2010 02/28 10:51
Category : 気まま
差別と区別
どちらも似たような意味合い
だが 差別となると 人はそれをいけない事だと言って非難する
しかし 本当にダメな事だろうか?
敢えて 誤解を恐れずに ちょっとこの件で 書いてみようと思う
差別と言えば 最初に思いつくのが 人種差別
肌の色合いだけで 能力に関係なく 差別をされるのだから これはダメ!
次は 宗教による差別
これは 信じる物の違いから生じる差別だ 異教徒を怖がるところから始まっている
それ故 異教徒を迫害し 差別を平然と行う
これも 相手を思いやる気持ちが感じられないのでダメ!
このように 区分を大きく考えると 差別は人として 行ってはならない事に気づく
では 普段の私たちの日常ではどうであろうか?
まずは 二枚目か三枚目か ・・・ 二枚目が俄然好まれる
三枚目は 二枚目と区別されている
この区別は 個人の好みによって 異なるので 一概に否定は出来ない
学問知識が豊富かどうか これは入試や入社試験 各種試験で問われる能力を区別されるものだ
頑張った者には それなりの評価を与え サボった者には 評価を与えない区別である
これも 理解出来る差別である
学校や会社を一流 二流と区別すること
これも立派な差別である しかし この場合 その差別は社会的に認知されているので
誰も 差別とは感じない
地域による差別もある
大阪はタン壺である!と言った政治家が居た これは立派な地域差別だ
西成のあいりん地区 ここには日雇いの労働者が多く集まる
それゆえに あそこは怖い場所だと言われ続けている場所だ
これも立派な差別である
住宅を購入するときに その地域に被差別部落が隣接するかどうかを調べる
これは のちのち家を売却するとき 家の価値が保てるかどうかを知るために行う
また 自分たちの子供が通うであろう 学校の環境が気になる故であろう
ちょっと思いついた事を書くだけでも これだけの差別の事例が出てくる
最初に「差別は人として行ってはならない」と書いたが
この言葉が 怪しくなってきた
私自信 毎日の生活が 区別と差別の連続である
人としての人権(生命・生活・人種)にかかわる部分の差別は許されないと考えるが
生活をする上での差別は 日常的について回るのである
私は聖人君子ではないので これからも意識しない内に 差別を行うだろう
このように書いていると 差別とは 自分が差別されないようにするために
自分たち!としてまとめられる集合(社会)の輪の外に有る 別の集合に対して行っているのである
差別はいけません 差別する人を許せません と言うのも
差別している人を 逆差別しているのでは?
どちらも似たような意味合い
だが 差別となると 人はそれをいけない事だと言って非難する
しかし 本当にダメな事だろうか?
敢えて 誤解を恐れずに ちょっとこの件で 書いてみようと思う
差別と言えば 最初に思いつくのが 人種差別
肌の色合いだけで 能力に関係なく 差別をされるのだから これはダメ!
次は 宗教による差別
これは 信じる物の違いから生じる差別だ 異教徒を怖がるところから始まっている
それ故 異教徒を迫害し 差別を平然と行う
これも 相手を思いやる気持ちが感じられないのでダメ!
このように 区分を大きく考えると 差別は人として 行ってはならない事に気づく
では 普段の私たちの日常ではどうであろうか?
まずは 二枚目か三枚目か ・・・ 二枚目が俄然好まれる
三枚目は 二枚目と区別されている
この区別は 個人の好みによって 異なるので 一概に否定は出来ない
学問知識が豊富かどうか これは入試や入社試験 各種試験で問われる能力を区別されるものだ
頑張った者には それなりの評価を与え サボった者には 評価を与えない区別である
これも 理解出来る差別である
学校や会社を一流 二流と区別すること
これも立派な差別である しかし この場合 その差別は社会的に認知されているので
誰も 差別とは感じない
地域による差別もある
大阪はタン壺である!と言った政治家が居た これは立派な地域差別だ
西成のあいりん地区 ここには日雇いの労働者が多く集まる
それゆえに あそこは怖い場所だと言われ続けている場所だ
これも立派な差別である
住宅を購入するときに その地域に被差別部落が隣接するかどうかを調べる
これは のちのち家を売却するとき 家の価値が保てるかどうかを知るために行う
また 自分たちの子供が通うであろう 学校の環境が気になる故であろう
ちょっと思いついた事を書くだけでも これだけの差別の事例が出てくる
最初に「差別は人として行ってはならない」と書いたが
この言葉が 怪しくなってきた
私自信 毎日の生活が 区別と差別の連続である
人としての人権(生命・生活・人種)にかかわる部分の差別は許されないと考えるが
生活をする上での差別は 日常的について回るのである
私は聖人君子ではないので これからも意識しない内に 差別を行うだろう
このように書いていると 差別とは 自分が差別されないようにするために
自分たち!としてまとめられる集合(社会)の輪の外に有る 別の集合に対して行っているのである
差別はいけません 差別する人を許せません と言うのも
差別している人を 逆差別しているのでは?