11月21日(金) 晴れ
◆見よ。処女がみごもっている。

そして男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。

イザヤ 7章14節


今日ベツレヘムに行き、驚く羊飼い、礼拝する博士たちと共に、

ユダヤ人の王としてお生まれになった方にお会いしようではないか。

それは私たちが信仰により主にあって富を求め、

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる」

と歌うことができるためである。

イエスは受肉された主であり、私たちの主、私たちの神であり、さらに私たちの長兄であり友である。

私たちは彼をあがめ、ほめたたえようではないか。

まず注意したいことは、主が奇蹟によってみごもられたことである。

これはかつて耳にしなかったことであり他に例がない。

処女がみごもって男の子を産んだというのである。

最初の約束は、「女の子孫」であり、男の子孫ではなかった。

初めに女が楽園喪失の罪を招いたため、今は女が楽園の回復者を迎え入れた。

私たちの救い主は真に人であられたが、同時に神の御子であられた。

主はその罪のないことによって、人間の喪失した昔の栄光を回復された。

私たちは、主が私たちのうちに栄光の望みとなられるように祈ろうではないか。

また主の両親が決して身分の高い人ではなかったことを見落としてはならない。

主の母は 「処女」と記されているのみで、女王とも女預言者とも、大金持ちの夫人であった。

とも記されてはいない。

たしかに彼女の血管には、王族の血が流れていた。また教育のない女でもなかった。

なぜなら、彼女は実に巧みに神をほめる歌を歌うことができたからである。

しかし彼女の地位はなんとみすぼらしく、その婚約者はなんと貧しく、

新しい王の誕生のための設備はなんと貧弱であったことか。

インマヌエル-----神は私たちの性格の中に、悲哀の中に、生涯の事業の中に、

受けなければならない懲罰の中に、また私たちの墓の中に共におられ、現在も共におられる。

否、私たちは、復活に、昇天に、勝利に、そして輝かしい再臨において

主と共にいるのである。

By Charles Haddon Spurgeon