8月3日(日) 晴れ
今日は主の日、礼拝説教は 第�Tコリント9章24〜27節

「 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、
ということを知っているでしょう。
ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。
空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。
それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者になるようなことのないためです。」



「神のなさること、人のすること」と題して牧師先生より、みことばを取り次いで頂きました。

ヨハネ1-12の御約束にあるように、私達が救われたのは私達の努力に拠るものではありません。
頑張って救われた人は一人もいないのです。

●まず、受け身の中で 受け取るという面では・・・・・。
・救い主キリストを受け入れ 主を信頼し、より頼むことです。
私たちは救いの恵みを受け取り、主イエス・キリストを信頼し、すべてのことを働かせて益として下さると信じています。
より頼み、委ね、イエス様が一緒にいてくださるので大丈夫と信頼しています。
ですから、イエスさまに従った生き方を、主の喜ばれるように生きていこうと思うのは当然のことです。

●もう一つの面として・・・・・。
・主イエス・キリストを人生の主、生活の主と崇め従うことです。
27節にあるように、”体を打ちたたいて従わせます。”
私たちに責任があるということもあります。
・心を悪いことから離れる、逃れることです。
・神さまに心を向けることです。
・積極的に清いこと、イエス・キリストのことを思い、イエスさまのような心の人になりたいと思うことです。
行いは心から出て来るのですから、心が清められ、清く保つことが大切なことです。

私たちは決勝点を目指して走っているのです。
朽ちる冠を受け取る為ではなく、朽ちない冠・・・・天における希望、永遠のいのちという素晴らしい目標のわかる走り方をしたいですね。


8月最初の聖日 心から主を賛美し、霊と真をもって礼拝をおささげ致しました。
第�T聖日は聖餐の恵みにも預かることが出来ました。
過ぎる一週間も 弱く・あなた様を悲しませることの多い者を守り導いてくださいましたから有難うございます。
主の十字架で流された血潮ゆえに罪赦されていることを想い、感謝致しました。

今日の聖書の箇所から、信仰生活には救われ受身のままで留まっていることなく、信仰生活の戦い・・・・誘惑と積極的に戦うべきであること、古い肉なる自分を打ちたたいて従わせる努力が必要であることを学びました。
どうぞ、人生の決勝点はなんであるかを覚えて、それを目指し走る者とさせて下さい。
主イエス・キリストのお名前を通して祈ります。 アーメン