2010 04/22 17:57
Category : 閑話休題
京都精華大学真下教授によると、御伽草子「貴船の本地」には、平安時代に鞍馬の山奥の僧正ケ谷に鬼の世界があり、京に攻め入る鬼を追い払うため人間が豆をまいた、とつづられている。室町時代の辞書にも同様の記述がある。陰陽道(おんみょうどう)で鬼は陰の存在で、成長が早く「生命力」の象徴の豆は苦手としていた、という。
また、京都には昭和初期まで、貴船と深泥池の間に鬼の地下通路があったとの伝承が残されていた。鬼がはい出さないよう、節分の日には「豆塚」と呼ばれる池のほとりの穴に豆を投げ入れる風習があった、という。
===この記事は京都新聞より抜粋しています===
また、京都には昭和初期まで、貴船と深泥池の間に鬼の地下通路があったとの伝承が残されていた。鬼がはい出さないよう、節分の日には「豆塚」と呼ばれる池のほとりの穴に豆を投げ入れる風習があった、という。
===この記事は京都新聞より抜粋しています===