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先日亡くなった私の叔父の百か日と納骨があった

時間が経つのは早いものだ。亡くなったのはまだ暑い盛りの頃で、お通夜で蚊に刺されたり、喪服の裏地が汗でベトッと腕に貼りついてきて、気持ち悪い思いをしながら葬儀に参列したのがまるで昨日ことのように感じるのに。今朝は朝から雲が低く垂れ込めていて、とても寒い日だった

横浜に住む弟が、川崎の我家まで車で迎えに来てくれると言うので、喪服の上にコートも何も羽織らずに行ってしまった

私の喪服もそうなのだが、婦人用の喪服と言うのは、大概が半袖のワンピースと長袖の上着というアンサンブルだ。
故に、夏の告別式の時には酷く暑い思いをし、今日のような気候の日の法事では、寒くて仕方がない

お経とお説教が終わってからお墓に向かう。骨室の蓋を開けて”納骨”するのだが、コレが案外時間がかかった。

まあ、あんな大きな石を動かすのだから、仕方がないが、待っている人間にはその間の寒さがかなりこたえた

弟もコートを羽織っていなかったので、二人で従姉弟の手伝いをして、参列してくださった方々にお線香を配ったり、お花を持って行ったりと体を動かすことによって寒さを紛らわしていた

私の父は13人兄妹で、父は10男3女の9男坊だったらしいが、父が物心ついた時には男8人だけで、他の人は小さい時に亡くなってしまったらしい。その後戦争を迎え、無事に帰って来たのは4人だった

残った兄弟の中で、父と叔父の年が一番近く、父はいつも亡くなった叔父と一緒にいた。私にとってはもう一人の父親みたいな存在だった

豪快で、父と同じように口の悪い人だったが、どこか憎めないところも持った人で、交友関係の広い人だった。お線香の煙がユラユラと遺影の前を横切るのを見ていると、今でも叔父の豪快な笑い声が聞こえて来そうだった

私にはもう、両親はいない。そして今回また叔父を亡くした。世代交替という言葉があるが、まさに私はそのさなかにいるようだ。向かえて、受け止めてもらっていた立場から、先代を送り、次世代を受け止めてやるる世代になっってしまったのだろう

父や叔父がしてくれたように、私も子供達の世代を受け止めてやることが出きるだろうか?そんなことを漠然と思いながら、叔父との別れをしてきた