価値観の多様化とは
異端児・河野氏「頑張れ国母」 服装問題、自民内で賛否
2010年2月17日(水)08:05
 バンクーバー五輪スノーボード男子ハーフパイプ代表の国母和宏選手の服装問題をめぐり、自民党内で賛否が分かれている。

 きっかけは、河野太郎元法務副大臣のブログ。15日付で「価値観は多様であるべきだ。頑張れ国母。僕は応援するぞ」と擁護のコメントを掲載した。党内で異端児扱いされてきた河野氏らしく「日本の学校も社会も、ルールは確実に守り、ルールに違反したらなんらかの処罰がある。しかし、価値観は多様であるということを教え、受け入れるべきではないだろうか」とも強調した。


 16日は、谷川秀善参院幹事長が記者会見で「スポーツは個性があるので、ああいう格好もやむを得ない。ぴしっとさせない監督の責任だ」と語った。


 一方、大島理森幹事長は記者会見で「多様な世界のアスリートが集まるとき、一定の節度あるユニホームがあっていい」と国母選手に不快感を示した。
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上記の如く 政界までも巻き込んだキーワードは「価値観の多様化」


価値観の多様化
これは 人種 国籍 宗教 文化 教育 性別 年齢 思想 哲学 などによって 細かく言えば 人の数だけ存在する
この全てを認めるか 認めないかは 意見がわかれるところだ
ただ言える事は 全ての価値観を認めると そこには モラルと言う 人しか保てない価値観が消失してしまうだろう
他の生き物と 人間との大きな違いは 道徳と規律を きっちりと意識して 受け入れているかどうかだ
動物の世界にも 秩序は存在する 弱肉強食を生き抜く知恵として 強いものに従うと言う秩序だ
また 他の縄張りに立ち入らない と言うモラルも存在するだろう
人も同じ事を行うが 決定的に違うのは 人には文化が存在し 思想哲学が 存在していると言う事である
ただ強い者のみに従うのでは無く 思想を同じとするもの 哲学を同じくとするもの等など 心の問題で一緒になるのである
多くの人が 一緒に住むためには 道徳・規律(モラル)が必要となる

では このモラルは 多様性を認めないのであろうか? 答えはNO 多様性を認めているのである
しかし その多様性は 多数の人を不快にしないと言う前提が備わっている
多くの人に 喜びや 夢 希望 自信 自慢等を持たせる必要があるのだ
これから逸脱するものは モラルの外に存在するものとされてしまう
即ち 忌まわしき存在 疎ましき存在に変わってしまうのである
それゆえ 人はそのような アウトサイダーとなる価値観を 非難し 攻撃するのだ

今回 オリンピックの選手で 服装の問題が かしましく取り上げられている
余りにも自分勝手な 若者の価値観が 服装の乱れに表れていると考える
下着を見せて その一体 どこがファッションなんだと言いたい
人を不快にするファッションなどは モラルの欠如された もはやファッショとは呼べ無い ただの自己主張である 
礼儀や 作法がまったく身についていない若者 こんな小僧子に 一体誰がしてしまったのであろうか
服装の多様性は 時代時代によって 価値観が大きく異なり また年齢の違いによっても
大きく価値観が異なってしまう 非常に身近な問題である
周りの人が注意すればよかった問題だ! などと言ってる人もいる
それは違うだろう! 今回は21歳にもなる大人の選手が そのような目障りな服装で 世間を騒がせているのだ
これは 21歳の大人になっている本人の問題だ 子供だったら 周りの注意が必要だろうが 今回は 完全に本人の問題である
それを 周りの人間のせいにするのは 大きな間違いである
多様性とは 規律や秩序を守ってこそ その存在を認められるのである
即ち 大人にのみ許された考えなのだ

編集 テラ : 人としての文化を大事にしたいもんどすね^^
編集 ペン : ファッションにもTPOがございます。それを知らないでは済まされない年齢・・場所を弁えないのは文化人とは呼べませんです。恥の文化日本は何処へ行ったんだろう?