが、和服姿にピシッとノリの利いた割烹着を着て、忙しく立ち働いていた母の、キッチリあわせた襟元や足袋の白さと重なって見えた。
ほんのりピンクの姫なるとは、ほろ酔い加減のお客さん達の顔の色ともダブって見えた。
我家の元旦の風景が、お雑煮の中に映っていた。
人の出入りが絶えない家だった。
子供としてはお客さんが多いほうがお年玉の入
りも多くなるので嬉しいのだが、その反面、客をもてなすための準備に、いろいろ
とこき使われることになる。
「餅は貧乏人の子に焼かせろ!」とよく言うが、私は根が貧乏性なのか? 小さい時から餅を焼くのが上手かったので、いつも台所
の片隅で餅焼き当番をさせられていた。
我家のお雑煮は、澄まし汁で仕立てた関東では良く見られるとてもシンプルなものである。
程よく焼き色がついた餅を、お雑煮用の少し大きめのおわんに行儀良く2つ並べる。そこへ切り三つ葉を少し乗せ、小さく切った鶏肉と姫なるとの入った熱いおすましを注ぐ。
ユラユラと立ち上る湯気の中からは、お出汁のいい匂いと共にすがすがしい三つ葉の薫りが、ほのかに薫っていた。
煮込んでいない餅は、最後の一口になるまで角が白くてシャンとしていた。その餅の角の几帳面さが、和服姿にピシッとノリの利いた割烹着を着て、忙しく立ち働いていた母の、キッチリあわせた襟元や足袋の白さと重なって見えた。
ほんのりピンクの姫なるとは、ほろ酔い加減のお客さん達の顔の色ともダブって見えた。
我家の元旦の風景が、お雑煮の中に映っていた。
2002 11/26 00:23
Category : 日記
横浜に住む親友一家に誘われて、伊勢佐木町の酉の市に行ってきた。彼女の家は、商売をしている家なので、毎年欠かさず来ているのだという
小雨が降る中、参道を歩いていく
両脇には夜店が立ち並び、威勢のいい掛け声が飛び交う
こんなに大きなお祭りには、余り来た事が無い我家の子供達は、アッチコッチで引っかかり、人の多さも手伝って、なかなか前へ進めない
ようやく神社にたどり着き、参拝。初めて来た私達には、かなりの賑わいに感じたが、友人は例年よりかなり人出が少ないという
景気のせいだろうか?それとも雨という天気のせいなのだろうか?
それでも、横丁に入ると、両脇の夜店も多く、人の流れもかなりのものだった。
とにかく立ち止まっていられないし、チョロチョロとする子供達は、すぐ人ごみにまぎれてしまう
降ったり止んだりする雨のなか、アッチコッチの夜店を覗き、あれこれ買い食いしながら、やっとのことで熊手を売っている通りにたどり着いた
沿道の夜店よりも、ひときわ明るい裸電球のアーチの中に、見事な熊手が見上げる程の高さまで、ぎっしりと並べられていた
一抱えも、二抱えもある大きな熊手には、鮮やかな朱色の文字で、「売約済み」の文字。行き交う人も、それぞれの手に、御贔屓の店の熊手を抱え、見せびらかすようにして歩いて行く
誰かが熊手を買い求める度に、景気のイイ掛け声と共に三三七拍子が起こり、それが大きな拍手に変わる
その賑わいのなか、あちこち覗いて歩いているうちに、私も熊手が一つ欲しくなってきた
そう、これから私も「商売」をはじめるのだ。熊手のご縁だけに頼るつもりはないが、これも何かのご縁なのだから、商売繁盛にあやからない手はないと思ったのだ
取り敢えず、一番小さいのを買い求めようと物色していると、気のイイお兄さんが「今日で終わりだし、コッチの大きい方を半額にまけてやるよ!」と声を掛けてくれた
かくして、私は一番小さいのより、ちょっとだけ大きな熊手を手に入れることが出来た
来年は、もうチョット大きな熊手が買いに来れるように頑張らなくちゃ!と心に誓った私でした
小雨が降る中、参道を歩いていく
両脇には夜店が立ち並び、威勢のいい掛け声が飛び交う
こんなに大きなお祭りには、余り来た事が無い我家の子供達は、アッチコッチで引っかかり、人の多さも手伝って、なかなか前へ進めない
ようやく神社にたどり着き、参拝。初めて来た私達には、かなりの賑わいに感じたが、友人は例年よりかなり人出が少ないという
景気のせいだろうか?それとも雨という天気のせいなのだろうか?
それでも、横丁に入ると、両脇の夜店も多く、人の流れもかなりのものだった。
とにかく立ち止まっていられないし、チョロチョロとする子供達は、すぐ人ごみにまぎれてしまう
降ったり止んだりする雨のなか、アッチコッチの夜店を覗き、あれこれ買い食いしながら、やっとのことで熊手を売っている通りにたどり着いた
沿道の夜店よりも、ひときわ明るい裸電球のアーチの中に、見事な熊手が見上げる程の高さまで、ぎっしりと並べられていた
一抱えも、二抱えもある大きな熊手には、鮮やかな朱色の文字で、「売約済み」の文字。行き交う人も、それぞれの手に、御贔屓の店の熊手を抱え、見せびらかすようにして歩いて行く
誰かが熊手を買い求める度に、景気のイイ掛け声と共に三三七拍子が起こり、それが大きな拍手に変わる
その賑わいのなか、あちこち覗いて歩いているうちに、私も熊手が一つ欲しくなってきた
そう、これから私も「商売」をはじめるのだ。熊手のご縁だけに頼るつもりはないが、これも何かのご縁なのだから、商売繁盛にあやからない手はないと思ったのだ
取り敢えず、一番小さいのを買い求めようと物色していると、気のイイお兄さんが「今日で終わりだし、コッチの大きい方を半額にまけてやるよ!」と声を掛けてくれた
かくして、私は一番小さいのより、ちょっとだけ大きな熊手を手に入れることが出来た
来年は、もうチョット大きな熊手が買いに来れるように頑張らなくちゃ!と心に誓った私でした
2002 11/25 17:24
Category : 日記
この前のウイークエンドレースから、2週間ぶりの新東京サーキット
たった2週間しか経っていないのに、寒いこと寒いこと^^^^
かなりねぼすけになった太陽よりも、早起きをして、しかめっ面で低く垂れ込めた雲をかいくぐるようにして7時半に到着した
先に到着していたショップのお兄さんに「おはようございます」と挨拶したそばから、言葉が白くて小さな雲になる
実は明日、ココではフレッシュマンレースが開催される。家の娘がエントリーした、「ウイークエンドレース」とほぼ同レベルのレースなのだが
取り敢えず今は、「ウイークエンドレース」制覇(大げさな^^^)が目標なので、今回はエントリーせず、次のレースのシュミレーションのつもりで練習に来たのだ
9時の走行開始の時間になっても、それは雲っていて、一向に気温が上がる気配は無かったが、取り敢えず走らせてみる
かなり路面が滑るらしく、なかなかタイムが上がって来ないが、なんとなく今日は娘の気合が違っていた
走り始める前に、「今日は、コレまで言われたことを、どれだけキチント出きるかな?」と頭の中で確認をしているようだった
そのうち台数も増えてきたが、気温が低いせいか?全体的にタイムは伸びていなかったにも係わらず、娘は前回のレースとほぼ同じタイムにまで載せてきた。前回の課題であった、ブレ―キングにもかなり気を使って走っているようだった
「なかなかいい感じじゃないですか!」と娘の師匠でもあるショップのお兄さんが声を掛けてくれた
お昼休み、あったかお弁当で暖を取る。するとだんなが・・・
「本当は、クリスマスプレゼントのつもりだったんだけど」と、子供達が欲しがっていた、新しいポケモンのゲームソフトを出して来た
午前中の娘の頑張りに対して、のご褒美だった
午後の走行前に、すこしセッティングも変えた。リアのスタビライザーをはずしたのだ。リアの剛性を変える事で、少しでもグリップを稼ごうとしたのだ
その、だんなの読みが的中した!
午後に入って、急に車の動きが変わって、コーナーの入り口で、スッと向きが変わる用になったのだ
それによって、切り遅れていたように見えたコーナリングに余裕が出てきた
最初はその、レスポンスの良さに戸惑っていたように見えた娘だが、何周かするうちに、上手くタイミングをあわせてステアリングを切ってくる
すると、コーナー入り口の丁度いい位置で、車の向きがスゥーっと変わって、出口できれいに立ち上がってくる
そのために、ストレートのMAXスピードも伸びるようになってきた!
タイムもぐんぐん伸びてきて、前回のレースでの自己ベストよりも0.5秒UPした
なにより、練習中、他のカートとの走りが見劣りしなくなって来たのだ。強引にインに入られて抜かれても、クロスラインで立ちあがりで抜き返したりも出きるようになった
かなり楽しく走れたらしく、練習終了時間ギリギリまでキッチリ走って帰って来た
メカニックであるだんなも、師匠のお兄さんも満足!と言った感じのニコニコ顔
ようやくPITに戻ってきた娘は、カートから降りるとそのままへたり込んでしまった。
20分間、ずっとレースのようなバトル状態で走っていたので、カートを降りたとたんに力が抜けてしまったらしい
それでも、そうとう楽しく走れたのだろう。上気きた顔で、あそこではああで、ココではこうで・・・と、だんなに一生懸命カートの動きを説明していた
この前まで、痛くて仕方が無いといっていた、手も痛くないという。見ると、この前まであったマメもなくなっていた
それなりに大人用のカートに慣れてきたこと、娘の腕の力もついて来たこと、そして、リアの剛性が弱くなったぶん、無理やりカートを曲げなくても走れるようになり、ハンドリングが楽になったのだろう
この前のレースでは、手痛い洗礼を受けてしまったが、この次のレースでは一矢報えそうな、そんな光りが見えた練習だった
たった2週間しか経っていないのに、寒いこと寒いこと^^^^
かなりねぼすけになった太陽よりも、早起きをして、しかめっ面で低く垂れ込めた雲をかいくぐるようにして7時半に到着した
先に到着していたショップのお兄さんに「おはようございます」と挨拶したそばから、言葉が白くて小さな雲になる
実は明日、ココではフレッシュマンレースが開催される。家の娘がエントリーした、「ウイークエンドレース」とほぼ同レベルのレースなのだが
取り敢えず今は、「ウイークエンドレース」制覇(大げさな^^^)が目標なので、今回はエントリーせず、次のレースのシュミレーションのつもりで練習に来たのだ
9時の走行開始の時間になっても、それは雲っていて、一向に気温が上がる気配は無かったが、取り敢えず走らせてみる
かなり路面が滑るらしく、なかなかタイムが上がって来ないが、なんとなく今日は娘の気合が違っていた
走り始める前に、「今日は、コレまで言われたことを、どれだけキチント出きるかな?」と頭の中で確認をしているようだった
そのうち台数も増えてきたが、気温が低いせいか?全体的にタイムは伸びていなかったにも係わらず、娘は前回のレースとほぼ同じタイムにまで載せてきた。前回の課題であった、ブレ―キングにもかなり気を使って走っているようだった
「なかなかいい感じじゃないですか!」と娘の師匠でもあるショップのお兄さんが声を掛けてくれた
お昼休み、あったかお弁当で暖を取る。するとだんなが・・・
「本当は、クリスマスプレゼントのつもりだったんだけど」と、子供達が欲しがっていた、新しいポケモンのゲームソフトを出して来た
午前中の娘の頑張りに対して、のご褒美だった
午後の走行前に、すこしセッティングも変えた。リアのスタビライザーをはずしたのだ。リアの剛性を変える事で、少しでもグリップを稼ごうとしたのだ
その、だんなの読みが的中した!
午後に入って、急に車の動きが変わって、コーナーの入り口で、スッと向きが変わる用になったのだ
それによって、切り遅れていたように見えたコーナリングに余裕が出てきた
最初はその、レスポンスの良さに戸惑っていたように見えた娘だが、何周かするうちに、上手くタイミングをあわせてステアリングを切ってくる
すると、コーナー入り口の丁度いい位置で、車の向きがスゥーっと変わって、出口できれいに立ち上がってくる
そのために、ストレートのMAXスピードも伸びるようになってきた!
タイムもぐんぐん伸びてきて、前回のレースでの自己ベストよりも0.5秒UPした
なにより、練習中、他のカートとの走りが見劣りしなくなって来たのだ。強引にインに入られて抜かれても、クロスラインで立ちあがりで抜き返したりも出きるようになった
かなり楽しく走れたらしく、練習終了時間ギリギリまでキッチリ走って帰って来た
メカニックであるだんなも、師匠のお兄さんも満足!と言った感じのニコニコ顔
ようやくPITに戻ってきた娘は、カートから降りるとそのままへたり込んでしまった。
20分間、ずっとレースのようなバトル状態で走っていたので、カートを降りたとたんに力が抜けてしまったらしい
それでも、そうとう楽しく走れたのだろう。上気きた顔で、あそこではああで、ココではこうで・・・と、だんなに一生懸命カートの動きを説明していた
この前まで、痛くて仕方が無いといっていた、手も痛くないという。見ると、この前まであったマメもなくなっていた
それなりに大人用のカートに慣れてきたこと、娘の腕の力もついて来たこと、そして、リアの剛性が弱くなったぶん、無理やりカートを曲げなくても走れるようになり、ハンドリングが楽になったのだろう
この前のレースでは、手痛い洗礼を受けてしまったが、この次のレースでは一矢報えそうな、そんな光りが見えた練習だった
2002 11/24 08:45
Category : 日記
カート場とは不思議なもので、毎週のように通いはじめて4年になるが、「過ごしやすい」と思った日が殆ど無いのだ
つまり、「暑い」か「寒い」の両極端で、暑い時には物凄く暑くて、寒い時には半端じゃなく寒くなる
そして今の時期は、もう真冬のように寒い! 大体のカート場は、コンクリートとアスファルトばかりで、風や日差しをさえぎるものが殆ど無いので、天気のによって気温が左右されやすいのだろう。
そうなると、温かいものが欲しくなる。一応、カフェや自動販売機があるが、それでなくても高速道路の通行料やら、カート場の走行料(使用料)がかかるので、経費を最低限に押さえたい主婦としては、用意をして持って行くことになる
しかし早朝に家を出るのに、なかなか体を温めてくれるようなお弁当を4人分も用意するのは至難の技だ
あれこれ思考錯誤して、無い知恵を絞ってようやくたどり着いたのが、「麺類」のお弁当だ
「え?お弁当に麺類?」とお思いの方も多いだろう。一般的にお弁当といったら、いたみにくくて、汁気の少ないものを想像する
でも、チョットした工夫で麺類でも美味しいお弁当になる。
まずは、冷麦や細切りうどんなどを固めに茹で上げる。そして、水洗いをして、十分に水きりをしたら、一口サイズに丸めて、大きめのタッパ詰めていく
それから、つけ汁を作る。家では、豚汁だったり、野菜や油揚げなどを入れて、とき卵を流した「晴れママ風うどん汁」等を、かなり濃い目の味で作っておく。それを魔法瓶などの保温が出来る容器に入れて持っていくのだ
それとは別の保温できる水筒に、熱湯を用意しておく
夏は、麺がいたみやすいので、タッパのすきまに氷を一杯詰め込んでおくといい
準備はココまで、跡は痛みやすいものはクーラーボックス、保温したいものは他の保温用の入れ物に入れていけばいい
現地でいざ食べるぞ!という時になったら、麺の入ったタッパに、持ってきた熱湯を軽く掛けて面をほぐす。
深めのおわんを持って行き、そこにほぐした麺と、保温容器のつけ汁を入れ、熱湯を足せば出来あがり。寒さも手伝ってか、かなり美味しくいただける
荷物や、現地についてから時間の余裕がある時は、お鍋とカセットコンロを持って行き、現地で煮こみうどんを作るときもある。但し、カート場では、あちこちに走るためのガソリンが置いてあるので、火気厳禁の場所が多く、時間的にも余裕が無いことが多いので、なかなか実行できない。
カセットコンロが使える場所では、おでんや、シチュー、カレーなどをお弁当として持って行っている
夏は、市販の麺つゆの原液を持って行き、やはり食べる時に水で薄めればいいのだ。タッパの氷が徐々に解けるので、麺が伸びることなく、しかも冷たくなっているので、かなりサッパリと美味しく食べられる
コレから寒さに向かい、「今度はどんな暖かいお弁当にしようかな?」ともっとバリエーションを広げようと思っている私である
つまり、「暑い」か「寒い」の両極端で、暑い時には物凄く暑くて、寒い時には半端じゃなく寒くなる
そして今の時期は、もう真冬のように寒い! 大体のカート場は、コンクリートとアスファルトばかりで、風や日差しをさえぎるものが殆ど無いので、天気のによって気温が左右されやすいのだろう。
そうなると、温かいものが欲しくなる。一応、カフェや自動販売機があるが、それでなくても高速道路の通行料やら、カート場の走行料(使用料)がかかるので、経費を最低限に押さえたい主婦としては、用意をして持って行くことになる
しかし早朝に家を出るのに、なかなか体を温めてくれるようなお弁当を4人分も用意するのは至難の技だ
あれこれ思考錯誤して、無い知恵を絞ってようやくたどり着いたのが、「麺類」のお弁当だ
「え?お弁当に麺類?」とお思いの方も多いだろう。一般的にお弁当といったら、いたみにくくて、汁気の少ないものを想像する
でも、チョットした工夫で麺類でも美味しいお弁当になる。
まずは、冷麦や細切りうどんなどを固めに茹で上げる。そして、水洗いをして、十分に水きりをしたら、一口サイズに丸めて、大きめのタッパ詰めていく
それから、つけ汁を作る。家では、豚汁だったり、野菜や油揚げなどを入れて、とき卵を流した「晴れママ風うどん汁」等を、かなり濃い目の味で作っておく。それを魔法瓶などの保温が出来る容器に入れて持っていくのだ
それとは別の保温できる水筒に、熱湯を用意しておく
夏は、麺がいたみやすいので、タッパのすきまに氷を一杯詰め込んでおくといい
準備はココまで、跡は痛みやすいものはクーラーボックス、保温したいものは他の保温用の入れ物に入れていけばいい
現地でいざ食べるぞ!という時になったら、麺の入ったタッパに、持ってきた熱湯を軽く掛けて面をほぐす。
深めのおわんを持って行き、そこにほぐした麺と、保温容器のつけ汁を入れ、熱湯を足せば出来あがり。寒さも手伝ってか、かなり美味しくいただける
荷物や、現地についてから時間の余裕がある時は、お鍋とカセットコンロを持って行き、現地で煮こみうどんを作るときもある。但し、カート場では、あちこちに走るためのガソリンが置いてあるので、火気厳禁の場所が多く、時間的にも余裕が無いことが多いので、なかなか実行できない。
カセットコンロが使える場所では、おでんや、シチュー、カレーなどをお弁当として持って行っている
夏は、市販の麺つゆの原液を持って行き、やはり食べる時に水で薄めればいいのだ。タッパの氷が徐々に解けるので、麺が伸びることなく、しかも冷たくなっているので、かなりサッパリと美味しく食べられる
コレから寒さに向かい、「今度はどんな暖かいお弁当にしようかな?」ともっとバリエーションを広げようと思っている私である
2002 11/21 16:35
Category : 日記
学校から帰って来た娘が、「今日、担任の先生から、電話があるから」と私に言った。「え?あんたなんか悪いことしたの?」と私
「違うよ!うちのクラスのKのことで電話くれるんだって」と娘。K君とは、娘の学校で1番のやんちゃ坊主だ
「Kがね、またココのところ私に暴力振るってくるのよ。だから、そのことだってさ」話しの内容とは違って、娘は他人事のように話している
「だってさ、K君がやんちゃなのは今に始まったことじゃないじゃん?あんた1年の時から一緒なんだか知ってるでしょ?」「まあね、今日また蹴られたからさ、そのことじゃない?」やっぱり、他人事のように娘は答えた
「でさ、そのことで学校に行きたくないとか思う?」と聞くと。「ううん、全然」
そのうち電話がかかって来た。「目に余るので、私も厳しく注意をしましたし、席を離したりという処置は講じますので」平身低頭私に頭を下げて謝る担任の先生
でも、私にしてみたら、それはおかしな話しだと思う。別にそのことは、先生のせいではないと思うのだ。だからと言って、K君の親御さんが謝りに来い!とい訳ではない。K君は、ただのやんちゃ坊主なのだ
その証拠に、授業中でも、先生の前でも暴れる。つまり、良くいう”いじめ”とは違う。娘もそう理解しているらしかった
あれは小学校に入って初めての授業参観の日で、算数の時間だった。娘はその頃算数が苦手だったにも係わらず、黒板に答えを書かなくてならなくなった
数人の子が当てられた中娘の答えだけが違っていたが、娘は気がつかずに自分の席へ
「あ〜あ。」と私が思った瞬間、机の間にそっと隠れながら動く陰があった、なんとK君だった。そのまま忍び足で黒板に近寄ると、娘の答えを正しい答えに書きなおして席に戻った
担任の先生も、お母さんたちも何くわぬ顔をして席に座っているK君のことがおかしくて、笑いをこらえるのに大変だった
そう、K君は本当は優しい子なのだ。
それを証拠に、2学年違ううちの息子は、K君に仲良く遊んでもらったり、助けてもらったりしているという
私は担任の先生に、娘についてのフォローは私がしますので、学校としてやるべき指導や処置はお任せします。と伝えて電話を切った
ま、今晩にでも娘の愚痴をじっくり聞いてやろうかな?
「違うよ!うちのクラスのKのことで電話くれるんだって」と娘。K君とは、娘の学校で1番のやんちゃ坊主だ
「Kがね、またココのところ私に暴力振るってくるのよ。だから、そのことだってさ」話しの内容とは違って、娘は他人事のように話している
「だってさ、K君がやんちゃなのは今に始まったことじゃないじゃん?あんた1年の時から一緒なんだか知ってるでしょ?」「まあね、今日また蹴られたからさ、そのことじゃない?」やっぱり、他人事のように娘は答えた
「でさ、そのことで学校に行きたくないとか思う?」と聞くと。「ううん、全然」
そのうち電話がかかって来た。「目に余るので、私も厳しく注意をしましたし、席を離したりという処置は講じますので」平身低頭私に頭を下げて謝る担任の先生
でも、私にしてみたら、それはおかしな話しだと思う。別にそのことは、先生のせいではないと思うのだ。だからと言って、K君の親御さんが謝りに来い!とい訳ではない。K君は、ただのやんちゃ坊主なのだ
その証拠に、授業中でも、先生の前でも暴れる。つまり、良くいう”いじめ”とは違う。娘もそう理解しているらしかった
あれは小学校に入って初めての授業参観の日で、算数の時間だった。娘はその頃算数が苦手だったにも係わらず、黒板に答えを書かなくてならなくなった
数人の子が当てられた中娘の答えだけが違っていたが、娘は気がつかずに自分の席へ
「あ〜あ。」と私が思った瞬間、机の間にそっと隠れながら動く陰があった、なんとK君だった。そのまま忍び足で黒板に近寄ると、娘の答えを正しい答えに書きなおして席に戻った
担任の先生も、お母さんたちも何くわぬ顔をして席に座っているK君のことがおかしくて、笑いをこらえるのに大変だった
そう、K君は本当は優しい子なのだ。
それを証拠に、2学年違ううちの息子は、K君に仲良く遊んでもらったり、助けてもらったりしているという
私は担任の先生に、娘についてのフォローは私がしますので、学校としてやるべき指導や処置はお任せします。と伝えて電話を切った
ま、今晩にでも娘の愚痴をじっくり聞いてやろうかな?
2002 11/20 22:02
Category : 日記
今、新しいHPを作っている
無料で200Mまで使えて、商業利用もOKというところを見付けたのだ
一応簡単にページを作ることが出来るようにはなっているのだが、出きれば自分の思うように作りたい!と思い
あれこれ知恵を絞って頑張っている
フロントページEXを使ってトップページを作る
表題の文字や、メニューの文字もワードアートを使って自分で作ったり
一つリンク付けをするのにも、あっちもコッチもやらなくてはならなくて、なかなか思ったように表示されないが
やっているうちに、段々とHTMLなるものの仕組みが分かってきた
昔、ほんの少しかじっただけの乏しい知識で、その時に買った『HTML辞典』なるものを首っ引きで、1日中かかりっきりでやっている
晴れて皆様にお披露目することが出来る日を夢見て!
無料で200Mまで使えて、商業利用もOKというところを見付けたのだ
一応簡単にページを作ることが出来るようにはなっているのだが、出きれば自分の思うように作りたい!と思い
あれこれ知恵を絞って頑張っている
フロントページEXを使ってトップページを作る
表題の文字や、メニューの文字もワードアートを使って自分で作ったり
一つリンク付けをするのにも、あっちもコッチもやらなくてはならなくて、なかなか思ったように表示されないが
やっているうちに、段々とHTMLなるものの仕組みが分かってきた
昔、ほんの少しかじっただけの乏しい知識で、その時に買った『HTML辞典』なるものを首っ引きで、1日中かかりっきりでやっている
晴れて皆様にお披露目することが出来る日を夢見て!
2002 11/18 22:36
Category : 日記
私は学生時代に、右膝を手術している
短大で芸術系の学科に在籍していた私は、授業で都内のある美術館に鑑賞に行った
その時丁度「ムンク展」が開催されていた
当時、ウエスタンブーツが流行っていて、ご多分に漏れず私も履いていた
美術館の床に、所々滑るところがあって、「気をつけなくちゃね」と友達と話している最中に、私はいきなり足元をすくわれたようになった
とっさにバランスを取ろうとして、着地に失敗し、膝が太ももと直角になった形でペタンと座りこんだ
一瞬膝に痛みが走り、めまいがしたことを覚えている
気がついたら、廻りを友達に囲まれていて、遠くで美術館の人らしい声がしていた
「大丈夫ですか?」と聞かれて、転んだ恥ずかしさのあまり「大丈夫ですから」とやっと応えた
さて、しばらくしてめまいも取れてきて立とうと思ったら、立てなかった
膝が上がらないのである
それでも、「派手に転んだ」という恥ずかしさと、持ち前の負けず嫌いで、特に引率の助手の人に声を掛けることも、再度美術館の人を呼んでもらうことも出来ず
そのまま、足の痛みをこらえて、竹橋の駅から地下鉄に乗り、電車を乗り継いで川崎の自宅まで帰った
なにせ、足を上げようとすると激痛が走るので、階段を昇る時も降りる時も、自分で自分の右足を持ち上げて一段一段クリアして行った。自分の足がやけに重くて、情けなくて泣きそうだった。そのため、自宅についたのはかなり遅い時間だった
一応説明したのだが、母は帰りが遅いとカンカンに怒っていて口もきいてくれなかった。仕方がなく、また足を持って3階の自分の部屋に行き、ズボンを脱ごうと思ったら。パンパンに膝が腫れ上がってしまって、脱げなかった
翌日病院に行って驚いた。なんと、膝の腱が切れていたのだ。ブーツで足首を固定していたために、転んだ瞬間、膝を支点にして真横にすごい力で足を引っ張られた状態になってしまったらしく、結果として腱を切ってしまったらしい
竹橋から、電車を乗り継いで帰って来たと話したら。お医者さんはかなりビックリしていた。「大の男でも、大声を上げてオイオイ泣くほど痛かったはずですよ!」医者の言葉を聞いて、カンカンだった母は、貧血を起こして倒れてしまったぐらいだ
手術しなくては治らないと言うことになって、約5時間の大手術をした。18歳の11月のことだった
その後、半年間松葉杖で生活した。リハビリ中は、物凄く痛くて辛くて泣かない日はなかったが、「正座もできなかったら、嫁の貰い手がない!」と母に叱咤されてどうにか普通に生活できるようになった
もう、20年以上前の傷なのに、今でもこの時期になると痛くなる時がある
ココ2〜3日がそうで、痛くてどうしようもない
こんな状態じゃ、外に働きに出るのは無理かしら?と真剣に思う
やっぱり、頑張ってライターになろう!なんて、かなり打算的ではあるが、決意を新たにしている私だった
短大で芸術系の学科に在籍していた私は、授業で都内のある美術館に鑑賞に行った
その時丁度「ムンク展」が開催されていた
当時、ウエスタンブーツが流行っていて、ご多分に漏れず私も履いていた
美術館の床に、所々滑るところがあって、「気をつけなくちゃね」と友達と話している最中に、私はいきなり足元をすくわれたようになった
とっさにバランスを取ろうとして、着地に失敗し、膝が太ももと直角になった形でペタンと座りこんだ
一瞬膝に痛みが走り、めまいがしたことを覚えている
気がついたら、廻りを友達に囲まれていて、遠くで美術館の人らしい声がしていた
「大丈夫ですか?」と聞かれて、転んだ恥ずかしさのあまり「大丈夫ですから」とやっと応えた
さて、しばらくしてめまいも取れてきて立とうと思ったら、立てなかった
膝が上がらないのである
それでも、「派手に転んだ」という恥ずかしさと、持ち前の負けず嫌いで、特に引率の助手の人に声を掛けることも、再度美術館の人を呼んでもらうことも出来ず
そのまま、足の痛みをこらえて、竹橋の駅から地下鉄に乗り、電車を乗り継いで川崎の自宅まで帰った
なにせ、足を上げようとすると激痛が走るので、階段を昇る時も降りる時も、自分で自分の右足を持ち上げて一段一段クリアして行った。自分の足がやけに重くて、情けなくて泣きそうだった。そのため、自宅についたのはかなり遅い時間だった
一応説明したのだが、母は帰りが遅いとカンカンに怒っていて口もきいてくれなかった。仕方がなく、また足を持って3階の自分の部屋に行き、ズボンを脱ごうと思ったら。パンパンに膝が腫れ上がってしまって、脱げなかった
翌日病院に行って驚いた。なんと、膝の腱が切れていたのだ。ブーツで足首を固定していたために、転んだ瞬間、膝を支点にして真横にすごい力で足を引っ張られた状態になってしまったらしく、結果として腱を切ってしまったらしい
竹橋から、電車を乗り継いで帰って来たと話したら。お医者さんはかなりビックリしていた。「大の男でも、大声を上げてオイオイ泣くほど痛かったはずですよ!」医者の言葉を聞いて、カンカンだった母は、貧血を起こして倒れてしまったぐらいだ
手術しなくては治らないと言うことになって、約5時間の大手術をした。18歳の11月のことだった
その後、半年間松葉杖で生活した。リハビリ中は、物凄く痛くて辛くて泣かない日はなかったが、「正座もできなかったら、嫁の貰い手がない!」と母に叱咤されてどうにか普通に生活できるようになった
もう、20年以上前の傷なのに、今でもこの時期になると痛くなる時がある
ココ2〜3日がそうで、痛くてどうしようもない
こんな状態じゃ、外に働きに出るのは無理かしら?と真剣に思う
やっぱり、頑張ってライターになろう!なんて、かなり打算的ではあるが、決意を新たにしている私だった
2002 11/18 15:38
Category : 日記
残業して帰って来たある日のこと、着替えもそこそこに
台所でせわしなく夕飯の支度をしていたら・・・
なんか娘の陰がチラッ、チラッと視界を横切る
ん?なんか、心なしか娘の視線も感じる気がする・・
ん?なんかあったのかな〜?
私は視界の端っこに娘の姿を置きながら
せわしなく夕飯の支度を続けていた
チラッとまた娘がこっちをみた
なんかちょっと落ちつかない感じだ。
学校でなんかあったかな?ん〜でも、それにしては
おしゃべりな娘のことだもん、黙っているわけが無い
なんだろな?。。。。。って考えていたら、あ、またみた
仕方が無い、聞いてやるか?
一段落したところで、私はワザと娘にお使いを頼んだ
そしてお使いから帰って来た娘を
「ご苦労様〜、寒かったでしょ?」といいながら
ギュ〜〜ウ、って思いっきり抱きしめた
娘はビックリしてたけど、でも。「うん♪」って頷いて
黙って私を見上げると、「ただいま〜」って言ってまた抱き着いてきた
「どうしたの?さっきからチラチラ見てたでしょ?
ん〜?なんか寂しかったの?抱っこして欲しかった?」
娘はちょっと照れたカオしながら、フフフと笑った
「う〜〜ん、大きな赤ちゃんだな〜?」
でもね、もう赤ちゃんじゃないんだよ?
だからね、ママはあなたの事を抱っこして上げることは出来ないよ?」
娘はいぶかしげな顔をしてる
「いい?赤ちゃんじゃないんだから、抱っこして運んでいってあげることは出来ないんだよ?
でもね、不安になったらいつでも抱きしめてあげるから
あなたは、あなたの足で歩いて行きなさいね?」
そう言ったら、娘は「うん、分かった!」と言ってやっとニッコリ笑っってくれた
台所でせわしなく夕飯の支度をしていたら・・・
なんか娘の陰がチラッ、チラッと視界を横切る
ん?なんか、心なしか娘の視線も感じる気がする・・
ん?なんかあったのかな〜?
私は視界の端っこに娘の姿を置きながら
せわしなく夕飯の支度を続けていた
チラッとまた娘がこっちをみた
なんかちょっと落ちつかない感じだ。
学校でなんかあったかな?ん〜でも、それにしては
おしゃべりな娘のことだもん、黙っているわけが無い
なんだろな?。。。。。って考えていたら、あ、またみた
仕方が無い、聞いてやるか?
一段落したところで、私はワザと娘にお使いを頼んだ
そしてお使いから帰って来た娘を
「ご苦労様〜、寒かったでしょ?」といいながら
ギュ〜〜ウ、って思いっきり抱きしめた
娘はビックリしてたけど、でも。「うん♪」って頷いて
黙って私を見上げると、「ただいま〜」って言ってまた抱き着いてきた
「どうしたの?さっきからチラチラ見てたでしょ?
ん〜?なんか寂しかったの?抱っこして欲しかった?」
娘はちょっと照れたカオしながら、フフフと笑った
「う〜〜ん、大きな赤ちゃんだな〜?」
でもね、もう赤ちゃんじゃないんだよ?
だからね、ママはあなたの事を抱っこして上げることは出来ないよ?」
娘はいぶかしげな顔をしてる
「いい?赤ちゃんじゃないんだから、抱っこして運んでいってあげることは出来ないんだよ?
でもね、不安になったらいつでも抱きしめてあげるから
あなたは、あなたの足で歩いて行きなさいね?」
そう言ったら、娘は「うん、分かった!」と言ってやっとニッコリ笑っってくれた
2002 11/18 12:08
Category : 日記
先日の叔父の法事の席で、従姉弟の友人の青年と世間話をしていた
その青年は、某人形作家のもとで助手をしている。大学に通っている時に、その作家の人形にあい、それからとりこになってしまったのだという「知らないでしょう?」と彼は言ったが
短大の芸術系の学科にいた私は、実はその手の話題にも通じていたりしたので、その人形作家の名前を言い当ててしまったことから話しが弾み始めたのだ
妖艶な作風で知られるその作家の作る人形の面立ちが、目の前にいる線の細い青年の顔に重なって見える
『普通にサラリーマンは出来ない、いわゆる引きこもりなんです』という彼に、私は「実はね、私も引きこもりの”け”があるの」と言うと
「また〜、アタラシもの好きなんだから〜!」と十歳も年の違う青年にいなされてしまった。「いいから聞いてよ、実はね・・・」と私の引きこもりの”け”についてのエピソードを話すと
彼は段々。「うんうん!」と頷きだして、そのうち手を叩いて大きな声で笑い出した
「一見そんな風に見えないですけどね〜。明るいし、人見知りしない感じで!」
「でしょ〜?隠れ引きこもりなのよ!」と言うと。酔いも手伝ってか?かなり彼のツボを突いてしまったらしい。座布団から転げ落ちて笑っていた
大体、40代も目の前だって言うのに、いきなりライターを目指そうなんて本気で考えてしまうこと自体、要素は大なのかもしれない
いや、内心私が『引きこもり』自体を悪いことだとは思っていないからこんな事が言えるのかも知れない
本当の引きこもりはもっと深刻なのかも知れないが、隠れ引きこもりのおばさんはこう思う
思う存分引きこんで、そしてそこから、「なんか動いてみようかな?」って思える時が来たら
思う存分動けばいいのではないかと
挫折も、引きこもることもない人間なんているはずがない。そこで引きこもってしまうかどうか?は、それはその人の甘えのせいでもなんでも無くて
それだけ感性が豊かなだけなのだ、心の重さの感じかたが違うだけなのだ
勇気なんて、ただ振り絞っても出てくるものではない、ようはキッカケの問題だと思う
思いっきり背筋を伸ばしてみたくなったら、その時自分の体のむいている方に歩き出せばいい
なんで地球は丸いのか?それはきっと、道は一本では無いからだと思う。どちらに歩き出したって、足は自分の前にニョキっと進み出るのだ
ライターとして引きこもらなければこなせなくなるくらい、仕事が出来るようになったらいいなぁ〜?なんて、見当違いのことを考えながら、法事からの帰宅の途を歩んでいた
その青年は、某人形作家のもとで助手をしている。大学に通っている時に、その作家の人形にあい、それからとりこになってしまったのだという「知らないでしょう?」と彼は言ったが
短大の芸術系の学科にいた私は、実はその手の話題にも通じていたりしたので、その人形作家の名前を言い当ててしまったことから話しが弾み始めたのだ
妖艶な作風で知られるその作家の作る人形の面立ちが、目の前にいる線の細い青年の顔に重なって見える
『普通にサラリーマンは出来ない、いわゆる引きこもりなんです』という彼に、私は「実はね、私も引きこもりの”け”があるの」と言うと
「また〜、アタラシもの好きなんだから〜!」と十歳も年の違う青年にいなされてしまった。「いいから聞いてよ、実はね・・・」と私の引きこもりの”け”についてのエピソードを話すと
彼は段々。「うんうん!」と頷きだして、そのうち手を叩いて大きな声で笑い出した
「一見そんな風に見えないですけどね〜。明るいし、人見知りしない感じで!」
「でしょ〜?隠れ引きこもりなのよ!」と言うと。酔いも手伝ってか?かなり彼のツボを突いてしまったらしい。座布団から転げ落ちて笑っていた
大体、40代も目の前だって言うのに、いきなりライターを目指そうなんて本気で考えてしまうこと自体、要素は大なのかもしれない
いや、内心私が『引きこもり』自体を悪いことだとは思っていないからこんな事が言えるのかも知れない
本当の引きこもりはもっと深刻なのかも知れないが、隠れ引きこもりのおばさんはこう思う
思う存分引きこんで、そしてそこから、「なんか動いてみようかな?」って思える時が来たら
思う存分動けばいいのではないかと
挫折も、引きこもることもない人間なんているはずがない。そこで引きこもってしまうかどうか?は、それはその人の甘えのせいでもなんでも無くて
それだけ感性が豊かなだけなのだ、心の重さの感じかたが違うだけなのだ
勇気なんて、ただ振り絞っても出てくるものではない、ようはキッカケの問題だと思う
思いっきり背筋を伸ばしてみたくなったら、その時自分の体のむいている方に歩き出せばいい
なんで地球は丸いのか?それはきっと、道は一本では無いからだと思う。どちらに歩き出したって、足は自分の前にニョキっと進み出るのだ
ライターとして引きこもらなければこなせなくなるくらい、仕事が出来るようになったらいいなぁ〜?なんて、見当違いのことを考えながら、法事からの帰宅の途を歩んでいた
2002 11/17 10:39
Category : 日記
先日亡くなった私の叔父の百か日と納骨があった
時間が経つのは早いものだ。亡くなったのはまだ暑い盛りの頃で、お通夜で蚊に刺されたり、喪服の裏地が汗でベトッと腕に貼りついてきて、気持ち悪い思いをしながら葬儀に参列したのがまるで昨日ことのように感じるのに。今朝は朝から雲が低く垂れ込めていて、とても寒い日だった
横浜に住む弟が、川崎の我家まで車で迎えに来てくれると言うので、喪服の上にコートも何も羽織らずに行ってしまった
私の喪服もそうなのだが、婦人用の喪服と言うのは、大概が半袖のワンピースと長袖の上着というアンサンブルだ。
故に、夏の告別式の時には酷く暑い思いをし、今日のような気候の日の法事では、寒くて仕方がない
お経とお説教が終わってからお墓に向かう。骨室の蓋を開けて”納骨”するのだが、コレが案外時間がかかった。
まあ、あんな大きな石を動かすのだから、仕方がないが、待っている人間にはその間の寒さがかなりこたえた
弟もコートを羽織っていなかったので、二人で従姉弟の手伝いをして、参列してくださった方々にお線香を配ったり、お花を持って行ったりと体を動かすことによって寒さを紛らわしていた
私の父は13人兄妹で、父は10男3女の9男坊だったらしいが、父が物心ついた時には男8人だけで、他の人は小さい時に亡くなってしまったらしい。その後戦争を迎え、無事に帰って来たのは4人だった
残った兄弟の中で、父と叔父の年が一番近く、父はいつも亡くなった叔父と一緒にいた。私にとってはもう一人の父親みたいな存在だった
豪快で、父と同じように口の悪い人だったが、どこか憎めないところも持った人で、交友関係の広い人だった。お線香の煙がユラユラと遺影の前を横切るのを見ていると、今でも叔父の豪快な笑い声が聞こえて来そうだった
私にはもう、両親はいない。そして今回また叔父を亡くした。世代交替という言葉があるが、まさに私はそのさなかにいるようだ。向かえて、受け止めてもらっていた立場から、先代を送り、次世代を受け止めてやるる世代になっってしまったのだろう
父や叔父がしてくれたように、私も子供達の世代を受け止めてやることが出きるだろうか?そんなことを漠然と思いながら、叔父との別れをしてきた
時間が経つのは早いものだ。亡くなったのはまだ暑い盛りの頃で、お通夜で蚊に刺されたり、喪服の裏地が汗でベトッと腕に貼りついてきて、気持ち悪い思いをしながら葬儀に参列したのがまるで昨日ことのように感じるのに。今朝は朝から雲が低く垂れ込めていて、とても寒い日だった
横浜に住む弟が、川崎の我家まで車で迎えに来てくれると言うので、喪服の上にコートも何も羽織らずに行ってしまった
私の喪服もそうなのだが、婦人用の喪服と言うのは、大概が半袖のワンピースと長袖の上着というアンサンブルだ。
故に、夏の告別式の時には酷く暑い思いをし、今日のような気候の日の法事では、寒くて仕方がない
お経とお説教が終わってからお墓に向かう。骨室の蓋を開けて”納骨”するのだが、コレが案外時間がかかった。
まあ、あんな大きな石を動かすのだから、仕方がないが、待っている人間にはその間の寒さがかなりこたえた
弟もコートを羽織っていなかったので、二人で従姉弟の手伝いをして、参列してくださった方々にお線香を配ったり、お花を持って行ったりと体を動かすことによって寒さを紛らわしていた
私の父は13人兄妹で、父は10男3女の9男坊だったらしいが、父が物心ついた時には男8人だけで、他の人は小さい時に亡くなってしまったらしい。その後戦争を迎え、無事に帰って来たのは4人だった
残った兄弟の中で、父と叔父の年が一番近く、父はいつも亡くなった叔父と一緒にいた。私にとってはもう一人の父親みたいな存在だった
豪快で、父と同じように口の悪い人だったが、どこか憎めないところも持った人で、交友関係の広い人だった。お線香の煙がユラユラと遺影の前を横切るのを見ていると、今でも叔父の豪快な笑い声が聞こえて来そうだった
私にはもう、両親はいない。そして今回また叔父を亡くした。世代交替という言葉があるが、まさに私はそのさなかにいるようだ。向かえて、受け止めてもらっていた立場から、先代を送り、次世代を受け止めてやるる世代になっってしまったのだろう
父や叔父がしてくれたように、私も子供達の世代を受け止めてやることが出きるだろうか?そんなことを漠然と思いながら、叔父との別れをしてきた
2002 11/15 23:19
Category : 日記
私は、小心者で優柔不断なA型なせいか?
ついつい歯に絹を着せた言い方になってしまうところがある
私の父はいわゆる「口の汚い」人だった。子供の目から見ても「常識から言っても、そんなこと言わないよな〜」って思ってしまうような悪口を(本人はそうは思っていないらしかったが)平気で本人の前で言うような所のある人だった
私も幼子頃に「そんなことを言わなくても」と思うようなこと言われて良く凹まされていた
そのせいか?ついつい「こんな言い方をしたら、相手はどんな風に思うだろうか?」と気にしすぎてしまうようだ
だからと言って、そんなに人間が出来ているわけではないので、人並みにいろんなことがカチンと来ていたりするものだから、心中穏やかでないことが多々あるのだ
物を書こう!と思ったきっかけには、そんな小心者の私が、本人を目の前にして言えないことを
「それは違うんじゃないかなぁ〜?と私は思うのだけれど皆さんはどうですか?」と、問いたくてはじめたようなところがある
改めて考え直してみると、私だけじゃなく皆もおかしいと思っているんだ!という味方が欲しかったのかも知れない。まあ、小心者の考え付きそうな一種の責任転化かもしれない
しかも私は、小心者の癖に負けず嫌いなところがある。へんなところ意地っ張りなのだ
そのせいか、手を振りかざすようにして、高飛車に物を言われると、それが正論でも、ついつい反論したくなってしまう
へそ曲がりなのかも知れない、と自分でも良く思うのだが、なかなかそのくせは治らない
しかし、いかに正論だったとしても、斜に構えて声高に唱えられると、コッチも構えて聞いてしまうせいか?その人の言葉や、本当の意味は心に響いては来ないような気がするのは私だけだろうか?
良く知られた童話に「北風と太陽」というのがあるが、まさにその状態のような気がする
コッチが依怙地になればなるほど、受けるほうも頑なに心を閉じてしまい、話しは平行線のままになってしまのではないだろうか?
あたたかく大らかな太陽のように、少し引いて説いてくれた方が、受ける側としてもキチント心で受けとめることが出来るような気がする
若さや、パワーがある人は、ついついそのままの勢いで走ってしまうことが多い。立ち止まることを知らないのか?立ち止まってしまうことを臆病だと思うのか?
私もそいうところがあったと思う。でも、立ち止まって見るのも良いものだと最近思うようになってきた。立ち止まって廻りを見てみると、結構気づかないで通り過ぎてしまった景色が見えて来たりする
そして、その景色には、新しい発見があったり、見過ごしてしまうにはあまりにももったい無いものが隠れている時もある
立ち止まることは、決して臆病なことでも
遠回りなことでもないと思うようになってきたのだ
誰かに物を言う時には、相手が見ている景色を自分も見る努力をしなくては行けない場合もあるのではないだろうか?
声高に自分の言いたいことを主張するだけでなく、相手の立場の目を持つことで、より良く相手に理解してもらえたり、受け入れてもらうことが出きるのではないかと思うからだ
今の私の場合は「物を言うこと=文章を書くこと」だ。
相手の目を意識して物を見る努力はそれなりにしてはいるが、小心者という生まれ持った性質は、なかなか克服することが出来ずにいる
もしかしたら、こんな小心者の私がライターになろうなんて、それこそ誰かの「物言い」がついてしまいそうなことなのかも知れない
ついつい歯に絹を着せた言い方になってしまうところがある
私の父はいわゆる「口の汚い」人だった。子供の目から見ても「常識から言っても、そんなこと言わないよな〜」って思ってしまうような悪口を(本人はそうは思っていないらしかったが)平気で本人の前で言うような所のある人だった
私も幼子頃に「そんなことを言わなくても」と思うようなこと言われて良く凹まされていた
そのせいか?ついつい「こんな言い方をしたら、相手はどんな風に思うだろうか?」と気にしすぎてしまうようだ
だからと言って、そんなに人間が出来ているわけではないので、人並みにいろんなことがカチンと来ていたりするものだから、心中穏やかでないことが多々あるのだ
物を書こう!と思ったきっかけには、そんな小心者の私が、本人を目の前にして言えないことを
「それは違うんじゃないかなぁ〜?と私は思うのだけれど皆さんはどうですか?」と、問いたくてはじめたようなところがある
改めて考え直してみると、私だけじゃなく皆もおかしいと思っているんだ!という味方が欲しかったのかも知れない。まあ、小心者の考え付きそうな一種の責任転化かもしれない
しかも私は、小心者の癖に負けず嫌いなところがある。へんなところ意地っ張りなのだ
そのせいか、手を振りかざすようにして、高飛車に物を言われると、それが正論でも、ついつい反論したくなってしまう
へそ曲がりなのかも知れない、と自分でも良く思うのだが、なかなかそのくせは治らない
しかし、いかに正論だったとしても、斜に構えて声高に唱えられると、コッチも構えて聞いてしまうせいか?その人の言葉や、本当の意味は心に響いては来ないような気がするのは私だけだろうか?
良く知られた童話に「北風と太陽」というのがあるが、まさにその状態のような気がする
コッチが依怙地になればなるほど、受けるほうも頑なに心を閉じてしまい、話しは平行線のままになってしまのではないだろうか?
あたたかく大らかな太陽のように、少し引いて説いてくれた方が、受ける側としてもキチント心で受けとめることが出来るような気がする
若さや、パワーがある人は、ついついそのままの勢いで走ってしまうことが多い。立ち止まることを知らないのか?立ち止まってしまうことを臆病だと思うのか?
私もそいうところがあったと思う。でも、立ち止まって見るのも良いものだと最近思うようになってきた。立ち止まって廻りを見てみると、結構気づかないで通り過ぎてしまった景色が見えて来たりする
そして、その景色には、新しい発見があったり、見過ごしてしまうにはあまりにももったい無いものが隠れている時もある
立ち止まることは、決して臆病なことでも
遠回りなことでもないと思うようになってきたのだ
誰かに物を言う時には、相手が見ている景色を自分も見る努力をしなくては行けない場合もあるのではないだろうか?
声高に自分の言いたいことを主張するだけでなく、相手の立場の目を持つことで、より良く相手に理解してもらえたり、受け入れてもらうことが出きるのではないかと思うからだ
今の私の場合は「物を言うこと=文章を書くこと」だ。
相手の目を意識して物を見る努力はそれなりにしてはいるが、小心者という生まれ持った性質は、なかなか克服することが出来ずにいる
もしかしたら、こんな小心者の私がライターになろうなんて、それこそ誰かの「物言い」がついてしまいそうなことなのかも知れない
2002 11/15 14:07
Category : 日記
娘が今朝、修学旅行の為に日光に出発した
といっても一泊で帰って来てしまうと言うのに、その荷物の大きいこと!
一応、配られた「しおり」なるものに従って準備したのだが、つめ込んでいるうちは良かったが、持ち上げようと思ったら、コレがすごく重い
「大丈夫〜?」としょわせて見ると、そのリュックは、置いてある時よりも大きく感じなかった
まあ、確かにこのリュックを買ったのは、娘が幼稚園のお泊り保育ではじめて外泊する時のことだから、もう6年も前になる。少し大きめではあったが、チャックで開閉できるマチがついているので、調節出きるからといって買ったのだ
娘は当時偏食で、かなり細くて小さかった子だったので、荷物の量も調整して、リュックのマチを締めて小さくして背負わせたにも係わらず、殆どリュックが動いているような感じでフラフラしていた
ところが、今回は「なんか小さいかな?」と感じるのだ。見た目だけで言えば6年間で倍の大きさに成長したような気がする
あまりに重い荷物に「ちょっと詰め過ぎなんじゃない?」ともう一度確認してみるが、余計な物は入っていなかった
11月の日光は、雪が降るときもあるほど寒く、川崎で言えば真冬の気候だそうだ。仕方がないか?
もう一度背負わせて見たが「重いけどこんぐらい平気!」と娘も言うので、忘れ物が無いようにもう一度しおりを確認させて準備を終えた
そして今朝、集合場所に行って見てビックリした。娘の荷物の倍はあろうか?というようなリュックを背負っているこもいれば、小さなリュック1つしか持っていない子もいるのだ
恐らく、着替えも下着ぐらいしか持っていかないのだろう
私はもともと用意周到にしておかないと気が済まない性質なので、しおりに書いてあるものは一通り用意してしまう
「あ〜、持ってくれば良かった!」と向こうで思うのが嫌なのだ。どうやら娘も私に似ているらしく、準備しながら「あれは持っていかなくていい?これは?」と聞いていた
へたすると旅行ではなく、引越しになってしまいそうにいろいろ持って行きたがるので、「たった1泊なんだからさ〜」と言って、しおりの指示に従うようにさせたのだった
かくして、娘は大きなリュックと共に修学旅行へ出発した
どんな思い出を、リュックに詰めこんで帰ってくるのか。今から明日の晩が楽しみだ
といっても一泊で帰って来てしまうと言うのに、その荷物の大きいこと!
一応、配られた「しおり」なるものに従って準備したのだが、つめ込んでいるうちは良かったが、持ち上げようと思ったら、コレがすごく重い
「大丈夫〜?」としょわせて見ると、そのリュックは、置いてある時よりも大きく感じなかった
まあ、確かにこのリュックを買ったのは、娘が幼稚園のお泊り保育ではじめて外泊する時のことだから、もう6年も前になる。少し大きめではあったが、チャックで開閉できるマチがついているので、調節出きるからといって買ったのだ
娘は当時偏食で、かなり細くて小さかった子だったので、荷物の量も調整して、リュックのマチを締めて小さくして背負わせたにも係わらず、殆どリュックが動いているような感じでフラフラしていた
ところが、今回は「なんか小さいかな?」と感じるのだ。見た目だけで言えば6年間で倍の大きさに成長したような気がする
あまりに重い荷物に「ちょっと詰め過ぎなんじゃない?」ともう一度確認してみるが、余計な物は入っていなかった
11月の日光は、雪が降るときもあるほど寒く、川崎で言えば真冬の気候だそうだ。仕方がないか?
もう一度背負わせて見たが「重いけどこんぐらい平気!」と娘も言うので、忘れ物が無いようにもう一度しおりを確認させて準備を終えた
そして今朝、集合場所に行って見てビックリした。娘の荷物の倍はあろうか?というようなリュックを背負っているこもいれば、小さなリュック1つしか持っていない子もいるのだ
恐らく、着替えも下着ぐらいしか持っていかないのだろう
私はもともと用意周到にしておかないと気が済まない性質なので、しおりに書いてあるものは一通り用意してしまう
「あ〜、持ってくれば良かった!」と向こうで思うのが嫌なのだ。どうやら娘も私に似ているらしく、準備しながら「あれは持っていかなくていい?これは?」と聞いていた
へたすると旅行ではなく、引越しになってしまいそうにいろいろ持って行きたがるので、「たった1泊なんだからさ〜」と言って、しおりの指示に従うようにさせたのだった
かくして、娘は大きなリュックと共に修学旅行へ出発した
どんな思い出を、リュックに詰めこんで帰ってくるのか。今から明日の晩が楽しみだ
2002 11/14 22:47
Category : 日記
ライターになろうと決めてから、少しづついろいろなことに挑戦している
先月末には、はじめての公募コンテストに応募した
そして、今月はメルマガに記事を載せてもらうべくせっせと書いて、今のところ3週連続で採用していただけた
ライター講座での課題にも一生懸命取り組んではいる
でも、まだライターとしては、歩き出すための靴を選んだ程度にしかなっていない気がする
お遊びではなく、仕事にしよう!という以上、自分に出来ることを今は精一杯やりたいのだ
取り敢えず今出来ることは、どんなものでもいいから在宅で仕事をすること
そうして、家で仕事をする為の基礎を今のうちにきちんと作っておかないと、念願のライターの仕事が来た時に対応できないかもしれないからだ
でも、在宅で仕事をするのはかなり大変だ。
まず仕事の依頼を取るのが大変!
良くある「自宅にいながらパソコンで〜」なんて言うのは、大概が「○十万の講習を受けていただいてからになります」とくる
そしてお決まりのセリフが「○十万とは言っても80%は帰ってきますし、少なくとも年間100万位は皆さん稼いでいますから」
はぁ〜?その100万という金額が、多いか少ないか?は別として、そのお金は労働の対価として得るものであって、決して浮いたお金ではないはず
つまり、講習費用の○十万という法外な金額を払うために働くわけではないのだから・・と思うのだが?こんなトークでだまされてしまう人もきっといるんだろうな〜とも思う
取り敢えず今は先立つものもないので、出費は最小限に押さえたい。でもクライアントに提示する実績のようなものは必要なので、近々日商のワープロ検定を受けることにした
他にも、拾得したい技術があるのだけど、そっちはお財布と相談している最中だ
今はとにかく、自分に出来ることいろいろチャレンジしていきたい!
そうして行くことで、きっとまた新しい明日が見えてくると思うから
先月末には、はじめての公募コンテストに応募した
そして、今月はメルマガに記事を載せてもらうべくせっせと書いて、今のところ3週連続で採用していただけた
ライター講座での課題にも一生懸命取り組んではいる
でも、まだライターとしては、歩き出すための靴を選んだ程度にしかなっていない気がする
お遊びではなく、仕事にしよう!という以上、自分に出来ることを今は精一杯やりたいのだ
取り敢えず今出来ることは、どんなものでもいいから在宅で仕事をすること
そうして、家で仕事をする為の基礎を今のうちにきちんと作っておかないと、念願のライターの仕事が来た時に対応できないかもしれないからだ
でも、在宅で仕事をするのはかなり大変だ。
まず仕事の依頼を取るのが大変!
良くある「自宅にいながらパソコンで〜」なんて言うのは、大概が「○十万の講習を受けていただいてからになります」とくる
そしてお決まりのセリフが「○十万とは言っても80%は帰ってきますし、少なくとも年間100万位は皆さん稼いでいますから」
はぁ〜?その100万という金額が、多いか少ないか?は別として、そのお金は労働の対価として得るものであって、決して浮いたお金ではないはず
つまり、講習費用の○十万という法外な金額を払うために働くわけではないのだから・・と思うのだが?こんなトークでだまされてしまう人もきっといるんだろうな〜とも思う
取り敢えず今は先立つものもないので、出費は最小限に押さえたい。でもクライアントに提示する実績のようなものは必要なので、近々日商のワープロ検定を受けることにした
他にも、拾得したい技術があるのだけど、そっちはお財布と相談している最中だ
今はとにかく、自分に出来ることいろいろチャレンジしていきたい!
そうして行くことで、きっとまた新しい明日が見えてくると思うから
2002 11/13 13:32
Category : 日記
JR川崎駅にほど近い街で私は育った。小さな商店街を一歩入ると、自転車も通れないような路地裏のあちこちには小さな工場があり、長屋やアパートがひしめくよう
に建っている街だった。
我家は、6畳と8畳そして3畳の板間、狭い台所とお風呂という小さな平屋だったが、下町には珍しく庭があり、その庭に面して縁側があった。そう、最近ではめっきりお目にかからなくなってしまった縁側があった。
アルミサッシなど言うものは殆ど普及していない頃に建てられた古い家だったので、窓はみな立て付けの悪い木の枠のガラス戸で、隙間風がかなり酷かったが、南側の庭に面した縁側には、いつも燦燦と陽がさし込んでいて、とても明るく温かく、私はいつもその縁側で遊んでいた。
近所の人や友達が遊びに来るのも玄関からではなくその縁側からだった。
母はよく、弟にその縁側の日溜りのなかでおっぱいを上げていて、私はそれを隣で見ているのが大好きだった。
私が幼稚園に上がる頃、家は建てなおされてしまい、縁側もなくなってしまった。つまり私がその家に住んでいたのはほんの数年なのだが、あの縁側の風景は、今でも私の
脳裏に鮮やかに残っている。
に建っている街だった。
我家は、6畳と8畳そして3畳の板間、狭い台所とお風呂という小さな平屋だったが、下町には珍しく庭があり、その庭に面して縁側があった。そう、最近ではめっきりお目にかからなくなってしまった縁側があった。
アルミサッシなど言うものは殆ど普及していない頃に建てられた古い家だったので、窓はみな立て付けの悪い木の枠のガラス戸で、隙間風がかなり酷かったが、南側の庭に面した縁側には、いつも燦燦と陽がさし込んでいて、とても明るく温かく、私はいつもその縁側で遊んでいた。
近所の人や友達が遊びに来るのも玄関からではなくその縁側からだった。
母はよく、弟にその縁側の日溜りのなかでおっぱいを上げていて、私はそれを隣で見ているのが大好きだった。
私が幼稚園に上がる頃、家は建てなおされてしまい、縁側もなくなってしまった。つまり私がその家に住んでいたのはほんの数年なのだが、あの縁側の風景は、今でも私の
脳裏に鮮やかに残っている。
2002 11/12 21:42
Category : 日記
どんなライターになりたいかということを一言で表したら、
私は迷わず『エッセイスト』と答える。
では、どんなエッセイストになりたいのか?と聞かれたら
向田邦子さんが書くようなエッセイが書ける人になりたいのだ。
私は向田邦子さんが好きだ。彼女のエッセイが好きだ。
始めて彼女の「父の詫び状」を手にした時、私はまだ学生だったと思う。
彼女のエッセイは、とても平易な言葉とあっさりした文章でテンポ良く書
かれていて、私にはとても読みやすかった。
それでいて彼女鋭い観察力と切り口を、おごりのない文体が
優しく包み込んでいて、読んでいると、とても自然にその光景や、
彼女の心情が手に取るようにに広がってきた。
如才なく飾らない彼女の人柄も凄くよく出ている気がした。
文章全体から伝わってくる、彼女の“人となり”にも私は惹かれて
いたのかもしれない。
「頭のいい人なんだな〜」、と凄くあこがれて、
「あんなエッセイ書けたらなぁ」と良く思いながら読み漁っていた時期があった。
彼女はエッセイの中で、自分が読んだ本のことや、その本の引用をしたりする。
すると今度はその本が読みたくなり、彼女のエッセイを片手に図書館で
引用された本を探してきては、また読む…の繰り返しだった。
彼女が心に映した景色を、私も見て見たかったのだ。
いつだったかある作家の談話が雑誌に載っていて、そこにこんなことが書いてあっ
た。
「物書きは、文章で頭の中に風景を作る。
だからその文章を組みたてると、1つの景色が出来るのだ」
私はどちらかと言うと、視点で物を書くほうかもしれない。
頭の中に浮かんだ風景を自分の視点で追いながら文章を書いていく感じなのだ。
脚本家だった向田さんもそのタイプのような気がする。
だから、これからいろんな景色を瞳の奥に焼きつけて、
私なりに伝えて行けるようなライターになれたらいいと思う。
出きればそこへ私なりの“人となりが”が出たら良いとも思う。
そのためには、もっと自分を磨き、自分の人生を楽しみ、魅力的にすることが必要
なのだと思う。
「私がなりたいライター」になるということは、私にとって人生の命題なのかもしれ
ない。
私は迷わず『エッセイスト』と答える。
では、どんなエッセイストになりたいのか?と聞かれたら
向田邦子さんが書くようなエッセイが書ける人になりたいのだ。
私は向田邦子さんが好きだ。彼女のエッセイが好きだ。
始めて彼女の「父の詫び状」を手にした時、私はまだ学生だったと思う。
彼女のエッセイは、とても平易な言葉とあっさりした文章でテンポ良く書
かれていて、私にはとても読みやすかった。
それでいて彼女鋭い観察力と切り口を、おごりのない文体が
優しく包み込んでいて、読んでいると、とても自然にその光景や、
彼女の心情が手に取るようにに広がってきた。
如才なく飾らない彼女の人柄も凄くよく出ている気がした。
文章全体から伝わってくる、彼女の“人となり”にも私は惹かれて
いたのかもしれない。
「頭のいい人なんだな〜」、と凄くあこがれて、
「あんなエッセイ書けたらなぁ」と良く思いながら読み漁っていた時期があった。
彼女はエッセイの中で、自分が読んだ本のことや、その本の引用をしたりする。
すると今度はその本が読みたくなり、彼女のエッセイを片手に図書館で
引用された本を探してきては、また読む…の繰り返しだった。
彼女が心に映した景色を、私も見て見たかったのだ。
いつだったかある作家の談話が雑誌に載っていて、そこにこんなことが書いてあっ
た。
「物書きは、文章で頭の中に風景を作る。
だからその文章を組みたてると、1つの景色が出来るのだ」
私はどちらかと言うと、視点で物を書くほうかもしれない。
頭の中に浮かんだ風景を自分の視点で追いながら文章を書いていく感じなのだ。
脚本家だった向田さんもそのタイプのような気がする。
だから、これからいろんな景色を瞳の奥に焼きつけて、
私なりに伝えて行けるようなライターになれたらいいと思う。
出きればそこへ私なりの“人となりが”が出たら良いとも思う。
そのためには、もっと自分を磨き、自分の人生を楽しみ、魅力的にすることが必要
なのだと思う。
「私がなりたいライター」になるということは、私にとって人生の命題なのかもしれ
ない。
2002 11/11 23:47
Category : 日記
この前、私の書いた記事が載ったメルマガに・・・
なんと3週連続で私の書いたサイトの紹介文が載ることになった!
なんかすごく嬉しい!!
紹介することになったサイトの方にも、私が書いた紹介文に目を通してもらうようにしているのだけれど
その方にも、「上手く書いてくれてありがとう」という言葉をもらった
まだまだ、ライターですなんて言えるようなことはなんにも出来ていなくて
あくまでも真似事に他ならないのは自分でも良く分かっているんだけど
今私に出来ることが他に見つかっていないので、自分なりにいろいろ考えて、その都度サイトを探し出しては記事を書いている
そろそろ仕事らしい仕事をしなくちゃいけないなぁ〜と思い
新聞の求人チラシとかで、テープ起こしの仕事へ申し込みをしたりしてる
上手く行くと良いんだけどな〜
でも、やっぱり、パートに出ないと駄目かしらん?とも思う
なんか私は、体を動かしている時(家事とかをしている時)の方が頭にいろいろと文章が浮かんでくるみたいだ
そう考えると、やっぱり短時間のパートとかの仕事をしながら書いていくほうがいいかなぁ〜?
今週末に、一本課題を提出しなくてはいけなくて、洗濯物を干したり、掃除をしたりしながら頭の中であれこれ文章を考えている
自分では気がついていないけど、多分「ブツブツ」言ってると思うんだよね?
パートの仕事しながらそんなんだったら、ヤバイよね?
なにかいい方法は無いだろうか?とまた一人で「ブツブツ」言いながら、家事をしている私でした
なんと3週連続で私の書いたサイトの紹介文が載ることになった!
なんかすごく嬉しい!!
紹介することになったサイトの方にも、私が書いた紹介文に目を通してもらうようにしているのだけれど
その方にも、「上手く書いてくれてありがとう」という言葉をもらった
まだまだ、ライターですなんて言えるようなことはなんにも出来ていなくて
あくまでも真似事に他ならないのは自分でも良く分かっているんだけど
今私に出来ることが他に見つかっていないので、自分なりにいろいろ考えて、その都度サイトを探し出しては記事を書いている
そろそろ仕事らしい仕事をしなくちゃいけないなぁ〜と思い
新聞の求人チラシとかで、テープ起こしの仕事へ申し込みをしたりしてる
上手く行くと良いんだけどな〜
でも、やっぱり、パートに出ないと駄目かしらん?とも思う
なんか私は、体を動かしている時(家事とかをしている時)の方が頭にいろいろと文章が浮かんでくるみたいだ
そう考えると、やっぱり短時間のパートとかの仕事をしながら書いていくほうがいいかなぁ〜?
今週末に、一本課題を提出しなくてはいけなくて、洗濯物を干したり、掃除をしたりしながら頭の中であれこれ文章を考えている
自分では気がついていないけど、多分「ブツブツ」言ってると思うんだよね?
パートの仕事しながらそんなんだったら、ヤバイよね?
なにかいい方法は無いだろうか?とまた一人で「ブツブツ」言いながら、家事をしている私でした
2002 11/11 22:29
Category : 日記
昨日の新東京は、本当に寒かった!
しかしいつも思うのだが、カート場で過ごしやすかったことは一度もない
つまり、いつも暑いか寒いかのどっちかだ
コンクリートとアスファルトだらけで、殆どさえぎるものが無いので、暑い時期はやたらと暑くて、寒い時期はひたすら寒いのだ
昨日もかなり寒かった。かなり着込んで行ったにもかからず、PITのコンクリートから寒さが這い上がってくる
風も強くて頬に刺さるように感じる
ガソリンを扱うのでそうそう暖を取れるようなものない
せいぜいポケットのなかに使い捨てカイロを忍ばせておくぐらいしかない
それでもまだ、新東京サーキットには最近給湯器がついて、片付けの後お湯で手を洗うことが出来るので大変助かるが
大概のサーキットでは、手を洗うところの水道は井戸水を使っているところが多いので、手が切れるか?と思うほど冷たいのだ
1日中、「寒い、寒い」と肩をすぼめているせいか?夏場よりもよけな力が体に入るのか?肩こりも疲れも酷いような気がする
今日も朝から体が重くて動けない
でも、昨日の洗濯物が山になっているし、明日は学校があるから体操着等も洗濯しなくちゃいけないし・・・
今週末には、娘が日光に修学旅行に出かけるので、そのための買い物にも行かなくちゃ行けなかった
仕方がない、エイッ!と一発気合を入れて動く事にした
コレからまだまだ寒さに向かうのだ、なにか良い対策を考えないと!と重い体を引きずりながら、廻らない頭で考えていた
しかしいつも思うのだが、カート場で過ごしやすかったことは一度もない
つまり、いつも暑いか寒いかのどっちかだ
コンクリートとアスファルトだらけで、殆どさえぎるものが無いので、暑い時期はやたらと暑くて、寒い時期はひたすら寒いのだ
昨日もかなり寒かった。かなり着込んで行ったにもかからず、PITのコンクリートから寒さが這い上がってくる
風も強くて頬に刺さるように感じる
ガソリンを扱うのでそうそう暖を取れるようなものない
せいぜいポケットのなかに使い捨てカイロを忍ばせておくぐらいしかない
それでもまだ、新東京サーキットには最近給湯器がついて、片付けの後お湯で手を洗うことが出来るので大変助かるが
大概のサーキットでは、手を洗うところの水道は井戸水を使っているところが多いので、手が切れるか?と思うほど冷たいのだ
1日中、「寒い、寒い」と肩をすぼめているせいか?夏場よりもよけな力が体に入るのか?肩こりも疲れも酷いような気がする
今日も朝から体が重くて動けない
でも、昨日の洗濯物が山になっているし、明日は学校があるから体操着等も洗濯しなくちゃいけないし・・・
今週末には、娘が日光に修学旅行に出かけるので、そのための買い物にも行かなくちゃ行けなかった
仕方がない、エイッ!と一発気合を入れて動く事にした
コレからまだまだ寒さに向かうのだ、なにか良い対策を考えないと!と重い体を引きずりながら、廻らない頭で考えていた
2002 11/11 21:59
Category : 日記
今日は新東京サーキットで行われた「ウイークエンドレース」に参加した
カートを始めてそろそろレースに出て見ようかな?と思う人は各コースで主催するローカルレースのフレッシュマンクラスに出ることになる
この「ウイークエンドレース」もそのうちのひとつだ
初心者用のレースということもあって、予選ヒートを2回やってくれる。
また、一般のカートのレースはローリングスタートといって、グリッドからヨーイドン!で出るのではなく
走りながら隊列を組んだ状態で最終コーナーから加速してスタートする方式なので、その隊列がキチント組めるまで、スタートを待ってくれたり、ジュニアや女性は最低重量が5キロ軽く設定されていたりという配慮がなされているのは特徴だ
今回娘は、一般のレースにはじめてエントリしたので、レースの結果よりもまず、最初にスタートする時の押し掛けが上手く出来ること。
そして、はじめてのローリングスタートで上手く隊列を組み、そのままの体制を崩さずにスムーズにスピードを上げてスタートすることが出来る事を目標にしていた
ま、練習不足の上きちんとしたセッティングも出ていないので、まともな順位が出せるわけもないのは分かっていたのだが
一般のレースに慣れるために1レースでも多く出た方が良いと言うショップのお兄さんの言葉を受けてエントリーすることにしたのだ
天気予報では曇りという事だったが、朝方はスッキリと晴れ渡り日差しはかなり暖かかった
だが段々と風が強くなってきて、雲も多くなってきたせいか、いまいち路面温度が上がらずグリップが悪いようだ
初心者用のレースとはいえ、さすがにカートのメッカ新東京サーキットでのレースとあって、レベルが高く、娘との実力の差は歴然だ。前回の練習で師匠に指摘されたブレーキングの課題をキチントクリアできていない娘にはかなりキツイレースになった
公式練習では、緊張のためか普段の元気な走りが出来ない娘。タイムトライアルでも、なかなか思うようにラインが取れない
最後尾スタートではあったが、予選の第1ヒートで少し元気に走り始め好調なスタートを切り、一台抜き必死で前を追いかけていたが
3コーナーでいきなり目の前の人のスピンに巻き込まれてしまう
80キロもあるカートを必死でコース外に出す娘、そこへようやくヘルプのためにコース内に入っただんなが到着!
でも、もう先頭集団が迫ってきてしまい、やむなく1周遅れでスタートしそのまま追いつくことは出来ずに終わる
予選第2ヒートでは、娘なりに無難な走りを見せ、自己ベストを更新するも及ばず
最後尾スタートのまま決勝を向かえる
押しがけはスムーズに行ったのだが、隊列を組む前の1コーナーでブレーキングのミスからコースアウト、1周だけスタートを待ってもらったが、隊列に追いつく前にスタートされてしまった
とりあえず周回遅れになることだけは避けられたが、今の娘の実力では追いつけるわけも無かった
そうして娘のレースは、取り敢えず当初の目標はクリアしたものの、手荒い洗礼を受けた形で終わったが、娘の走りの課題がしっかり見えたレースでもあった
娘の挑戦はまだ始まったばかり、また次の目標をひとつひとつクリアするために、練習の日々が待っている
カートを始めてそろそろレースに出て見ようかな?と思う人は各コースで主催するローカルレースのフレッシュマンクラスに出ることになる
この「ウイークエンドレース」もそのうちのひとつだ
初心者用のレースということもあって、予選ヒートを2回やってくれる。
また、一般のカートのレースはローリングスタートといって、グリッドからヨーイドン!で出るのではなく
走りながら隊列を組んだ状態で最終コーナーから加速してスタートする方式なので、その隊列がキチント組めるまで、スタートを待ってくれたり、ジュニアや女性は最低重量が5キロ軽く設定されていたりという配慮がなされているのは特徴だ
今回娘は、一般のレースにはじめてエントリしたので、レースの結果よりもまず、最初にスタートする時の押し掛けが上手く出来ること。
そして、はじめてのローリングスタートで上手く隊列を組み、そのままの体制を崩さずにスムーズにスピードを上げてスタートすることが出来る事を目標にしていた
ま、練習不足の上きちんとしたセッティングも出ていないので、まともな順位が出せるわけもないのは分かっていたのだが
一般のレースに慣れるために1レースでも多く出た方が良いと言うショップのお兄さんの言葉を受けてエントリーすることにしたのだ
天気予報では曇りという事だったが、朝方はスッキリと晴れ渡り日差しはかなり暖かかった
だが段々と風が強くなってきて、雲も多くなってきたせいか、いまいち路面温度が上がらずグリップが悪いようだ
初心者用のレースとはいえ、さすがにカートのメッカ新東京サーキットでのレースとあって、レベルが高く、娘との実力の差は歴然だ。前回の練習で師匠に指摘されたブレーキングの課題をキチントクリアできていない娘にはかなりキツイレースになった
公式練習では、緊張のためか普段の元気な走りが出来ない娘。タイムトライアルでも、なかなか思うようにラインが取れない
最後尾スタートではあったが、予選の第1ヒートで少し元気に走り始め好調なスタートを切り、一台抜き必死で前を追いかけていたが
3コーナーでいきなり目の前の人のスピンに巻き込まれてしまう
80キロもあるカートを必死でコース外に出す娘、そこへようやくヘルプのためにコース内に入っただんなが到着!
でも、もう先頭集団が迫ってきてしまい、やむなく1周遅れでスタートしそのまま追いつくことは出来ずに終わる
予選第2ヒートでは、娘なりに無難な走りを見せ、自己ベストを更新するも及ばず
最後尾スタートのまま決勝を向かえる
押しがけはスムーズに行ったのだが、隊列を組む前の1コーナーでブレーキングのミスからコースアウト、1周だけスタートを待ってもらったが、隊列に追いつく前にスタートされてしまった
とりあえず周回遅れになることだけは避けられたが、今の娘の実力では追いつけるわけも無かった
そうして娘のレースは、取り敢えず当初の目標はクリアしたものの、手荒い洗礼を受けた形で終わったが、娘の走りの課題がしっかり見えたレースでもあった
娘の挑戦はまだ始まったばかり、また次の目標をひとつひとつクリアするために、練習の日々が待っている
2002 11/08 09:34
Category : 日記
私はこの夏、職場のストレスから胃を壊し仕事を辞めた。
もうすぐ冬になろうって言うのに、まだなんとなく胃の調子がしっくり来ない
忘れたころに時々痛くなったりする、まだ治ってないのかな〜?なんて思いながら過ごしていたある日
夜中に突然胸が苦しくなった、とにかく左胸が苦しくて身動きも取れず
そのうち息もできなくなってきて、グリグリ痛くて、痺れてきた
ストレスが心臓に来たのかしら?このままじゃ死んじゃうかも!!って思って「ハッ」と目を覚ましたら・・・・?
私の視界に入ってきたのは、娘の太ももだった(汗)
隣の布団に寝ている娘の足が、あろうことか私の胸の上にドカン!と乗ってて、しかも膝でグリグリやっていたのだ!
「ったくぅ〜〜!!寝相悪いんだから(怒)」やっとのことで娘の足をどかして布団に納めた
家の子供達はやたらと寝相が悪い。布団というテリトリーを完全に無視して縦になったり、横になったり縦横無尽に動き回る
この前まで、娘は2段ベッドの上に寝ていたのだが、ある日ベッドの柵を思いっきり蹴飛ばしたらしく、その時「ミシッ」という鈍い音をだんなが聞いたというので
(ベッドがいつ崩れ落ちるかも知れないので)安全の為に私の隣の布団で寝ることになったのだが
その日から、私と娘の夜中の攻防が始まった
娘は大きなあざらしのぬいぐるみを抱きマクラにし、ぬいぐるみに添うようにして丸くなって寝ているので、娘が寝返りを打つと、そのあざらしが私の上に降ってくる
そのうち娘のあざらしはどこかに投げ飛ばされ、眠りながらそのあざらしを探す娘の手の先に私が寝ていたりするものだから
私はあざらしの変わりに、娘に羽交い締めにされることになる
しかも、あざらしに添うように娘が膝を曲げると、丁度私の腰のあたりにぶつかることになるので、私は羽交い締めにされたまま娘の膝蹴りの応酬に合うことになる・・・(汗)
溜まりかねて私が慌てて娘を起こすと「ン?あ、ごめん・・」と自分の布団に戻っていく
寝ている娘に罪はないことは分かっているんだけどね?
そろそろ冬になってきて、布団から出ると寒い季節になってきたから、少しは寝相もよくなるかな?なんて
ちょっと冬が来るのが嬉しかったりする私でした
もうすぐ冬になろうって言うのに、まだなんとなく胃の調子がしっくり来ない
忘れたころに時々痛くなったりする、まだ治ってないのかな〜?なんて思いながら過ごしていたある日
夜中に突然胸が苦しくなった、とにかく左胸が苦しくて身動きも取れず
そのうち息もできなくなってきて、グリグリ痛くて、痺れてきた
ストレスが心臓に来たのかしら?このままじゃ死んじゃうかも!!って思って「ハッ」と目を覚ましたら・・・・?
私の視界に入ってきたのは、娘の太ももだった(汗)
隣の布団に寝ている娘の足が、あろうことか私の胸の上にドカン!と乗ってて、しかも膝でグリグリやっていたのだ!
「ったくぅ〜〜!!寝相悪いんだから(怒)」やっとのことで娘の足をどかして布団に納めた
家の子供達はやたらと寝相が悪い。布団というテリトリーを完全に無視して縦になったり、横になったり縦横無尽に動き回る
この前まで、娘は2段ベッドの上に寝ていたのだが、ある日ベッドの柵を思いっきり蹴飛ばしたらしく、その時「ミシッ」という鈍い音をだんなが聞いたというので
(ベッドがいつ崩れ落ちるかも知れないので)安全の為に私の隣の布団で寝ることになったのだが
その日から、私と娘の夜中の攻防が始まった
娘は大きなあざらしのぬいぐるみを抱きマクラにし、ぬいぐるみに添うようにして丸くなって寝ているので、娘が寝返りを打つと、そのあざらしが私の上に降ってくる
そのうち娘のあざらしはどこかに投げ飛ばされ、眠りながらそのあざらしを探す娘の手の先に私が寝ていたりするものだから
私はあざらしの変わりに、娘に羽交い締めにされることになる
しかも、あざらしに添うように娘が膝を曲げると、丁度私の腰のあたりにぶつかることになるので、私は羽交い締めにされたまま娘の膝蹴りの応酬に合うことになる・・・(汗)
溜まりかねて私が慌てて娘を起こすと「ン?あ、ごめん・・」と自分の布団に戻っていく
寝ている娘に罪はないことは分かっているんだけどね?
そろそろ冬になってきて、布団から出ると寒い季節になってきたから、少しは寝相もよくなるかな?なんて
ちょっと冬が来るのが嬉しかったりする私でした
2002 11/07 14:38
Category : 日記
2〜3日前に、12歳になる長女に初潮が来た
まだまだ幼い長女は、その事に戸惑う様子でも無く、ただ訳がわかってない様子だ
最近はTVなどで、女性の体の仕組みなどを放送することも増えてきて、先日それを一緒に見たところだったので
それなりに受けとめているのだろうか?でも、私からみたら、娘は自分の体の成長をただ呆然と受け入れているように見えた
どちらにしても、めでたいことなのでお祝いをしなくちゃね、とだんなと話してて、自分の時のことを思い出した
その時私は中学生になっていたし、3つ違いの弟がいたこともあって、すごく恥ずかしい気がしていて、なんだかすごく複雑な気持ちだった。
そこへ、昔ながらにお赤飯でお祝いをされて、喜ぶべきなのか?って思いながらその食卓についていたのだ
娘に「お祝い」をする旨を説明して、なにか食べたいものは?と聞くと、迷わず「ピザ!」とかえってきた
弟と二人で、ピザ屋さんのチラシを取り合って喧嘩しながらメニューを決めている姿を見ると
やっぱり普段と変わらない幼いままの長女だったが、ピザが届いて私とだんなに「おめでとう!」といわれ、少しだけ恥ずかしそうにニコッと笑った時の笑顔は
気のせいか、少し大人びて見えた
少しづつ、秋から冬に季節が移り変わって行くように
子供達も成長をして行ってるんだなと、改めて子供達の顔を見つめなおして、そう思った
まだまだ幼い長女は、その事に戸惑う様子でも無く、ただ訳がわかってない様子だ
最近はTVなどで、女性の体の仕組みなどを放送することも増えてきて、先日それを一緒に見たところだったので
それなりに受けとめているのだろうか?でも、私からみたら、娘は自分の体の成長をただ呆然と受け入れているように見えた
どちらにしても、めでたいことなのでお祝いをしなくちゃね、とだんなと話してて、自分の時のことを思い出した
その時私は中学生になっていたし、3つ違いの弟がいたこともあって、すごく恥ずかしい気がしていて、なんだかすごく複雑な気持ちだった。
そこへ、昔ながらにお赤飯でお祝いをされて、喜ぶべきなのか?って思いながらその食卓についていたのだ
娘に「お祝い」をする旨を説明して、なにか食べたいものは?と聞くと、迷わず「ピザ!」とかえってきた
弟と二人で、ピザ屋さんのチラシを取り合って喧嘩しながらメニューを決めている姿を見ると
やっぱり普段と変わらない幼いままの長女だったが、ピザが届いて私とだんなに「おめでとう!」といわれ、少しだけ恥ずかしそうにニコッと笑った時の笑顔は
気のせいか、少し大人びて見えた
少しづつ、秋から冬に季節が移り変わって行くように
子供達も成長をして行ってるんだなと、改めて子供達の顔を見つめなおして、そう思った
2002 11/06 10:44
Category : 日記
多神教の国である日本には、いろんな神様がいる
キリスト教などの、唯一絶対、万能の神様を信じている人から見れば、不可解かも知れないが
山の神様、風の神様、火の神様etc. 森羅万象それぞれを、各々の神様が司っているという
挙句の果てには、貧乏にさえ神様を宿らせる始末だ
その神様が結構人間臭かったりして、喧嘩したり恋をしたりして、そこに神話が産まれてくる事にもなる
私は、宗教家でもなんでもないので、どちらがどうこうとは言えないが
私的にはそんないろんな神様がいる国に産まれて良かったような気がする
いろんな神様がいるからこそ、私のことを見捨てる神様もいれば、拾ってくれる神様もいるということになる
ところで、何にでも神様を宿らせるという発想はどこから来たのだろうか?と、ふと考えたことがあった
詳しく調べたわけではないが、多分それは勝手な人間の都合から来ているんじゃないか?と思う
上手く行っても行かなくても、それは神様のご機嫌次第。だから、神様にいい顔をしてもえらえるように、人は神様のご機嫌を取って一生懸命お祈りする
ただ祈るだけじゃあ神様はなかなかいい顔はしてくれないのでささげものをしたりもする
神様ばかりを頼っていても仕方がないので、「こんなに頑張っているんだから、神様、いい顔してね!」と一応自分でも一生懸命努力をする。
それでも上手くいくとばかりは限らないから、その時は神様のご機嫌のせいにする
でも、上手く行ったら。神様に一杯感謝する
いろんな神様がいるのだから、アッチでもコッチでもいろいろ感謝しながら生きていかなくちゃいけなくなる
でも、それが良いのかも知れないって、最近そんな気がする
いろんな神様に、色々とお世話になって、平穏無事に暮らせることはその神様皆のおかげなんだって、いろいろちょこちょこと感謝していく気持ちにつながっているような気がするんだ
だから私は、この国の神様達に、少しづつ守ってもらって生きているんだとそう思うことにしている
八百万の神々の宿る国で、それぞれのことを可愛がってくれる神様達を見つけて行けば、それで良いような気がしてる
キリスト教などの、唯一絶対、万能の神様を信じている人から見れば、不可解かも知れないが
山の神様、風の神様、火の神様etc. 森羅万象それぞれを、各々の神様が司っているという
挙句の果てには、貧乏にさえ神様を宿らせる始末だ
その神様が結構人間臭かったりして、喧嘩したり恋をしたりして、そこに神話が産まれてくる事にもなる
私は、宗教家でもなんでもないので、どちらがどうこうとは言えないが
私的にはそんないろんな神様がいる国に産まれて良かったような気がする
いろんな神様がいるからこそ、私のことを見捨てる神様もいれば、拾ってくれる神様もいるということになる
ところで、何にでも神様を宿らせるという発想はどこから来たのだろうか?と、ふと考えたことがあった
詳しく調べたわけではないが、多分それは勝手な人間の都合から来ているんじゃないか?と思う
上手く行っても行かなくても、それは神様のご機嫌次第。だから、神様にいい顔をしてもえらえるように、人は神様のご機嫌を取って一生懸命お祈りする
ただ祈るだけじゃあ神様はなかなかいい顔はしてくれないのでささげものをしたりもする
神様ばかりを頼っていても仕方がないので、「こんなに頑張っているんだから、神様、いい顔してね!」と一応自分でも一生懸命努力をする。
それでも上手くいくとばかりは限らないから、その時は神様のご機嫌のせいにする
でも、上手く行ったら。神様に一杯感謝する
いろんな神様がいるのだから、アッチでもコッチでもいろいろ感謝しながら生きていかなくちゃいけなくなる
でも、それが良いのかも知れないって、最近そんな気がする
いろんな神様に、色々とお世話になって、平穏無事に暮らせることはその神様皆のおかげなんだって、いろいろちょこちょこと感謝していく気持ちにつながっているような気がするんだ
だから私は、この国の神様達に、少しづつ守ってもらって生きているんだとそう思うことにしている
八百万の神々の宿る国で、それぞれのことを可愛がってくれる神様達を見つけて行けば、それで良いような気がしてる
2002 11/05 22:47
Category : 日記
今日は、私の従姉の長男の結婚式だった
私の実家は、従姉どうしが丁度8歳づつ離れている
私と今回結婚した子のお母さんとが8歳、そして私の8歳下にまた従妹がいる
そして、その従妹と8歳離れて、今回結婚した子が生まれたのだ
もともと従姉とは隣同士で育っているせいか、一般的な「いとこ」という関係ではなくて、殆ど姉妹という感じだった
しかも、今回結婚した子が小学校に上がるまで、私の家の近所に住んでいたので
その子は私にとって年の離れた弟のような存在だった
いとこが旦那さんの転勤で引越し、私も結婚して実家からは離れて
時々、法事などで会っては「随分大きくなったなぁ〜」なんて思っていたけど
突然結婚するという連絡をもらい、今日の結婚式に至った
久しぶりに会ったその子は、もう「子」なんて呼んでは失礼なほど、りりしく立派な男性になっていた
かわいい奥さんの隣で照れながらも、コレからの二人の未来をしっかりとしたまなざしで見据えているように見えた
なにか言葉を掛けようかな?っていろいろ考えていたんだけど
彼の顔を見たら「おめでとう」という言葉しか出てこなかった
まだ20代の前半で所帯を持とうという彼には、こんなおばさんのつまらない説教くさい言葉より
今を祝福して、一杯喜んであげることの方がいいような気がしたからだ
披露宴も終盤になり、お決まりの花束贈呈
新郎新婦から、それぞれのお父さんへ渡していた。すると、いきなり大きなテディベアが2つ運ばれて来た
「花束は、コレまで大きくしてくれたお父さん達に渡してあげて」といった二人のお母さんたちに、子供達からのちょっとしたプレゼントだった
しかも、そのテディベアは、新郎新婦それぞれが生まれた時の体重と同じ重さに作られたものなのだという
熊の足の裏の部分に、今日の日付と、それぞれの名前と産まれた日が刺繍してあった
さすがの従姉も、大粒の涙を流していた
スポットライトの中の彼の姿を見ていたとき、私は「ハッ」とした
彼らの姿が、一瞬子供達と重なって見えたのだ
今日家に帰ったら、息子と娘をギュッって抱きしめてやろう!彼らが私の元へ来てくれた日みたいに
そんな気持ちになる、とても素敵な結婚式だった
私の実家は、従姉どうしが丁度8歳づつ離れている
私と今回結婚した子のお母さんとが8歳、そして私の8歳下にまた従妹がいる
そして、その従妹と8歳離れて、今回結婚した子が生まれたのだ
もともと従姉とは隣同士で育っているせいか、一般的な「いとこ」という関係ではなくて、殆ど姉妹という感じだった
しかも、今回結婚した子が小学校に上がるまで、私の家の近所に住んでいたので
その子は私にとって年の離れた弟のような存在だった
いとこが旦那さんの転勤で引越し、私も結婚して実家からは離れて
時々、法事などで会っては「随分大きくなったなぁ〜」なんて思っていたけど
突然結婚するという連絡をもらい、今日の結婚式に至った
久しぶりに会ったその子は、もう「子」なんて呼んでは失礼なほど、りりしく立派な男性になっていた
かわいい奥さんの隣で照れながらも、コレからの二人の未来をしっかりとしたまなざしで見据えているように見えた
なにか言葉を掛けようかな?っていろいろ考えていたんだけど
彼の顔を見たら「おめでとう」という言葉しか出てこなかった
まだ20代の前半で所帯を持とうという彼には、こんなおばさんのつまらない説教くさい言葉より
今を祝福して、一杯喜んであげることの方がいいような気がしたからだ
披露宴も終盤になり、お決まりの花束贈呈
新郎新婦から、それぞれのお父さんへ渡していた。すると、いきなり大きなテディベアが2つ運ばれて来た
「花束は、コレまで大きくしてくれたお父さん達に渡してあげて」といった二人のお母さんたちに、子供達からのちょっとしたプレゼントだった
しかも、そのテディベアは、新郎新婦それぞれが生まれた時の体重と同じ重さに作られたものなのだという
熊の足の裏の部分に、今日の日付と、それぞれの名前と産まれた日が刺繍してあった
さすがの従姉も、大粒の涙を流していた
スポットライトの中の彼の姿を見ていたとき、私は「ハッ」とした
彼らの姿が、一瞬子供達と重なって見えたのだ
今日家に帰ったら、息子と娘をギュッって抱きしめてやろう!彼らが私の元へ来てくれた日みたいに
そんな気持ちになる、とても素敵な結婚式だった
2002 11/03 00:25
Category : 日記
11月からライター講座が始まった
コレからの3ヶ月間、色々と出される課題をこなしながら、ライターとしての基礎と実践を学んで行くことになる
さっそく課題が出されたが、私は子供のカートの練習で新東京サーキットへ行っていたため、メールチェックするのが遅れ、私が見た時には、もう早い人は課題を提出し始めていた
ううう^^^なんか早くも出遅れた感じ(汗)
でも期限は15日だし、いまさら焦っても仕方がない
ライターという仕事は、ある意味では人は人自分は自分!でないとやっていけないと思う
特に今回の課題は今まで私が考えていたことや、「何故ライターになりたいのか?」ということをもう一度考えて書くものなので
私なりに、じっくり考えて書けばいいのだ
早く課題をクリアし、1日も早く一人前のライターになりたいというはやる気持ちを押さえ
もう一度原点から自分を見つめ直して、自分なりに最高のものを出したいと思う
今回のライター講座は、「期日内に、決められた課題に対して取り組む」という、自分勝手に日記などを書いていたのでは体験できない技術を学ぶとともに
私が勝手には思いつかない「課題」に対してのチャレンジしたい!という思いもある
せっかく与えられた「考えて書く」というチャンスを、もっとユックリ楽しみたいと思うのだ
文章とは不思議なもので、ドキドキ、ワクワクしながら書いたものは、読む人にドキドキやワクワクを
そして楽しみながら書いたものは、やはり読み手に楽しい時間を与えてくれるものだと思う
私がこのチャレンジを楽しんで書くことで、それを読んでくれた人が楽しい気持ちになってくれたら
それはどんなに嬉しい事だろう
誰かに何かを伝えたい!その思いがいつも胸にある限り
きっとその思いは伝わるはずだと信じているから
コレからの3ヶ月間、色々と出される課題をこなしながら、ライターとしての基礎と実践を学んで行くことになる
さっそく課題が出されたが、私は子供のカートの練習で新東京サーキットへ行っていたため、メールチェックするのが遅れ、私が見た時には、もう早い人は課題を提出し始めていた
ううう^^^なんか早くも出遅れた感じ(汗)
でも期限は15日だし、いまさら焦っても仕方がない
ライターという仕事は、ある意味では人は人自分は自分!でないとやっていけないと思う
特に今回の課題は今まで私が考えていたことや、「何故ライターになりたいのか?」ということをもう一度考えて書くものなので
私なりに、じっくり考えて書けばいいのだ
早く課題をクリアし、1日も早く一人前のライターになりたいというはやる気持ちを押さえ
もう一度原点から自分を見つめ直して、自分なりに最高のものを出したいと思う
今回のライター講座は、「期日内に、決められた課題に対して取り組む」という、自分勝手に日記などを書いていたのでは体験できない技術を学ぶとともに
私が勝手には思いつかない「課題」に対してのチャレンジしたい!という思いもある
せっかく与えられた「考えて書く」というチャンスを、もっとユックリ楽しみたいと思うのだ
文章とは不思議なもので、ドキドキ、ワクワクしながら書いたものは、読む人にドキドキやワクワクを
そして楽しみながら書いたものは、やはり読み手に楽しい時間を与えてくれるものだと思う
私がこのチャレンジを楽しんで書くことで、それを読んでくれた人が楽しい気持ちになってくれたら
それはどんなに嬉しい事だろう
誰かに何かを伝えたい!その思いがいつも胸にある限り
きっとその思いは伝わるはずだと信じているから
2002 11/02 22:19
Category : 日記
今日は、コース改修をおえたばかりの新東京サーキットへ練習に行ってきた
今日は風も強く、吹きさらしのカート場はかなり寒かった
ココのコースで9日の行われる「ウイークエンドレース」で、娘がはじめて大人のクラスでレースをする予定になっているのだ
今回改修された場所は、2コーナーが以前の場所よりもう少し奥に伸びており返すようになり
そして3コーナーを抜けた先にあった緩やかなS字コーナーが、大きなシケインの形になり、その先の大きく緩やかな左カーブは、アウト側が広くなり
そのままその先にあるビレルコーナーと呼ばれる一番奥に有るコーナーも全体的に広くなった
そして、最終コーナー手前のモナコカーブも広く改修され、最終コーナーの出口のゼブラも少し削られた
つまり、3コーナーの次の大きなシケインを除けばかなり走りやすくなり、更に高速コースになった感じだ
改修工事をした直後ということもあり、コース全体的にかなり路面に砂が乗っていて、しかも舗装直後のアスファルトはまだ油が乗っていたし、気温も低かったのでかなり全体的に滑りやすかった
はじめて走るコースレイアウトで、しかもほとんどグリップしない路面のせいか?コースのあちこちでスピン続出だったが
娘は一回もスピンせずに走り終えることができた
はじめはエンジンが慣らしだったこともあって、ユックリとコースに慣れるつもりで走らせたが
午後からは全開で行かせて見る
決して早い訳ではなかったが、見劣りするほどの走りではなく、同じ仕様で走っていた1番早い子より一秒落ちくらいのタイム
まだセッティングもなにもしていないので、タイム的にはまあこんなもんだろう
でも、来週の土曜のレースまで走りに行くことができないので、レースは殆どぶっつけ本番になる・・・
不安が残るけど、取り敢えずデビュー戦を無事に終えることができれば今回の課題はクリアと言うことにしようと思う
今日は風も強く、吹きさらしのカート場はかなり寒かった
ココのコースで9日の行われる「ウイークエンドレース」で、娘がはじめて大人のクラスでレースをする予定になっているのだ
今回改修された場所は、2コーナーが以前の場所よりもう少し奥に伸びており返すようになり
そして3コーナーを抜けた先にあった緩やかなS字コーナーが、大きなシケインの形になり、その先の大きく緩やかな左カーブは、アウト側が広くなり
そのままその先にあるビレルコーナーと呼ばれる一番奥に有るコーナーも全体的に広くなった
そして、最終コーナー手前のモナコカーブも広く改修され、最終コーナーの出口のゼブラも少し削られた
つまり、3コーナーの次の大きなシケインを除けばかなり走りやすくなり、更に高速コースになった感じだ
改修工事をした直後ということもあり、コース全体的にかなり路面に砂が乗っていて、しかも舗装直後のアスファルトはまだ油が乗っていたし、気温も低かったのでかなり全体的に滑りやすかった
はじめて走るコースレイアウトで、しかもほとんどグリップしない路面のせいか?コースのあちこちでスピン続出だったが
娘は一回もスピンせずに走り終えることができた
はじめはエンジンが慣らしだったこともあって、ユックリとコースに慣れるつもりで走らせたが
午後からは全開で行かせて見る
決して早い訳ではなかったが、見劣りするほどの走りではなく、同じ仕様で走っていた1番早い子より一秒落ちくらいのタイム
まだセッティングもなにもしていないので、タイム的にはまあこんなもんだろう
でも、来週の土曜のレースまで走りに行くことができないので、レースは殆どぶっつけ本番になる・・・
不安が残るけど、取り敢えずデビュー戦を無事に終えることができれば今回の課題はクリアと言うことにしようと思う
2002 11/02 01:35
Category : 日記
今日も息子を連れて大学病院へ行って来ました
今日は取り敢えず、経過を見るための受診だったのだけど
とりわけ痛みが酷くなっている様子は無く、小児科的には問題は無いとのこと
一応、念の為に眼科にも受診してくださいと言われる
子供の場合、視力の低下などに気づくのが遅れて、それが原因で頭痛が起こることも良くあるというのだ
さっそく眼科へ〜と思ったら、なんと以前入院までしていたのに、眼科へかかるにはまたカルテやらなんやらを作らなくてはいけないので、受付へ行ってください・・・だって
連休前のでいか?大学病院は物凄く混んでいた
しばらく待たされてから、カルテを受けとって眼科へ行く
視力検査、眼圧の検査など、一通りやってもらったが
視力は両眼とも1.2、眼圧その他も正常とのことだった
取り敢えずはなんとも無かったということで、病院を出る頃には本人もケロッとして、「明日は(カート)で走るから!」だって
う〜〜ん、一週間続いた頭痛はなんだったんだ?
もしや、ていよくサボったのか?こいつ>息子
ま、なんとも無くて良かったけどね?
さてと明日は、リニューアルしたばかりの新東京サーキットでの練習です!
なんか、今年一番の寒気団が来ているとか?
明日は、寒くて私の方が頭が痛くなりそうだな〜?
今日は取り敢えず、経過を見るための受診だったのだけど
とりわけ痛みが酷くなっている様子は無く、小児科的には問題は無いとのこと
一応、念の為に眼科にも受診してくださいと言われる
子供の場合、視力の低下などに気づくのが遅れて、それが原因で頭痛が起こることも良くあるというのだ
さっそく眼科へ〜と思ったら、なんと以前入院までしていたのに、眼科へかかるにはまたカルテやらなんやらを作らなくてはいけないので、受付へ行ってください・・・だって
連休前のでいか?大学病院は物凄く混んでいた
しばらく待たされてから、カルテを受けとって眼科へ行く
視力検査、眼圧の検査など、一通りやってもらったが
視力は両眼とも1.2、眼圧その他も正常とのことだった
取り敢えずはなんとも無かったということで、病院を出る頃には本人もケロッとして、「明日は(カート)で走るから!」だって
う〜〜ん、一週間続いた頭痛はなんだったんだ?
もしや、ていよくサボったのか?こいつ>息子
ま、なんとも無くて良かったけどね?
さてと明日は、リニューアルしたばかりの新東京サーキットでの練習です!
なんか、今年一番の寒気団が来ているとか?
明日は、寒くて私の方が頭が痛くなりそうだな〜?
2002 11/02 01:23
Category : 日記
私の部屋には、小さな窓がある
たった17インチの窓だけど、その窓は私にいろいろな景色を見せてくれたり、私に季節を教えてくれたりする
少し前まで、私はその窓にしがみつくようにして、毎日一生懸命外を見ていた
それはいつの日か、ピーターパンがその窓に来て私を狭い世界から連れ出してくれるような気がして、ずっと待っていたのだ
でも、今はもうピーターパンを待つことも探すことも辞めたんだ
だってその窓は、私の想いを窓の外の人達に伝えてくれる窓なんだって気がついたから。そして、私の夢も叶えてくれる窓にもなるんだって気がついたから
前はただ一人で窓の外を覗いていたけど
近頃は、小さな丸い顔達も一緒になってその窓を覗きこんでくるようになって
時々は窓の取り合いになったりもするようになった
一緒にまどの外を覗いては、「ああでもない、こうでもない」と話をしたりするようなった
そこには毎日のように手紙も届くし
時々友達がおしゃべりしに寄ってくれる
そう一緒に窓を覗くヤツらもいるし、一人でその窓を覗いていても、一人じゃないって分かったし
待っているだけじゃなんかもったいない!って思う様にもなってきたし
だから、今は毎日その窓を覗きこんで
時には悩んで、時にはドキドキしながら・・・
私の思いを小さな形に作って、いつか1つの大きな夢にして
その窓の外へ、ビューンと飛ばすことが出来るように
一生懸命頑張っているんだ
たった17インチの窓だけど、その窓は私にいろいろな景色を見せてくれたり、私に季節を教えてくれたりする
少し前まで、私はその窓にしがみつくようにして、毎日一生懸命外を見ていた
それはいつの日か、ピーターパンがその窓に来て私を狭い世界から連れ出してくれるような気がして、ずっと待っていたのだ
でも、今はもうピーターパンを待つことも探すことも辞めたんだ
だってその窓は、私の想いを窓の外の人達に伝えてくれる窓なんだって気がついたから。そして、私の夢も叶えてくれる窓にもなるんだって気がついたから
前はただ一人で窓の外を覗いていたけど
近頃は、小さな丸い顔達も一緒になってその窓を覗きこんでくるようになって
時々は窓の取り合いになったりもするようになった
一緒にまどの外を覗いては、「ああでもない、こうでもない」と話をしたりするようなった
そこには毎日のように手紙も届くし
時々友達がおしゃべりしに寄ってくれる
そう一緒に窓を覗くヤツらもいるし、一人でその窓を覗いていても、一人じゃないって分かったし
待っているだけじゃなんかもったいない!って思う様にもなってきたし
だから、今は毎日その窓を覗きこんで
時には悩んで、時にはドキドキしながら・・・
私の思いを小さな形に作って、いつか1つの大きな夢にして
その窓の外へ、ビューンと飛ばすことが出来るように
一生懸命頑張っているんだ