7月14日(水) 晴れ
聖書日課

◆[ あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切り石でそれを築いてはならない。

あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる。] 出エジプト20:25



神の祭壇は、人の技巧や努力が見られない、切られていない石で造られなければならなかった。
人の知恵は十字架の教えをひねくりまわして人工的なものとし、人間の堕落した性質に適したものとする。
肉の知恵は福音を改善するどころか、むしろそれを汚し、全く異なる福音にし、神の真理とはおよそ似つかぬものとする。
主ご自身のみことばを添削することはすべて、それを汚す結果となる。
人間の高慢な心は、たましいが神の御前に義とされるために、ひとかどの助けをしたいと気をもむ。
キリストのために何か準備することを夢見、謙遜や悔い改めを鼻にかけ、あるいは善行を誇り、あるいは生来の能力を誇示する。
そして、なんとかして人間の道具を神の祭壇の上にふるおうとする。
罪人の肉に属する確信は、救い主のみわざを完成するどころか、それを汚し、辱しめるものであることをよく記憶したい。
贖いのみわざにおいては、主のみが高められなければならない。
人間ののみやハンマーの跡は、ただの一つも印されてはならないのである。
キリスト・イエスが、その死の瞬間において「完了した」と宣言されたものに、何かを加えようとし、主なる神が完全な満足をもってご覧になっているものを改善しようとするのは、人間固有の�瑞_の罪である。
おののいている罪人よ。道具を捨ててその場にひざまずき、へりくだってあわれみを求めよ。
そして、主を贖いの祭壇として受け入れ、ただ主にあって憩え。
信仰を公言する多くの者たちは、この聖句により、その信じる教義に対して警告を受けるであろう。
クリスチャンの中にも、啓示された真理を加減しようとする傾向が非常に強い。このようなことは不敬虔であり、不信仰である。
この傾向に対して私たちは戦い、みことばの教えは切れない石であり、それゆえ主の祭壇を築くには最も適した材料であることを喜び、真理をそのまま素直に受け入れようではないか。

◆Charles Haddon Spurgeon著 「朝ごとに」より