2003 07/06 19:52
Category : 日記
聖書日課
日々聖書日課を開くと本当に不思議なことに 私が必要としている箇所が用意されていることです。
感謝いたします。
◆ひしがれた心
『人の心は病苦をも忍ぶ。
しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。』
箴言18章14節
目の中に小さなごみが入ったり 指先に小さなとげがささったりしても、痛いし 気になって仕方がありません。
いざ、自分が癌になって断末魔の苦しみに会ったら、はたして耐えられるのかと、時々思います。
しかし、絶え間ない脇腹と関節の痛みに悩まされながら、寝たきりで、『闘病』というユーモアとペーソスにあふれた五冊もの本を出された後藤光三先生のことを思います。
するとやはり、「人の心は病苦をも忍ぶ」とは、ほんとうだと実感するのです。
人間の内なる人、すなわち心がしっかりしているなら 人は病苦やその他の試練をも耐えていきます。
使徒パウロも、こう語っています。
「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」�Uコリント4-16
しかし、心がひしがれてしまうと、人生の重荷・苦しみ・試練に、だれ一人耐えられなくなります。
ひしがれた心とはどんな心でしょうか。
● 生きる目的や意味を全く見失ったと思っている心。
● 愛を見失い、希望を見失い、神と人に捨てられたと思っている寂しい心。
● 罪の責苦に苦しんでいる心。
● 罪の奴隷の状態から這い上がれないと思っている希望のない不安な心。
しかし、神は愛です。
神は「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」イザヤ書42−3
と聖書の中で言われました。さらにイエス・キリストは、こう言われます。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。・・・・・・・・
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章12・13節
神のみが、ひしがれた心をいやしてくださるのです。 アーメン
「今日の知恵・明日の知恵」より
日々聖書日課を開くと本当に不思議なことに 私が必要としている箇所が用意されていることです。
感謝いたします。
◆ひしがれた心
『人の心は病苦をも忍ぶ。
しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。』
箴言18章14節
目の中に小さなごみが入ったり 指先に小さなとげがささったりしても、痛いし 気になって仕方がありません。
いざ、自分が癌になって断末魔の苦しみに会ったら、はたして耐えられるのかと、時々思います。
しかし、絶え間ない脇腹と関節の痛みに悩まされながら、寝たきりで、『闘病』というユーモアとペーソスにあふれた五冊もの本を出された後藤光三先生のことを思います。
するとやはり、「人の心は病苦をも忍ぶ」とは、ほんとうだと実感するのです。
人間の内なる人、すなわち心がしっかりしているなら 人は病苦やその他の試練をも耐えていきます。
使徒パウロも、こう語っています。
「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」�Uコリント4-16
しかし、心がひしがれてしまうと、人生の重荷・苦しみ・試練に、だれ一人耐えられなくなります。
ひしがれた心とはどんな心でしょうか。
● 生きる目的や意味を全く見失ったと思っている心。
● 愛を見失い、希望を見失い、神と人に捨てられたと思っている寂しい心。
● 罪の責苦に苦しんでいる心。
● 罪の奴隷の状態から這い上がれないと思っている希望のない不安な心。
しかし、神は愛です。
神は「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」イザヤ書42−3
と聖書の中で言われました。さらにイエス・キリストは、こう言われます。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。・・・・・・・・
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章12・13節
神のみが、ひしがれた心をいやしてくださるのです。 アーメン
「今日の知恵・明日の知恵」より