2003 10/11 07:49
Category : 日記
聖書日課”朝ごとに”より.....スポルジョン著
◆私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3:41)
●祈りは私たちに自らの無価値を教える。
・それは高慢な私たちにとって非常に有益な教訓である。もし神が、私たちの祈りなしに恵みを与えられるとすれば、私たちは決して、自分の貧しさを知らないであろう。
・しかし、真の祈りは欠乏の目録であり、必要のカタログであり、隠れた貧困の暴露である。
それは神の富を求めるものであるが、また人間の空虚さを告白するものでもある。
・クリスチャンの最も健全な状態は、常に自己を空しくして主の供給により頼むことである。
・常に自己を貧しくし、キリストにあって富むことである。
自分は弱いが、神によって強くされて偉大なわざをなす。
それゆえ、祈りは神をあがめるものであるが、それは被造物をそのあるべき位置、すなわち、ちりの中に置くものでもある。
●祈りへの応答もさることながら、祈り自体がクリスチャンに大きな益をもたらす。
競技をする者が日々の練習によって技をみがくように、私たちも人生の大レースにおいて、堅い祈りの労苦によって力を得る。
●祈りは神の若鷲のように翼を整え、雲の上にかけ上ることを学ばせる。
また祈りは神の戦士の武装を整え、その筋骨をたくましくして戦いに送り出す。
熱心な祈りの人が密室から出て来るのは、あたかも太陽が東の天から上がろうとしているのに似ており、元気いっぱいの若者が、喜びにあふれてレースに出場するのに比べられる。
●祈りは、モーセの上げられている手である。それは、ヨシュアの剣にまさってアマレク人を敗走させる。それは預言者の部屋から射られた矢であって、アラム人の敗走を預言するものである。
●祈りは人間的な弱さを神の力によって強め、人の愚かさを天の知恵に変え、悩む人に神の平安を与える。私たちは祈りによって成し遂げられないというものを知らない。
大いなる神さま、あなたの恵みの御座に感謝します。
それはあなたの驚くべき慈しみの不動の証拠であるからです。
どうか、私たちを助け、この一日、それを正しく用いるようにさせてください。
◆私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3:41)
●祈りは私たちに自らの無価値を教える。
・それは高慢な私たちにとって非常に有益な教訓である。もし神が、私たちの祈りなしに恵みを与えられるとすれば、私たちは決して、自分の貧しさを知らないであろう。
・しかし、真の祈りは欠乏の目録であり、必要のカタログであり、隠れた貧困の暴露である。
それは神の富を求めるものであるが、また人間の空虚さを告白するものでもある。
・クリスチャンの最も健全な状態は、常に自己を空しくして主の供給により頼むことである。
・常に自己を貧しくし、キリストにあって富むことである。
自分は弱いが、神によって強くされて偉大なわざをなす。
それゆえ、祈りは神をあがめるものであるが、それは被造物をそのあるべき位置、すなわち、ちりの中に置くものでもある。
●祈りへの応答もさることながら、祈り自体がクリスチャンに大きな益をもたらす。
競技をする者が日々の練習によって技をみがくように、私たちも人生の大レースにおいて、堅い祈りの労苦によって力を得る。
●祈りは神の若鷲のように翼を整え、雲の上にかけ上ることを学ばせる。
また祈りは神の戦士の武装を整え、その筋骨をたくましくして戦いに送り出す。
熱心な祈りの人が密室から出て来るのは、あたかも太陽が東の天から上がろうとしているのに似ており、元気いっぱいの若者が、喜びにあふれてレースに出場するのに比べられる。
●祈りは、モーセの上げられている手である。それは、ヨシュアの剣にまさってアマレク人を敗走させる。それは預言者の部屋から射られた矢であって、アラム人の敗走を預言するものである。
●祈りは人間的な弱さを神の力によって強め、人の愚かさを天の知恵に変え、悩む人に神の平安を与える。私たちは祈りによって成し遂げられないというものを知らない。
大いなる神さま、あなたの恵みの御座に感謝します。
それはあなたの驚くべき慈しみの不動の証拠であるからです。
どうか、私たちを助け、この一日、それを正しく用いるようにさせてください。