2004 04/01 18:55
Category : 日記
◆『 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。』ルカの福音書23:26
十字架を担うシモンは、歴代の教会の働きを表したものである。
教会はイエスにならって十字架を負う。
主にある友よ。イエスはあなたの苦難を全部取り去るために苦しまれるのでないことを覚えよ。イエスが十字架を負われるのは、あなたが十字架を逃れるためではなく、むしろそれに耐えるためである。
主はあなたから罪を除かれる。しかし悲哀を除かれるのではない。これを心に留めて、苦難のために心を定めよ。
ただしシモン同様、自己の十字架ではなく、キリストの十字架を担うことを覚えて、自らを慰めよう。
あなたが敬虔のゆえに冷笑される時には、それはあなたの十字架ではなく、キリストの十字架であることを覚えよ。
主イエスの十字架を担うのは、なんと喜ばしいことだろう。あなたは主の後から十字架を運んでいるのだ。
あなたにはすばらしい道連れがある。歩く道には主の足跡が印せられ、その重荷には御血に彩られた主の肩のしるしがある。それは十字架である。
そして主は羊飼いが羊に先立って行くように、あなたの前を行かれる。日々あなたの十字架を取って主に従え。
あなたはこの十字架を主と共に担っていることを忘れてはならない。一説ではシモンはひとりで十字架を担ったのではなく、その一端を担っただけだという。まことにありそうなことである。
キリストが腕木のついた重いほうを担われ、シモンは軽い他の端を担ったのかもしれない。あなたの場合もたしかにそうである。あなたはただ十字架の軽いほうを担うだけであり、重いほうはキリストが担ってくださるのである。
さらに覚えたいことは、シモンが十字架を担ったのはきわめてわずかの間であったが、そのため不朽の名誉を得たことである。
私たちの場合、十字架を担うのはきわめてわずかの間であるが、その後、栄光の冠を受けるのである。恐れることなく十字架を慕い、それが「測り知れない、重い永遠の栄光をもたらす」ことを思い、十字架を尊ばなければならない。
十字架を担うシモンは、歴代の教会の働きを表したものである。
教会はイエスにならって十字架を負う。
主にある友よ。イエスはあなたの苦難を全部取り去るために苦しまれるのでないことを覚えよ。イエスが十字架を負われるのは、あなたが十字架を逃れるためではなく、むしろそれに耐えるためである。
主はあなたから罪を除かれる。しかし悲哀を除かれるのではない。これを心に留めて、苦難のために心を定めよ。
ただしシモン同様、自己の十字架ではなく、キリストの十字架を担うことを覚えて、自らを慰めよう。
あなたが敬虔のゆえに冷笑される時には、それはあなたの十字架ではなく、キリストの十字架であることを覚えよ。
主イエスの十字架を担うのは、なんと喜ばしいことだろう。あなたは主の後から十字架を運んでいるのだ。
あなたにはすばらしい道連れがある。歩く道には主の足跡が印せられ、その重荷には御血に彩られた主の肩のしるしがある。それは十字架である。
そして主は羊飼いが羊に先立って行くように、あなたの前を行かれる。日々あなたの十字架を取って主に従え。
あなたはこの十字架を主と共に担っていることを忘れてはならない。一説ではシモンはひとりで十字架を担ったのではなく、その一端を担っただけだという。まことにありそうなことである。
キリストが腕木のついた重いほうを担われ、シモンは軽い他の端を担ったのかもしれない。あなたの場合もたしかにそうである。あなたはただ十字架の軽いほうを担うだけであり、重いほうはキリストが担ってくださるのである。
さらに覚えたいことは、シモンが十字架を担ったのはきわめてわずかの間であったが、そのため不朽の名誉を得たことである。
私たちの場合、十字架を担うのはきわめてわずかの間であるが、その後、栄光の冠を受けるのである。恐れることなく十字架を慕い、それが「測り知れない、重い永遠の栄光をもたらす」ことを思い、十字架を尊ばなければならない。