1月11日(sat.) くもり
◆たゆみなく祈りなさい。(コロサイ4-2)

興味深いことに、聖書の中には祈りについての模範と訓戒、また約束の記事が多い。
聖書を開けばすぐに、「そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた」とあり、
また聖書の末尾には「アーメン」という熱心な嘆願がある。祈りの実例はいくらでもある。
神と格闘するヤコブ、日に三度祈るダニエル、心を込めて神を呼ぶダビデなどがいる。
山上にはエリヤがおり、獄中にはパウロとシラスがいる。
祈りの戒めも約束も数えきれないほどある。
これが祈りの重要性、必要性を示すものでなくて、何であろう。
神がことばを尽くしてお語りになったことは、私たちの生涯にとって重要なことである。
神が祈りについてこれほど多くのことばを費やしておられるのも、祈りが私たちにとってどれほど必要であるかを知っておられるからである。
私たちの欠乏はまさに深刻な状態にあるので、天国に入るまで祈りをやめてはいけない。
あなたには何の不足もないというのか。
もしそうだと言うなら、あなたは自分の貧しさを知らないのだ。
あなたは神のあわれみを求めなくてもいいのか。
もしあなたが求めようとしないなら、主のあわれみがあなたのみじめな状態を示してくださるように。
祈りのないたましいは、キリストのないたましいである。
祈りは信仰の幼子の片言であり、戦っている信者の叫びであり、臨終の床にある聖徒がイエスの中に眠る時の歌である。
祈りはクリスチャンの息であり、合言葉であり、慰めであり、力であり、誉れである。

もしあなたが神の子なら、あなたはあなたの父である神の御顔を求め、また父なる神の愛の中に生きることを望むであろう。
この年も、あなたが全く謙遜であり、熱心であり、忍耐強くあるように祈れ。
キリストとの深い交わりに入り、さらにしばしば愛のうたげに加われ。
あなたが他の人の模範となり祝福となり、さらに主の栄光のために生きることができるように祈れ。
この年の標語は、「たゆみなく祈りなさい」でなければならない。

◆Charles Haddon Spurgeon