2002 07/08 01:30
Category : 日記
今日は主の日、喜びと感謝を持って聖日礼拝へ.
来週の予定だった礼拝受付のご奉仕が本日と入れ替えの為いつもより一時間早く教会へ。
新来者が二名礼拝にお見えになるとのこと、準備をしてお待ちする。
CS教師と共にバイブルクラスに出席。
本日のバイブルクラスはガラテヤ書から『神の啓示』の解き明かし。
ノート3枚にもなってしまっている上、少し専門的な学びなので、
みことばのお分かちは礼拝説教から。
聖書の箇所 ローマ人への手紙12章1節
「神様に献げる」と題して みことばを取り次いで戴きました。
『そういうわけですから、兄弟たち。
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として献げなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』
私たちは主に感謝をしているだけでは不充分です。
私たちは一度決心をしイエスキリストの代価によって
買い取られた者なのですから私達自身を捧げる決心をもう一度しなさい。
とパウロは語っているのです。
献げた方がいいですよ・・・・・などという曖昧な言い方ではなくて
献げなさいときっぱり命令形で語られているのです。
では献身するとは具体的にどのような事を意味するのかといいますと
1.自分(我)をイエス様に明け渡すこと。
2.すべての支配権をイエス様に預けること。
3.一生涯を 主の喜ばれるようにして歩ませて戴くこと。
日曜日の礼拝だけではなく 霊的な礼拝とは日々の生活の中で
イエスキリストを人生の主人として 位置づけることです
ラブスターフィールドは次のように説かれます。
【礼拝は主の日のみ なされるのではない。
日々、私たちのからだを献げることによってなされるべきである。
”からだ”とはわたしたちのすべてである。私達自身である。
私たちはこの悪の世にあって、神の民として選び分けられたものとして生き、
神に献げて生きるのである。
魂のみ礼拝ではなく”からだ”を伴った礼拝を献げるべきである。
それは、私たちの人生の主を自分自身ではなく、主イエスキリストに明け渡した歩みであり、
日々の生活がサクラメント化されることである。
神はそのように献げきった信者を通してご自身のみわざをなさる。
そして神はそれをあなたに期待しておられるのだ。】
------+ラブスターフィールド+------
来週の予定だった礼拝受付のご奉仕が本日と入れ替えの為いつもより一時間早く教会へ。
新来者が二名礼拝にお見えになるとのこと、準備をしてお待ちする。
CS教師と共にバイブルクラスに出席。
本日のバイブルクラスはガラテヤ書から『神の啓示』の解き明かし。
ノート3枚にもなってしまっている上、少し専門的な学びなので、
みことばのお分かちは礼拝説教から。
聖書の箇所 ローマ人への手紙12章1節
「神様に献げる」と題して みことばを取り次いで戴きました。
『そういうわけですから、兄弟たち。
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として献げなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』
私たちは主に感謝をしているだけでは不充分です。
私たちは一度決心をしイエスキリストの代価によって
買い取られた者なのですから私達自身を捧げる決心をもう一度しなさい。
とパウロは語っているのです。
献げた方がいいですよ・・・・・などという曖昧な言い方ではなくて
献げなさいときっぱり命令形で語られているのです。
では献身するとは具体的にどのような事を意味するのかといいますと
1.自分(我)をイエス様に明け渡すこと。
2.すべての支配権をイエス様に預けること。
3.一生涯を 主の喜ばれるようにして歩ませて戴くこと。
日曜日の礼拝だけではなく 霊的な礼拝とは日々の生活の中で
イエスキリストを人生の主人として 位置づけることです
ラブスターフィールドは次のように説かれます。
【礼拝は主の日のみ なされるのではない。
日々、私たちのからだを献げることによってなされるべきである。
”からだ”とはわたしたちのすべてである。私達自身である。
私たちはこの悪の世にあって、神の民として選び分けられたものとして生き、
神に献げて生きるのである。
魂のみ礼拝ではなく”からだ”を伴った礼拝を献げるべきである。
それは、私たちの人生の主を自分自身ではなく、主イエスキリストに明け渡した歩みであり、
日々の生活がサクラメント化されることである。
神はそのように献げきった信者を通してご自身のみわざをなさる。
そして神はそれをあなたに期待しておられるのだ。】
------+ラブスターフィールド+------