2010年04月の記事


日本で初の商用発電所
蹴上発電所は、日本最初の商用発電所で、琵琶湖疏水の水を利用して水力発電を行った。1890(明治23)年1月に工事着工、1891(明治24)年8月に運転開始、1897(明治30)年に第一期工事が完成した。

===京都の産業遺産のHPより抜粋===
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学習院は京都が始まり
学習院(がくしゅういん)は、旧宮内省の外局として設置された官立学校。1947年(昭和22年)に官立学校としては廃止され、新たに私立学校として再出発した。

沿革
学習院 (幕末維新期)・学習院大学等の関連項目の当該節も参照されたい
1847年(弘化4年) 京都御所日御門前に学習院が開講する。
1849年(嘉永2年) 「学習院」の勅額下賜される。
1868年(明治元年) 京都学習院を大学寮代と改称する。
1877年(明治10年) 華族学校学則制定。神田錦町にて開業式挙行。
1884年(明治17年) 宮内省所轄の官立学校となる。
1885年(明治18年) 四谷区尾張町に華族女学校を設置する。
1888年(明治21年) 学習院が麹町区三年町の工部大学校跡に移転する。
1889年(明治22年) 華族女学校が麹町区永田町に移転する。
1890年(明治23年) 学習院が四谷区尾張町(現初等科所在地)に移転する。
1906年(明治39年) 華族女学校と学習院を併合し、華族女学校を学習院女学部と改称する。
1908年(明治41年) 東京府下高田村(現・目白)に移転する(初等学科と女学部は旧位置)。
1918年(大正7年) 女学部が青山に移転して、女子学習院となる。
1919年(大正8年) 学習院の初等学科・中等学科・高等学科を初等科・中等科・高等科に改める。
1928年(昭和3年) 学習院開校創立五十年祝典を挙行する。
1935年(昭和10年) 女子学習院開校五十年記念式を挙行する。
1946年(昭和21年) 女子学習院は牛込区戸山町に、学習院中等科(1・2年)は小金井(現在の都立小金井公園の敷地内)に移転する。
1947年(昭和22年) 学習院学制・女子学習院学制廃止


===wikipediaより抜粋===
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銀座の始まり
伏見・銀座町

伏見銀座跡碑 京都市伏見区関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、日本国内の覇権を意識し、慶長6年5月(1601年)、京都伏見の伏見城下に貨幣鋳造所を設立し、堺の両替商、湯浅作兵衛に命じて取り仕切らせ、頭役には、摂津国住吉郡平野郷(大阪市平野区)の豪商の末吉氏の末吉利方 (平野(末吉)勘兵衛利方) と子の末吉吉康(吉安)(末吉孫左衛門吉康)や同族の平野藤次郎、平野九右衛門らがなる。

極印方の湯浅作兵衛は徳川家より大黒常是(だいこくじょうぜ)という姓名を与えられ、これ以降大黒常是家は鋳造された銀貨に「常是」の略号を刻印して銀貨の極印・包装を担当した。このため、銀座で出された銀貨の包みを常是包と呼んだ。

大黒常是および銀座人らは町屋敷四町を拝領して両替町と称し、銀座会所と座人の家宅と常是吹所が建てられた。この各地銀座所在地に付けられた両替町という名称は諸国の銀山より産出される灰吹銀を、銀座が公鋳の丁銀を以って買い入れることを南鐐替(なんりょうがえ)と称したことに由来し[5]、銀座人らは一種の両替商でもあった。

徳川幕府の中枢が移るに従い駿府にも銀座が設けられ、さらに慶長13年(1608年)に伏見銀座は京両替町、続いて駿河銀座は慶長17年(1612年)に江戸新両替町に銀座の貨幣鋳造機能は全て移された。


===wikipediaより抜粋===
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最初の市内電車
京都の市電 創業年代 明治28年(1895)

 1881年ドイツにおいて初めて電車の営業が開始されたが、わが国では市内電車として明治28年(1895)に開業した京都市電が最初である。

 京都では、琵琶湖からひかれる疏水の有効的な利用法として日本最初の水力発電がはじまり、明治24年に電力供給が開始された。さらに明治28年の第4回内国勧業博覧会の開催地が京都に決定したことも重なり、京都電気鉄道が設立され本格的にその敷設へ向けて動き出した。そして明治26年に電気鉄道敷設許可がおり、明治28年伏見線が開業した。
 開業後、急いで「電気鉄道取締規則」がつくられたが、電車には告知人が置かれることになりここに告知人すなわち「先走り」が誕生した。彼らは12歳から15歳までの少年で、通行人に危険な箇所があると運転台から飛び降りて電車の先を走り注意を促した。夜間には堤燈を持って走るなど重労働の上危険なため、明治37年に廃止された。
 開業後路線も拡張され街を行きかう人々に親しまれた京都電気鉄道の市電は、明治45年市営電車の敷設に伴い、大正7年全面的に市に買収された。
 京都に次いで市内電車が登場したのは名古屋で、明治31年のことであった。
 
 日本で初めて電車が走ったのは明治23年に東京上野で開催された第3回内国勧業博覧会会場内である。
 京都市電は明治28年現在の京都駅近くから伏見までの約6.4kmで開業し、次いで同年4月から岡崎公園で開催された第4回内国勧業博覧会の会場輸送の「足」として大いに利用された。

===博物館明治村のHPより抜粋===
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商売繁盛で笹持ってこい
戎さんの笹 実は 笹の始まりは京都なんです


以下・・・・・

京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。
今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。

===京都ゑびす神社のHPより抜粋===
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京都で始まった節分の豆まき
京都精華大学真下教授によると、御伽草子「貴船の本地」には、平安時代に鞍馬の山奥の僧正ケ谷に鬼の世界があり、京に攻め入る鬼を追い払うため人間が豆をまいた、とつづられている。室町時代の辞書にも同様の記述がある。陰陽道(おんみょうどう)で鬼は陰の存在で、成長が早く「生命力」の象徴の豆は苦手としていた、という。

 また、京都には昭和初期まで、貴船と深泥池の間に鬼の地下通路があったとの伝承が残されていた。鬼がはい出さないよう、節分の日には「豆塚」と呼ばれる池のほとりの穴に豆を投げ入れる風習があった、という。

===この記事は京都新聞より抜粋しています===
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あくせく管理
ついにアクセス解析を設置しました
今までは 意識しなかった解析ツール
荒らし対策の必要性を感じ さきほど設置
ただ いろいろと設定が有ったりで 本格的な設置はこれから
あくせくしながら 設置を行っていきますww

訪問する方を管理する 実に嫌な気がしますが
しかし 荒らしは突然訪問してきて 自分の都合ばかりを書き込み
まったく反省を顧みない性格で 人格破たん者でもあります
このような迷惑な訪問者は 自己防衛で防がなければなりません
そのためのアクセス管理ツール 
しかし あくせく管理するような事はしません^^
あくまで 荒らしが来た時の対策ですから
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関西三空港
なにかと話題の三空港問題
伊丹、神戸、関空の処遇
関西の主な首長と 経済界との懇談会も すっきりしない様子
大阪の知事が 伊丹廃港を主張し 兵庫の知事は まっこうから反対
何でも 10年後の需要予測では 利用者数が 増えているとか
予測なんてもんは 当てにならないと誰もが知っている
為政者にとって 都合の良い予測しか出てこない
すなわち 当てにならないのであるから 信じる必要は無い
若い橋下知事が 伊丹は将来廃港と 声を上げている
これはこれで 傾聴に値する意見だと思う
確かに 便利な空港なので 廃止すると 不便を感じるだろう
しかし 今すぐ廃港では無く 伊丹を廃港しても 不便を感じないインフラを整備するとなれば
特に 問題は出ないだろう
国内線の近距離 地方空港は 神戸が担い 幹線は関空が担う
20年後 30年後の将来像なんて 誰も示せるはずがない
経済活動が複雑になり 物を作らなくても儲かる仕組みが出来上がり
紙切れ一枚で 世界不況すら発生する このご時世である
仮に30年後 リニアが 大阪~東京を結んでいたら?
この区間の 飛行機の利用は 大幅に減るだろう
にもかかわらず 伊丹を永久に存続させるなど 考えるのは無理がある
ひょっとして 伊丹に国際線が戻れば 話は別であるが
空港のキャパを考えると 拡張は非常に難しい
大阪市内(大阪駅)から 関空と神戸空港まで 短時間で結ぶ鉄道が出来れば
利用者の不便は激減する
伊丹は廃港して そこに先端技術都市を誘致し 更に学術都市にすれば
地元も 経済的に潤うだろう
要は 廃港反対派は 経済的打撃を考えて 発言しているにすぎない
廃港賛成派は 騒音問題の解決を行いたい
廃港して 新しい経済基盤を作れば良いのである
経済特区 技術特区 学校特区などを設け
産官学で 伊丹の跡地を利用すればよい
そうすれば 大阪市内の高度規制も撤廃され 大きなビルも建てる事が可能になる
橋下知事は若いから 30年後のビジョンの結果を見届ける事が出来る
橋下大阪府知事に 期待したい!
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頑張れ新人
1.型に嵌るな
2.自由人たれ
3.異なる意見を聞け そして言え
4.チームワークは必要だが 自分を見失うな
5.考えてから行動するか 行動しながら考えるかは 物事を有利に運ぶ
  考えるだけ 行動するだけでは 物事を不利に運ぶ
6.チャンスがあれば 自分の能力を売り込め
7.強く有れ そのためには 日ごろの努力を惜しむな
8.負けるが勝ちは 敗者の言 仕事では 勝つしかないと思え
9.周りに目を配れ 気を配れ

以上九つ 研修を受けた新人諸君に贈ります
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新人研修
昨日 新人研修が終了
元気な新人たちが それぞれの職場へ向かって行きました
研修で 新人達の胆に銘じさせたのは

出来ません
無理です

このふたつは絶対に口にしてはダメだと言う事です
行動を起す前から 出来ませんとか 無理ですとか言われては
指示の与えようがありません
また 頭だけで考える人間より 頭に行動を加える事が出来る人間の方が
仕事を進める上で 大きな力となるのは明らか
指示を与えられ それを考え行動する当たり前の事が出来る人になってほしいと思います
行動して 壁にぶつかれば その時どうするか!
その対応が その新人を育て上げる機会になるかと
また 本人も試行錯誤して 壁を乗り越えてくれるでしょう
その時は 進んでアドバイスを与えたり 力になったりしますが
何もしないで 一人落ち込む人は 置いてけぼりをくって
会社を辞めていくはめになります
往々にして このような人達の口からは 会社が悪い 上司が悪い
私はいじめられている と マイナスの考えしか出ないもの
そのような弱い社員は こちらから願い下げ
とっとと辞めて 新しい会社へ移る事が その人のためにもなります
いかに仲間を作り お互い助け合う事が出来るか
そのような人間関係を 社内で築いてもらいたいものです
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