6月23日(月) 雨
今日も雨です。呆れるほどよく降ります。
ベランダの花々は 開花以前 つぼみのままで朽ちていきます。
あれ程見事に咲いていた八重咲きインパチェンスなども 根元から朽ちて無残な姿になりました。
ニューギニア・インパチェンスは雨がかからない所に移動したので 何とか凌いでいます。
この時期 花はなかなかです。緑(葉)どんどん鮮やかに茂っていくようですが・・・・・。

さて、聖日礼拝の説教のお分かち合いです。
ガラテヤ人への手紙5章1節・13節から
「私達の自由」と題して みことばを取り次いで戴きました。

『5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。
ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを
負わせられないようにしなさい。

5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。』


自由とは・・・辞書には 他からの束縛や支配から解放されること と記されていました。

私達は間違った自由を求めることがないように。
ともすれば 感情や欲望に支配されて 自由どころか、不自由になってしまいます。

何か 悪いことを止めようとする時、自分は不自由だと気がつくのです。
例えば、愛煙家がタバコを止めようと禁煙する時・・・・なかなか止められないといったように。
これは 不自由・・・・・です。
パウロも「わたくしは不自由な人間です」と告白しています。

聖書がいう自由とは
・何かから自由になる。(悪いことから自由になる)
その当時 ユダヤ教の教えを守らないと救われない という律法がありました。
イエスさまを信じる人は 迷信・縁起・律法・・・・そのようなことから自由なのです。
.私たちを縛りつけるものから自由。
13日の金曜日は縁起が悪いとか、運勢が悪い日であるとか、この色がよくない 等々、
これは縛られています。イエスを主と告白する人は、迷信・縁起 このようなことから自由です。
.何かをする自由とは。 
神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。
あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを聖く、また尊く保ち、互いに仕え合い、愛し合うべきです。
自由を自分(我)の為に・・・ではなく、このように 自由を用いるのですよ と主は言われます。
・習慣的に罪のとりこになってはいませんか?
・高慢になったり、他者を容易に裁いたり、嘘、自己憐憫などから自由になっているでしょうか?

みことばに照らされ 生活や心のあり方を変えたいと思った時、初めて自分が自由ではないことに気がつくのではないでしょうか?

積極的な自由・・・・>その時自由だなぁと感じるように人は創られているのですから。
私たちは「自由とされた」身として生きることを学ぶべきです。
罪の奴隷状態から開放され 聖霊の導きのままに 新しく、力強く生きることができる自由を与えられたのですから 愛の業の為には 隣人に対して、特に主に対して むしろ喜んで奴属する僕とならしめていただきましょう。