その時妹は神戸にいた
阪神大震災から今日で15年経ちます
激しい揺れで飛び起きた寒い朝の記憶を今でも忘れられません

妹はその時神戸にいてマンションの窓を開けたら眼下が真っ赤な火の海だったと言います
それから食べ物の確保と水の確保・・・色々大変だったようです
お米は有るけど水も出ないしガスもこなかった・・・
初めて飢えと言う物を知ったっと述懐しています

あれから15年
震災を知らない子供たちが育ってきています
亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に語り継いで行って欲しいと思う朝でした

今回は真面目ですよぉ

編集 ペン : とのさ~ん♪お久しぶり♪震災の記憶が消えていったらあかん!って思います
編集 との : 阪神大震災は、凄かったです。 僕の住んでた所は、被害は少なかったですが、友人のいた所は、酷かったそうです。
編集 呑気おやじ : あらら・・言葉足らずでコメントが入ってしまいました。震災から15年なんですね。甥っ子が生きていたら25歳になってるのかー・・・です。
編集 呑気おやじ : 袋はつぶやくを楽しみました。足跡を残しましょう。
編集 ペン : 本当にそうですね♪空気と同じであるのが普通って思い上がる人間に自然界の堪忍袋の緒が切れる時が近いかも~~
編集 gonch : 自然の怒りに人間は無力です。わかっているのに大事にしてない様な気が・・・。
編集 ペン : はい♪地球も生き物でやんすから大事にしてあげないと怒ります。うまく共存できないものか?
編集 boonyan : ハイチの地震でも沢山の犠牲者が出ていますが、天災などから逃れつつ地球上で生き残っていくのも大変ですにゃ~(~_~;)
編集 ペン : 本当に怖い思いをされたでしょうね。妹は今でも忘れられないって言います
編集 gonch : 当時、私は大阪へ出かけていて前夜に自宅に帰りましたが、夫は出張のためそのまま大阪泊り。経験したことのない揺れと恐怖だったようです。