8月20日(火) 晴れ
最近、とても心が痛むことがあります。
自殺願望の若者達、いえ実際に悲しいニュースを見聞きすることが多くなったからです。

「死ぬ理由もありませんが、生きる理由もありません。だから死にます。」
二人の女子高校生がこのような内容の遺書を残して自らの命を絶ちました。
しかし、私にはこの若い少女達に「生きる意味」を語る自信がありません。
自殺行為に及ぶ前に相談を受けていたとして、果たして本当に自分の生き様をさらし、
”なぜ、生きなければならないのか”と彼女達を説得できただろうかと。。。。
否、常識的な返事をすることは出来ても真正面から
彼女達を説得するには至らないのではないかと思ったりします。

人は必ず一生に何度か「なぜ生きなければならないのか」
と自分自身に問いかける時があるでしょう。
これはごく自然なことであり、生きていくために意味や目的を必要とし、
それがあるので、苦しみにも長く忍耐を要することにも立ち向かうことが可能なのだと思います。
でも目的や意味にこだわりすぎると大切なことを見失うということが起こり得るのです。
私達の一般的な目的や意味のたぐいは一時的なものだからでしょう。
健康な時や自由に活動ができる時は良いのですが病気になったり、
高齢になったり、障害を持つに至るとすべて放りだしたくなるからです。
どのような状況のなかでも、変わらない永遠の目的や意味。
それは命を与えて下さった神とともに生きるということだと思います。
平凡でも、苦難の多い人生でもくじけず、成功したとは言えない生き様であっても
神様を知り、神様に支えられて生きたということが最も大切な事なのではないでしょうか。

日本には自ら死を選ぶことがさほど悪いことと考えない伝統があります。
むしろ死の美学という意識で、切腹などはいさぎ良いなどとと考えたりします。
そんなにつらい状況だったのかと同情し、死んでもう一度やり直せる
と考えるからなのでしょう。
季節が巡って来るように、人生もあの世でもう一度やり直したいと考え、
それが死への恐れを乗り越えさせ、生きることへの執着を断つのでしょうか。
未練はあっても、罪悪感は薄い。
「死ぬことは不安があるけれども・・・・生きているのはもっとつらい」
そう思ったときには、死はむしろ優しいようにさえ思える。でもこれはあきらめです。

どうか「なぜ生きなければならないのか」
という思いにかられるとき
「なぜ死んではいけないのか」をもう一度考えて欲しいと思います。

私達の人生・いのちは家族や友人といった人達の中で互いに支えあっている
ということに思いを馳せて下さい。
ですから思いがけない事故死・急死、ましてや自殺は残された人達に
大きな悲しみ・悔いをいつまでも残します。
そうして残された人達が立ち直るまでに何年もかかるのです。
生きていてくれることが支えとなり励みとなることを覚えて欲しいのです。
毎年3万人以上の方々が自らいのちを断つという悲しい事実があります。
今や癌で亡くなる方より自殺者の数のほうが多いのです。
いのちそのものは個別であっても、生きがいや励ましは繋がっています。
私達が病気や老衰によって死を迎えるときには、与えられた時間の中で
本人も周囲の人々も心を整理し死を受容していきます。
ですから自分だけの人生、いのちではないということを 是非知って戴きたいのです。

神様は私達ひとりひとりのことをよくご存知です。
私達の良いところも欠点もすべて知ったうえで、与えられたいのちを豊かに生かそうと助けてくださいます。
そのことに気づくことはとても大事なことです。あなたは神様にとって大切な人なのです。
だから絶対死んではいけないのです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」

イザヤ書43章4節のみことばです。