ありがとう 涙はみせず 笑うべし
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 赤塚不二夫さんがお亡くなりになりました。
 私もあの強烈なギャグマンガに影響された1人です。
 長い闘病生活をしっておりましたので、
 ある程度、覚悟はしておりましたが、
 実際にその死を報じるニュース等々に接すると
 大きな欠落感に襲われました。

 ジャズの山下洋輔トリオが博多にコンサートツアーで出かけた時、タモリと出会い、
 その尋常ならざる面白さを帰京して飲み仲間たちに繰り返し語っていたところ、
 そんなに面白いのならオレたちが金を出すから、
 一度、そいつを東京に呼ぼうではないか…。
 そのようにいった人たちの中に、赤塚不二夫さんがいたわけで…。

 そうそうたるメンバーが期待しているところにあらわれた「面白い男」は、
 赤塚さんのイメージしていたものとは大違い。
 ごく普通のメガネをかけたうらぶれたサラリーマン風の貧相な男…。
 赤塚さんは、がっかりしたそうです。
 ところが、一旦、芸が始まると、これが面白い。
 そのギャップがすごかったようです。




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 今のタモリからは想像がつかないと思いますが、
 私も当時のタモリの写真をみたことがあります。
 本当に赤塚さんが思ったとおりの感じなんですよ。
 年よりずっと老けてました。
 今のような感じに垢抜けさせたのは、赤塚さんをはじめとするの仲間たちだと思います。
 デビュー前に、赤塚さんたちは、いろんなアイディアを出しては
 タモリの芸に磨きをかけていくことになります。
 ただ、単に自分たちが面白がっていたという面もあったわけですが、
 それが同時にタモリが持っていた原石を光り輝かせたことにもなったわけで…。
 山下洋輔というジャズマンが、幅広い人脈を持っており、
 山下洋輔文化圏と命名する者もいるくらいなのですが
 その一員に、作家の筒井康隆がおります。
 筒井さんも赤塚さん同様、タモリの面白さに夢中になった1人。
 売り出し当時のタモリのブラックな芸風は、この人の影響が大きいといえます。
 筒井さんはまた筒井さんで、タモリの面白さに触発された作品を何作も書いているとか…。 

 とにかく、タモリの面白さにこのまま九州へ返してしまうのは惜しいと
 皆さんが思ったようなのですが、
 このまま東京にいろと、自分のマンションに住まわせたのが赤塚不二夫さん。
 デビュー前のタモリは、赤塚さんのマンションでガウンを着て高級ウイスキーをのみ
 まるで、自分のマンションのようにして暮らしていたそうです。
 赤塚さんはといえば、仕事部屋に寝起きしていたわけで…。
 タモリは、赤塚さんは、ほかに豪華な住宅を持っているのだと思い込んでいたようですが、
 それにしても、その時に、赤塚さんがいろいろお世話をしてくれたおかげで
 現在のタモリがあるわけなんですね。
 タモリが「肉親以上」というのは本当だと思いますね。
 
 タモリが生まれて初めて読んだという弔辞はYouTubeで見ることができました。
 赤塚さんもきっと喜んでいると思います。
 タモリも、立派ですね。
 そのあと、ちゃんといつもどおりに仕事をしているんですから。

 赤塚さんとタモリの交流はメチャクチャな部分が目立ったかも知れませんが、
 実際は想像以上にデリケートで相手を尊重した大人の付き合いだったんだなあと
 心から思ったアオエなのであります。
 (゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。) 


※画像が見えない場合はこちらを。

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 リンク集からも行けます。

編集 アオエ : 改めて、アニメかマンガ本か、赤塚不二夫関連のものをなにか購入しておこうかと考え中です。
編集 orfe : 能力を増幅し合える触媒と出会えたことは誰にとっても幸せなことでしたね。赤塚先生もよい作品を残されました。