2021年03月の記事


「納税ですね」
水色に広がる空を背景に薄桃色の桜は満開
風も穏やかな中ポテポテと歩いて税務署に向かったのは29日の事でやんす
心地よいなぁっと言いたいところでやんすが気温が高い
ムッチャ暑い陽差しの中税務署にたどり着きましたです
入り口には毎度おなじみの整理のお方
「提出だけです」と言いますと入り口を指示してくれましたです
その横を「予約しています」と声をかけた女性が一号館の階段を上って行きますです
さて
入り口前には列も無くそそくさとは言ったペンの視線の先の通路の向こうに提出を待つ男性が立っておりましたです
まるでホテルのフロントマンのようにすっきりとした立ち姿
さすがに「いらっしゃいませ」とは言いませんでしたです

今年のペンはいつもと違う提出物が有りましたです
「分離課税」なるもの
この内訳を2部・確定申告の用紙Bを1表と2表ほかに3表が付きまして、これに添付票が付きましたです
受付のお方もあまり見慣れてはいなかったようでゆっくりと確認しておりました
そして一言
「納税ですね」

まぁ しゃぁ無いわな
そないな数字になったからには払わなければ
腹括ったから提出するわけさ

このように思いながらもにっこり笑って
「はい」
受付のお方は振込用紙をくださいましたです
「納期は4月15日までです」
へいへい

ペコッと会釈をして陽射しの中を歩いて戻りましたです
それにしても
暑いなぁ
お日様が恨めしかったです^^
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10年前の夜
東日本大震災の起きた10年前の11日から数日が過ぎましたです
連日現地の報道が続いて大変な状態になっている事は理解できましたです
それでもお江戸での日々の生活は徐々に戻って来ていましたです

実はこの時点でペンは毎年4月に行う定例の「京都オフ」に行く気満々でやんした
京都は震源地より遠くにありメンバーもペンが一番東側
そろそろ一か月前になるので新幹線のチケットを購入しないとなぁ
こないに思っていましたです
そんな暢気な気持ちを打ち砕いたのが10年前の今夜22:31に起きた地震でありました

静岡県東部になる富士宮市を震源としたM6.4
一部で震度6強の揺れとなりましたです
富士山の南麓という事も有って
「富士山が噴火するかも」
「南海トラフ地震の前兆かも」
こないな声がテレビで飛び交いましたです
東日本・・の地震の余震ではないと言う専門家のコメントも影響したようでやんす
夜という事も有って不安は大きくなりましたです

もし富士山が噴火すれば新幹線は当然寸断されますです
東名高速道路も使えなくなるだろうなぁ
するってぇと
中央自動車道経由か中央本線で松本経由・・・
京都からの帰り道をあれこれ頭の中で考えるペン
富士川を挟んで西と東にペンの家族は別れることになりますです
江戸時代に起きた富士山の噴火の後の状況が頭の中を過ります

やめた!
今回は京都行は中止だ!
この日を最後に京都へは出向いていないペンでやんす
行くつもりで用意していたお金は被災地に送る事にしましたです

それから10年
あちこちで色々な自然災害が起きていますです
オフ会ようの予算は消えて全部被災地へ
この方がお金が生きると思っているペンでやんす

それにしても日本人は逞しい
地震だけなら東日本はもっと早く復興しているのだろうなぁ
色々と考えるペンでやんす
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10年前の昨日
時が経つと薄れる記憶も有りますですが鮮明になって行く記憶も有りますです
そんな訳で10年前の続きでやんす

11日の午前中
ペンとお嫁ちゃんはちょいとお茶をしていましたです
まだお孫もいない頃だったのでお互い旦那を送り出して一息ついていたってぇこってす
当時プリンスの家とペンの家はお隣同士
まさにスープが冷めない・・熱いままに届けられる距離でやんす

お昼前にお嫁ちゃんが戻って行きましたです
さてペンも仕事をしようとPCの前に座って暫し専念
そして・・14:00が過ぎて暫し・・東日本大震災が起きたのでやんす

揺れが収まってもお嫁ちゃんがやって来ません
「生きてるかぁ」
隣の家に行ってドアに手をかけると鍵もかかっていなくて開きますです
所が家の中にいたのはニャンコだけ
買い物に出ているのかっと待ったのですが行方不明のまま
昨日書いたように思いもかけないところから連絡が入って居場所が判明ホッとしたものでやんす
ペンパパは夕方に帰宅
プリンスは指令所で万が一に備えて自主的に緊急要員として泊り込む事に

夜になってお嫁ちゃんからやっと連絡が入りましたです
TDLから臨海公園までバスが出るが移動した方が良いか?
ペンは瞬時に言いましたです
そこへ留まれ
臨海公園よりTDL内にいた方が絶対に安全だ

はい
その通りだったのでやんす
保温シートや毛布をスタッフの人が配ってくれて寒さも凌げお店に並んでいる食べ物もどんどん分けてくれたそうでやんす
飢えもなく寒さも無く適切な声掛けをスタッフの人がしてくれていたので不安も無かったようでやんす

夜が明けて鉄道が動き始めTDLからバスで脱出するときにスタッフの人はお土産にクッキーまで下さった
「ちゃんと落ち着いたらまた来て下さいねぇ」
スタッフの人に送られてお嫁ちゃんは帰ってきましたです
TDLお見事!!!
このように思ったペンでやんす

ところが
このたくさんのゲストの中にペンの友人Pのご親戚が混じっていたのを知ったのはちょいと後の事
新婚旅行で海外へ出る前にちょいと立ち寄ったTDLで震災に遭遇
とうとう旅行は中止になってしまったとか

悲喜交々
この頃から被災地の情報が続々と入って来たのでやんす
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10年目
東日本大震災から10年が経ちましたです

エクラの日記を10年前に戻してみたら
この日は日記を書いていない
翌日にダイジェストのように書いていただけ
きっと当日は気持ちがいっぱいいっぱいだったのかも知れないなぁ

何しろ古い家でやんした
その分衝撃も大きかった
当時ペンは全盛期を過ぎたとは言えバリ仕事をしておりましたです
PC上の図面を消してはならぬと瞬間的に考えて上書き保存
意外と冷静だったんやなぁ
その後PC机の下に潜り込んで部屋の反対側に目をやる
仕事の為に積み上げてあった紙片が舞い上がり~舞い落ちる~
ペンはその姿を眺めていましたです
揺れが小さくなり・・収まって暫く
机の下から這い出して家の中を見回ったのでやんす
鴨居にかけてあった額が落ちている以外に大きな被害は無いように見えましたですが実はまずは動かない筈の家具がずれて居ましたです
一人で戻すのは無理なので家族が返ってくるまで待とうと放置

瓦が落ちたような音はしなかったのでやんすけど塀は大丈夫かなぁっと外へ出た時にペンパパの車が飛び込んできましたです
揺れている最中になった電話
これがペンパパからだったようで案じて戻って来たとの事でやんした

当時お嫁ちゃんはいましたですがお孫はまだこの世に存在せず
それが今年小学校に上がりますです
10年
長いねぇ
それでも復興完了には程遠く
まだまだ先が見えませんです
出来る支援は継続中

ちょいと思い出して書いてみたペンでやんす
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