創句と写真で振り返る平成19年 その13
8月

     君知るや 世界のSAYOKO その軌跡


          


◎黒髪に切れ長の目、モデルで女優の山口小夜子さんが死去 (読売新聞)
 1970年代からパリコレクションなどで活躍したモデルで
 女優の山口小夜子(やまぐち・さよこ)さんが14日、急性肺炎のため死去した。
 葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く予定。
 横浜市生まれ。黒髪に切れ長の目のスタイルが特徴で、
 20歳代で世界のトップモデルとなった。
 ファッションモデルの傍ら、女優として寺山修司の演劇や映画に出演、
 ダンスパフォーマンスや、人形や衣装のデザインなど幅広く活動した。


※これは、かなりの衝撃でした。
 山口小夜子さんは、一時代を代表するキーパースンの1人と言えるかも知れません。
 なにしろ、「世界の6人のトップモデル」の1人に選ばれたくらいなんです。
 今にして思えば、考えられないくらいのすごい評価だったわけで…。
 当時の日本人は、あまりその意味がよく分かっていなかったように思います。
 つまり、日本人が考える評価の概念を突き抜けた、途方もない評価だったために、
 その意味すら理解できなかったのでしょう。

 寺山修司の映画にも出演なさっておりました。
 世界中からオファーがありました。
 つまり、単なるモデルという枠を超えた存在だったわけです。


 からだが弱く、たくさん食べられなれず、
 すりおろした果物などがやっと喉を通るというようなお子さんだったそうです。
 外に出て遊べなかったので、母親に髪をきれいにとかしてもらったり、
 服を作ってもらうこと楽しみだったとか…。
 それで、自分も服飾関係へ進もうと、
 杉野学園ドレスメーカー女学院で学びます。
 ところが、そこから運命が変わるんです。
 たまたま仮縫いのモデルを務めたところ、
 プロのモデルへと誘われたんです。
 思えば、この時、勧誘した人の先見の明たるや、
 ものすごいものがありますね。

 あっという間に売れっ子モデル。
 高田賢三や山本寛斎の仕事をこなすうち、72年にパリ・コレデビュー。
 とんとん拍子で頂点にのぼりつめます。


 じつは、モデルになってから、
 黒髪を茶色に染めろと言われ続けたそうです。
 それでは世界に通用しないと。
 しかし、彼女は自分を知っていたんですね。
 自分に茶髪は似合わないと。
 一番自分らしく、自分を表現するためには、
 黒髪で通すべきだと。

 「だめだ、だめだ」と言われ続けていたのに、
 ある日突然「黒髪のSAYOKO」として
 世界に認められるのです。
 「だめだ、だめだ」と言っていた人たちは、
 どんな気がしたでしょうかね。
 案外、自分がダメ出ししたことなんて忘れて、
 「あの娘は自分が面倒をみたんだ」
 …なんて言ってたんじゃないかと思いますけれども…。



 1977年に、アメリカのニューズウィーク誌から
 「世界の6人のトップモデル」に選ばれたわけですが、
 さらに劇的な追い風となったのが、
 イギリスのアデルー社が彼女をモデルにしたマネキンをつくったことです。
 これがロンドン、パリ、ニューヨークの超一流店のウインドウを
 飾ることになったのです。
 世界のファッション業界で、
 知らないものは誰もいないという存在になりました。


 
 その「世界のSAYOKO」が亡くなられたのです…。
 さまざまな分野(演劇、ダンス、人形デザイン、DJ、エッセイスト…)
 で才能を発揮なされておられましたから、
 まだまだ、これからだったはずなのですが…。


  全身を使っての表現が私のしたいこと。
  モデルか、パフォーマーかと聞かれますが、
  ジャンルにはこだわりません。


 「表現者」、山口小夜子さんのご冥福をお祈りいたします。




※画像はこちらで。

 http://blog.goo.ne.jp/aoepapa/

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編集 アオエ : コメントに今気づきました。申し訳ありません。まだ、この仕組みがわかっていないものですから。そうです。素敵な人でした。過去形で語るのが残念でなりません。
編集 菜々 : 黒髪のクレオパトラみたいな人でしたね。切れ長美人