2002 11/18 22:36
Category : 日記
私は学生時代に、右膝を手術している
短大で芸術系の学科に在籍していた私は、授業で都内のある美術館に鑑賞に行った
その時丁度「ムンク展」が開催されていた
当時、ウエスタンブーツが流行っていて、ご多分に漏れず私も履いていた
美術館の床に、所々滑るところがあって、「気をつけなくちゃね」と友達と話している最中に、私はいきなり足元をすくわれたようになった
とっさにバランスを取ろうとして、着地に失敗し、膝が太ももと直角になった形でペタンと座りこんだ
一瞬膝に痛みが走り、めまいがしたことを覚えている
気がついたら、廻りを友達に囲まれていて、遠くで美術館の人らしい声がしていた
「大丈夫ですか?」と聞かれて、転んだ恥ずかしさのあまり「大丈夫ですから」とやっと応えた
さて、しばらくしてめまいも取れてきて立とうと思ったら、立てなかった
膝が上がらないのである
それでも、「派手に転んだ」という恥ずかしさと、持ち前の負けず嫌いで、特に引率の助手の人に声を掛けることも、再度美術館の人を呼んでもらうことも出来ず
そのまま、足の痛みをこらえて、竹橋の駅から地下鉄に乗り、電車を乗り継いで川崎の自宅まで帰った
なにせ、足を上げようとすると激痛が走るので、階段を昇る時も降りる時も、自分で自分の右足を持ち上げて一段一段クリアして行った。自分の足がやけに重くて、情けなくて泣きそうだった。そのため、自宅についたのはかなり遅い時間だった
一応説明したのだが、母は帰りが遅いとカンカンに怒っていて口もきいてくれなかった。仕方がなく、また足を持って3階の自分の部屋に行き、ズボンを脱ごうと思ったら。パンパンに膝が腫れ上がってしまって、脱げなかった
翌日病院に行って驚いた。なんと、膝の腱が切れていたのだ。ブーツで足首を固定していたために、転んだ瞬間、膝を支点にして真横にすごい力で足を引っ張られた状態になってしまったらしく、結果として腱を切ってしまったらしい
竹橋から、電車を乗り継いで帰って来たと話したら。お医者さんはかなりビックリしていた。「大の男でも、大声を上げてオイオイ泣くほど痛かったはずですよ!」医者の言葉を聞いて、カンカンだった母は、貧血を起こして倒れてしまったぐらいだ
手術しなくては治らないと言うことになって、約5時間の大手術をした。18歳の11月のことだった
その後、半年間松葉杖で生活した。リハビリ中は、物凄く痛くて辛くて泣かない日はなかったが、「正座もできなかったら、嫁の貰い手がない!」と母に叱咤されてどうにか普通に生活できるようになった
もう、20年以上前の傷なのに、今でもこの時期になると痛くなる時がある
ココ2〜3日がそうで、痛くてどうしようもない
こんな状態じゃ、外に働きに出るのは無理かしら?と真剣に思う
やっぱり、頑張ってライターになろう!なんて、かなり打算的ではあるが、決意を新たにしている私だった
短大で芸術系の学科に在籍していた私は、授業で都内のある美術館に鑑賞に行った
その時丁度「ムンク展」が開催されていた
当時、ウエスタンブーツが流行っていて、ご多分に漏れず私も履いていた
美術館の床に、所々滑るところがあって、「気をつけなくちゃね」と友達と話している最中に、私はいきなり足元をすくわれたようになった
とっさにバランスを取ろうとして、着地に失敗し、膝が太ももと直角になった形でペタンと座りこんだ
一瞬膝に痛みが走り、めまいがしたことを覚えている
気がついたら、廻りを友達に囲まれていて、遠くで美術館の人らしい声がしていた
「大丈夫ですか?」と聞かれて、転んだ恥ずかしさのあまり「大丈夫ですから」とやっと応えた
さて、しばらくしてめまいも取れてきて立とうと思ったら、立てなかった
膝が上がらないのである
それでも、「派手に転んだ」という恥ずかしさと、持ち前の負けず嫌いで、特に引率の助手の人に声を掛けることも、再度美術館の人を呼んでもらうことも出来ず
そのまま、足の痛みをこらえて、竹橋の駅から地下鉄に乗り、電車を乗り継いで川崎の自宅まで帰った
なにせ、足を上げようとすると激痛が走るので、階段を昇る時も降りる時も、自分で自分の右足を持ち上げて一段一段クリアして行った。自分の足がやけに重くて、情けなくて泣きそうだった。そのため、自宅についたのはかなり遅い時間だった
一応説明したのだが、母は帰りが遅いとカンカンに怒っていて口もきいてくれなかった。仕方がなく、また足を持って3階の自分の部屋に行き、ズボンを脱ごうと思ったら。パンパンに膝が腫れ上がってしまって、脱げなかった
翌日病院に行って驚いた。なんと、膝の腱が切れていたのだ。ブーツで足首を固定していたために、転んだ瞬間、膝を支点にして真横にすごい力で足を引っ張られた状態になってしまったらしく、結果として腱を切ってしまったらしい
竹橋から、電車を乗り継いで帰って来たと話したら。お医者さんはかなりビックリしていた。「大の男でも、大声を上げてオイオイ泣くほど痛かったはずですよ!」医者の言葉を聞いて、カンカンだった母は、貧血を起こして倒れてしまったぐらいだ
手術しなくては治らないと言うことになって、約5時間の大手術をした。18歳の11月のことだった
その後、半年間松葉杖で生活した。リハビリ中は、物凄く痛くて辛くて泣かない日はなかったが、「正座もできなかったら、嫁の貰い手がない!」と母に叱咤されてどうにか普通に生活できるようになった
もう、20年以上前の傷なのに、今でもこの時期になると痛くなる時がある
ココ2〜3日がそうで、痛くてどうしようもない
こんな状態じゃ、外に働きに出るのは無理かしら?と真剣に思う
やっぱり、頑張ってライターになろう!なんて、かなり打算的ではあるが、決意を新たにしている私だった