4月21日 曇り時々晴れ
今日は主の日 聖日礼拝
礼拝説教は「神様に創られた私たち」でした。
進化論についてのメッセージです。
創世記に記されているとおり、神が天と地を創造した。
そして、すべてを創造され、最後の業として 人を造られました。

創世記2章7節

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生き物となった。」

進化論は人間の尊厳を著しく奪ってしまいました。
あくまでも、進化論という学説のひとつに過ぎないのであって。
地動説を地動論と言わないのは科学的に証明されているからなのです。
進化論を進化説と言わないのはなぜか?
それは、科学的に証明されていないからです。
ミッシングリンク(サルからヒトになる途中の生き物が発見されない・・・・>証明されない・・・・>科学的でない。)
進化論を信じているのは、日本ぐらいで世界の学者のほとんどが進化論を否定している。
日本の学校教育(生物)の怖さを感じました。
私も 聖書を読むまでは進化論を信じていた一人なのですが・・・・・。
創世記1章26〜27節
「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。・・・・・・・・・・・・・・・
神はこのように人をご自身のかたちに創造された。」

人間は 神様の御性質に似せて造られたのです、
サルと同じははずはありません。
サルはサルとして、造られたのです。

私たち人間はちりから造られた弱いただのヒトなのです。
なぜゆえにヒトはちりから造られたのでしょうか?
それは人間の生い立ちを知る時に、高慢にならない為でなのです。
まずこのことを認めることが大切です。
人間が神を離れ、神なしで生きていく時に真の
人間とはいえません。
神と親しく交わりながら生きる時生きているといえるのです。
まだまだ書き尽くせませんが 真実はひとつです。