こんなライターになりたいな
 どんなライターになりたいかということを一言で表したら、
私は迷わず『エッセイスト』と答える。
 では、どんなエッセイストになりたいのか?と聞かれたら
向田邦子さんが書くようなエッセイが書ける人になりたいのだ。


 私は向田邦子さんが好きだ。彼女のエッセイが好きだ。
始めて彼女の「父の詫び状」を手にした時、私はまだ学生だったと思う。
 彼女のエッセイは、とても平易な言葉とあっさりした文章でテンポ良く書
かれていて、私にはとても読みやすかった。

 それでいて彼女鋭い観察力と切り口を、おごりのない文体が
優しく包み込んでいて、読んでいると、とても自然にその光景や、
彼女の心情が手に取るようにに広がってきた。

 如才なく飾らない彼女の人柄も凄くよく出ている気がした。
文章全体から伝わってくる、彼女の“人となり”にも私は惹かれて
いたのかもしれない。
「頭のいい人なんだな〜」、と凄くあこがれて、
「あんなエッセイ書けたらなぁ」と良く思いながら読み漁っていた時期があった。

 彼女はエッセイの中で、自分が読んだ本のことや、その本の引用をしたりする。
すると今度はその本が読みたくなり、彼女のエッセイを片手に図書館で
引用された本を探してきては、また読む…の繰り返しだった。
 彼女が心に映した景色を、私も見て見たかったのだ。

 いつだったかある作家の談話が雑誌に載っていて、そこにこんなことが書いてあっ
た。
「物書きは、文章で頭の中に風景を作る。
だからその文章を組みたてると、1つの景色が出来るのだ」

 私はどちらかと言うと、視点で物を書くほうかもしれない。
頭の中に浮かんだ風景を自分の視点で追いながら文章を書いていく感じなのだ。
脚本家だった向田さんもそのタイプのような気がする。

 だから、これからいろんな景色を瞳の奥に焼きつけて、
私なりに伝えて行けるようなライターになれたらいいと思う。
 出きればそこへ私なりの“人となりが”が出たら良いとも思う。

 そのためには、もっと自分を磨き、自分の人生を楽しみ、魅力的にすることが必要
なのだと思う。
「私がなりたいライター」になるということは、私にとって人生の命題なのかもしれ
ない。