2025年09月の記事


10)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会第435講250913
10)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会第435講250913

溺れ谷というか進入した海水が引いた後に残った春採湖。湖岸のコタンの旧家たる山本太吉家。
そこに伝わる口承伝承は強い伝承力を示す。
一家の引き継ぐ口承伝説には「(内容)簡潔・エカシ位置=自ずから聞く者を転ずる強い伝承力」の特性。

1)評価される要因
(1)経験則ながら危険予知、共同体員の減災に貢献
   (減災=災害時に被災を最小化する取組み)
2)伝承として継承された意味、
  (2)蓋然性・妥当性・信憑性備え、信頼度高い。

 では、「経験則」とは。
そこを「経験的事実に立脚して得た法則」&「因果関係明確ならずも、経験上あてはまる法則」とした。
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11)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会第435講250913
11)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会第435講250913

ハルトリコタンの山本太吉エカシが伝えた「津波と春採湖伝説」。
地縁共同体で語り伝えられた、その伝承力に注目。
要を「(内容)簡潔・エカシ位置=自ずから聞く者を転ずる強い伝承力」とする第3話。

口承伝承の内容が、「今日、どのように活かされることが大切か」で私見を紹介。
 (3)生命・財産・自然破壊を限りない持続と折合で “つながる”。
(4)エカシに<おのずから周囲を転じ然らせしめる“地域の知恵” >を読み、
(5)地縁共同体を血縁関係に置換して、いま家族関係希薄のなか地域家族の提案。

「自身転じせしめる」には、渋柿は日光の働きで甘い柿に転ずるの例。
その知見を「可溶性タンニンが日光で不溶性タンニンに転じ渋味を感じさせぬ」位置にある、とした。
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12)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会250913
 12)結 意義=危険予知の伝承力量 釧路アイヌ文化懇話会250913

「簡潔・エカシ位置=自ずから聞く者を転ずる強い伝承力」を説明の「むすび」。
アイヌ民族口承伝説が実に長い期間にわたり語り伝えられている点に注目。
文字を持たぬ民族の文化には縁遠い、「風化」ということについて、私説を用意してみた。

東洋思想では、「教えも修する人も居る」が、「修する人は居るも教えがなくなる」。
やがて「教えも修する人も居なくなる」と、《段階》を区切る。
そこを「思想=意味も祭祀=形も共に伝承」「思想欠落し形のみ伝承」、「思想も形も忘れられる」。

かく置換してはどうか。原爆投下・都市空襲・津波被災。世の中、「風化させてはならぬ」に懸命。
作家の渡辺淳一氏があるときnhkETVで申していた。のちにその要旨は『週刊現代』かにも掲載。
「「(人間っておもしろい)学習して賢くなるいっぽう、いくら学習しても同じ失敗をくりかえす」。

これを聞いた2005年頃の若者。「(『失楽園)』など作ある)渡辺淳一が、こんなこと言ってますかー」。
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幣舞橋 北海道東部経済の象徴的空間で示す『くしろ写真帳』 by 佐藤宥紹
幣舞橋 北海道東部経済の象徴的空間で示す『くしろ写真帳』 by 佐藤宥紹


 『くしろ写真帳』は2021年6月、北海道新聞社から発行された。「Ⅶ.年表」50ページを伴う、B5判264ページの大著だ。その目次は以下のとおりである。
  はじめに
  Ⅰ.幣舞橋 釧路川
  Ⅱ.港とともに
  Ⅲ.中心街今昔
  Ⅳ.ヤマのまち
  Ⅴ.鳥取地区
  Ⅵ.木処 釧路
  Ⅶ.年表
  解説 編集後記

 「札幌市」が上、下二巻構成である点は別として、函館・旭川・室蘭・小樽の各都市編が160ページの規格であった点と比するに、大層の意思を表明しものであった。
 北海道に明治33年北海道区制が施行され、大正9年までに区制が敷かれた6都市の、最後の出版でもあった。

 「あなたが、さー」「白紙に太平洋にそそぐ釧路川を書き、下流部に阿寒川を合流させた図をもとに展開した話」。
 「その話を聴いて、即、『この本は幣舞橋から始める』と、考えがまとまった」。
 「札幌の本社で、釧路ゆかりのヒトに聞いてみても、皆、幣舞橋をあげる」「これで、行く!!」。

 担当の北海道新聞社出版局の大倉玄嗣さんは、そう申された。
 最初の校正刷りを手に、その構成に目をみはりつつ、釧路市の特性を明示した構成に注目した時の、ヤリトリ。

 いつのころからか説明には常に、掲載図面に依拠した白紙に図示して、と。そうなった。
 確か吉田常吉さんと記憶するが、松浦武四郎研究者の来訪を受けたことがある。
 その折も変わらずに説明したのだが・・・・。

 同僚というより先輩から「初めて図示しながらの説明を聞いたが、非常によく理解できた」。そう、申されたのであるも。
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釧路の表情 形成 本”の街『くしろ写真帳』はじめに 幣舞公園―1― by 佐藤宥紹
 釧路の表情 三大基幹産業 “創る本”のマチ 『くしろ写真帳』はじめに 幣舞公園から見える表情 ―1― by 佐藤宥紹210629

 ―日本三大名都論―
 1965年、石川早稲田大学工学部教授(当時)は釧路市の幣舞丘陵に立つ。
 眼下に釧路川と幣舞橋、北大通を軸に東西に広がる都市形態、中葉に釧路湿原が広がり、遠く阿寒の麗峰がくっきりとのぞめる。盛岡市、松江市とならぶ景観であると、このマチに名都のたたずまいを読みとった。
 本市は屈斜路湖に源流部をもつ釧路川の河口に成立した都市。釧路川は釧路湿原東縁部を流れる。1920年までこの川に阿寒湖から流れ出る阿寒川が合流していた。この点を知る市民は希少となり、本市が日本三大名都論の対象地と知る市民はさらに少ない。
「日本三大名都」。それは二十万都市を標榜した「釧路市の表情」とするにふさわしいと、筆者は受けとめてきた。

 ―表情形成の三大基幹産業―「
 1858年、松浦武四郎は、肥前・鍋島家の家臣に書簡を贈った。「(釧路は)豊饒の地たる一大河川」「有司に伝えよ、貴藩こそ開拓の出願を」。訳するに「資源豊富、河川水系で搬出に好都合の地」と読める。この献策は1980年までの釧路地域の開発軸、開発の思想となった。
 「三大基幹産業」としてきた水産・石炭・製紙業の蓄積。それは「釧路市の表情」を形成してきた経済機能と位置づける。

 ―出版文化の伝統=「日本三大名都」の「意味と価値」
1956年、原田康子著『挽歌』がベストセラーとなり、女流文学賞を受賞した。小説『挽歌』が世に出た前後。
「前」に同人誌『北海文学』が発行されている。市立釧路図書館は『読書人』を毎月、『釧路市立郷土博物館新聞』が隔月に刊行されていた。地域の有識者はこぞって各誌に投稿する。
「後」の時期、三誌に掲載した作品・論考をベースに釧路叢書が発行され、原田の作家としての成長に励まされるかのごとく桜木紫乃が続く。このマチの地方出版事業は「すそ野」を広げてきたのである。
本書は二つの製紙工場を有するマチから世に問われる。
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美しい街に今日も美しい夕日が沈む 『くしろ写真帳』特別寄稿 幣舞公園の表現―2― by 桜木紫乃210629
美しい街に今日も美しい夕日が沈む 『くしろ写真帳』特別寄稿 幣舞公園の表現―2― by 桜木紫乃210629

美しい街には人の感情が寄り添う
 景色がある。今まで数多の表現者が
 思いたったことだろう。

 夏を抱き続けている乳色の霧さえも
 記憶の彩である。
 耳をすませば霧笛が聞こえる

 幣舞橋の上で駅を振り返えれば
 街を創ってきた先人の足音が聞こえる
 大勢の人 同じ紙袋
 待ち合せた時間が十字街を交差する。
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試される時代の釧路 『くしろ写真帳』全体解説 幣舞公園から見える表情 ―3― by 佐藤宥紹210629
試される時代の釧路 『くしろ写真帳』全体解説 幣舞公園から見える表情 ―3― by 佐藤宥紹210629

ー隔地間交易と地域分業の江戸期―
漁業資源は形を変え本州へ。ニシン・イワシは農業用肥料、コンブは中国向け輸出品、サケ・タラは江戸の旨味食材です。釧路川河口と江戸・上方を結ぶ海路輸送で遠隔地間交易が始まります。
地域の資源は、本州農村が進めていた綿花・稲作の増産に貢献、日本全体の経済を補完する地域分業の一翼を分担していたのです。

 ー資源に期待集まる明治から昭和期―。
1920年(大正9年)は釧路町に北海道区制が敷かれ、釧路区が発足します。産業的にも都市基盤整備でも、「近代化」の時代。内陸炭鉱と農地が開発され、太平洋炭礦株式会社が創業、富士製紙株式会社鳥取工場が操業します。
漁船は風帆から石油動力に変わる「漁船動力化」の時です。施設で民営鉄道網の広がり、水道、公園、街路の整備と四代目幣舞橋が完成します。

「期待される」が「試される」に――。
1952年の釧路市人口は万人。日本銀行釧路支店が、地元の熱心な誘致で営業を開始しました。中央銀行の支店開業はその後に続く「誘致の時代」のシンボルです。外部の投資は、この地への期待度の高さの表現です。
しかし石炭増産は続くも釧路炭田の小ヤマは閉山。国内では三菱資本や明治鉱業の炭鉱が閉山していきます。釧路の資源に対する評価が転換し、海外資源に代替・置換される時代の始まりです。
1977年には国際漁業規制と続きました。そればかりか長く釧路や北海道を形づくった域外からの投資が撤退します。域外からの投資あればこそ釧路を発展させた投資が、こぞって海外に向けられる時代を迎えました。
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三厩駅朝焼け 時の駅長さん推し=津軽半島北端の駅 「こころ旅 青森市」2011年舗装nhkBS4K250918
 三厩駅朝焼け 時の駅長さん推し=津軽半島北端の駅 「こころ旅 青森市」2011年舗装nhkBS4K250918

「駅のフォームからの朝焼けが美しい」。時の駅長さんが寄せてくれた手紙。
 今別の宿を午前3時前後に出発、津軽半島北端の駅をめざした、火野正平さんの自転車旅。
 夜明けの三厩駅では投書の田中駅長さんが、出迎えてくださった。

 宿を出てほどなく、東の空は東雲の美しさ。曙、暁、にっしゅつ=日出と東の夜空が、白みかける。
 「毎日、朝が楽しみ」。実に鉄道愛にみちた駅長さんの解説が、尊い。
 では、三厩駅の位置を。ない。国土地理院図には路線表示が姿を消している。

 それもそのハズかどうかは不明ながら、ネットデータによると2022年の大雨で被災。
 蟹田駅ー三厩駅間に臨時代行バス運行で、2028年度をもって駅は廃止、と。
 鉄道愛あふれた駅長職も、2019年には青森駅長の管轄下に。

 往時、津軽海峡を経て松前との表玄関たる三厩。そのよすが、今はなし、か。
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自然の威力に共生し働きかけ生み出す地域の知恵 「北の清流絶えまなく~北海道・後志利別川~」250920nhkBS4K
 自然の威力に共生し働きかけ生み出す地域の知恵 「北の清流絶えまなく~北海道・後志利別川~」250920nhkBS4K

 「気がついたら身のまわりに立派な自然がある」。
 「川の流れが命だと思う、川の流れを(和太鼓の)リズムと振付で表現する」
 後志利別川は積丹半島の今金町を日本海に流出する河川。

 そこに「狩場太鼓保存会」が旧産業会館を拠点に演奏活動を続けている。
 番組案内は「ふるさとの誇りを取り戻したいと和太鼓で川の流れを表現する男性」と紹介。
 冒頭の「身のまわりに立派な自然」「川の流れが命」「(それを)リズムとフリで表現」。
 そう語る。「たびたび氾濫が起こる中で代々受け継がれてきた農地を守る」。
 「時代が変わりゆくなかで、いつまでも変わらない後志利別川の流れを見つめる」

  厳しい自然や自然の威力の表情。その環境のなかでブロッコリー栽培、水と大豆を活かした豆腐に代表の<地域の恵み>。
 地域の価値を高めるためには、なにがしかの<賢者の働きかけ>が不可欠。
 永年にわたり蓄積されてきた、地域の恵みを生み出す賢者の働きかけを<地域の知恵>。

  25年9月20日放送 小さな旅「北の清流 絶えまなく ~北海道 後志利別川~」
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「モノだけ残る、生産者だけ残る」250913 女性職人 村上市 いいいじゅーnhk
 「モノだけ残る、生産者だけ残る」250913 女性職人 村上市 いいいじゅーnhk
 
「モノだけ残る、生産者だけ残る」。それは全然別物。
「(それは)死んだ文化と、生きている文化ほどの違い」

 若い女性工芸家志望の女性が語る。「いいいじゅー 鹿児島・村上市」で、番組むすびを前に。
 新たに加わった二人の移住工芸家を追って、舞台は新潟県村上市に。
 江戸時代から続く伝統工業が「村上木彫堆朱」などのブランドを。
 新潟県文化財や国の伝統的工芸品の指定をうけているそうで。

 ネットには「長きにわたり、伝統と技法を守り続けてきた」と誇らしげ。
 「村上市 伝統工芸 モノだけ 生産者だけ」の検索語で開いたページは「職人の爪のあいだ」。
 なかに「“デザイナー”という存在が定着してくるに連れて、職人の発想力が無くなってきている気がしてるんです」と。
 「自分から発想していないんですね」、とも。
 「昔は職人さんたちが年に一度、問屋さんに新作を見せに来たっていう。『こんなん作ってみた!どうやっ!!売ってくれんか?』て」。

 本邦の「モノ造り力量」の劣化、製造過程チェック能力の低下、リコール要求多発。
 傾聴しておくべき至言ではないでしょうか。
 「モノだけ残る、生産者だけ残る」。「それは全然別物」。「(その理由は)死んだ文化と、生きている文化ほどの違い」。

 家具建具。残る作品に<いのち>を読めとれる人がすくなくなっていないか。
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不動への憧れ、不動=山・岩・石、不変=巨樹・巨木超える石 石仏はなぜ彫られ 刻まれた250917
 不動への憧れ、不動=山・岩・石、不変=巨樹・巨木超える石 石仏はなぜ彫られ
刻まれた250917

 路傍の石仏。人びとはなぜ、石仏を彫り、刻み、安置してきたのだろうか。
 《不動を求めるアニミズム》《不動と言えば神様の住む山・岩・石が良い》《巨樹・巨木より、さらに永遠性のある石》。
 墓や碑文にも、同じ考えがあてはまるので、あろうか。

 そこの所を、民俗学者の神崎武宜氏が「悠久の祈り 石仏 美の壺 File610」で示していた。
 「ずっと古い時代、人々は『自然界の至るところに神がいる』というアミニズムと呼ばれる信仰をもっていました」。
 「神様が寄り付くところ、神様が住んでいるところは不動のものがいい」
 「不動のものというと山、日本には山の信仰があります」。

 2022年7月から「遊ぶ、まねぶ・学ぶ、褒める」の語尾を拾い、「釧路北大通をぶぶる 1st ―17th」を開いてもらっている。
 趣旨は「文学作品の舞台を名所化する地域教育プログラム」。
 春採湖畔を題材にすること3度、うち2度は現地探索。

 カリキュラム設定の思想には、「なぜ、石仏は造られてきたのか」。文化の根源に迫る思想もたずねてみたい。
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育っていない<着床力、開発力、提案力> 南紀&伊勢の「さんますし」 北九州の家庭で自家製
 育っていない<着床力、開発力、提案力> 南紀&伊勢の「さんますし」 北九州の家庭で自家製

 はるばる北九州にお住いのお方から「採れたてサンマ」の話題をいただき。
 産地を自認し、産品にブランド化を被せている地域が、<採れたてを、ただ、送るのみ>に、大いなる冷や汗。
 「南紀に旅した時に、新宮の駅前で初めて」口にされた、と。ご自宅で手製を「以来、時々作っています」。

 1)新宮では頭付きでしたが、私は頭を落とし、
 2)腸を出して腹側の小骨をこそげとり、全体に塩をふり四五時間置く。
 3)水洗いして塩を落とし、甘酢に浸けておく。
 4)後はサバ寿司と変わらずです。一度作ってみませんか?。

 まずは「さんま寿司」のキーワードで、ネット検索。
 「さんま寿司 和歌山県」とか「さんま寿司 三重」の項目が目白押し。
 5)まずはその一つ、農林水産省のページに「うちの郷土料理」=「さんまずし 和歌山県」が(掲載写真)。

 負けじと「さんま寿司 三重」は「三重県紀北町 さんま寿司」「さば寿司」。
 あわせてレシピも掲示。注目は、これらをうけて家庭用に暮らしに溶け込ませる姿。
 <本州人の器用さ>を痛感。<なにごとも官にお任せの北海道>では、育っていない<着床力、開発力、提案力>。
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価値観変化&支持力欠落 「時を越え なお青 藍染め 美の壺File618」nhkETV250915
 価値観変化&支持力欠落 「時を越え なお青 藍染め 美の壺File618」nhkETV250915

宮城県栗原市。正藍染め職人は往時の20軒から、今や一軒に。明治に化学染料がもたらされ、マーケットは瞬時に縮小。
 天然=「気温の高くなる一時期、発酵がうまくすすまぬと色が出ない」「3年も色のでなかったことが、ある」。
 「天然」「正藍染め」の切り口で、美の壺その一は 「受け継がれ守られてきた色と柄」。

 マーケットの縮小は染色技法の高度化と深化で切り抜ける道が一つ。
 「(先祖から)言われてきたとおりに施しても色が出ない」「日本人がもっている技術の結晶」。
 「ぼかし模様」で染め上げる「天然=Onli One」を切り口に、美の壺その二は「深く青く美しき日本の色」。

 マーケットの縮小は染色される材質の開拓で、素材の機能性を高め、素材の有効活用をめざす。
 建築用製材としては利用できない材質を巧みに生地や木目を揃え、藍染で付加価値を高める領域で存在感を示す。
 美の壺その三は「主役を引きたてる名脇役」。

 その製品というより、作品。フトコロから浄財を取り出して投資する根源。
 現代人をとりまく<見てくれの繁栄>と、気がつくに<精神的貧困>は、ためらわずに<投資を控える>のかも。
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津波伝説に神事祭祀型&信憑属性 アイヌ民族口承伝承の担保250910
 津波伝説に神事祭祀型&信憑属性 アイヌ民族口承伝承の担保250910
 江戸時代のクスリ場所に5地点に津波の口承伝説、2地点に同一の津波関連地名が残る。
 末尾の記載に注目。

 ①オプタテシケヌプリ=屈斜路湖の北にある藻琴山と南のオプタテシケヌプリ間の伝承
 「そこへ避難していた附近のアイヌは助かったので、それ以来非常に尊い山として尊敬され、祭りの時には必ずこの山に酒をあげることになった」
       (釧路屈斜路 弟子カムイヤ老伝 更科 一九五五年 二八二-二八三p)

 ②虹別の一本木=野付海峡に流出の西別川上流部。
 「この土地をシュネニウシ(一本木のあるところ)といって催事には酒をあげるようになった」(標茶町虹別 前田千太郎伝 
        更科源蔵『北海道伝説集・アイヌ編』(楡書房 一九五五年 二八七p)

 ⑦コイトイ沼の神岩=茶路川と庶路川の間に「コイトイ」
「住民は喜ぶも婆さんの姿は見えなくなり、気がつくと沼の奥に大岩が立っていた。占いの婆が岩に変じたのだと住民はイナウ=木幣をあげ『神岩』と呼んだ」。
 (庶路・神の沢、芦名ヨシの話、佐藤直太郎『続佐藤直太郎郷土研究論文集」 釧路市 一九六八年 四六p)

 ①にある「祭りの時には必ずこの山に酒=献酒」、②「催事には酒をあげる=同」、⑦「住民はイナウ=木幣をあげ(神事祭祀)『神岩』(神体化)と呼んだ。
 ①、②、⑦を「神事祭祀型」と区分しておく。
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釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』
  釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』

 越後国新潟と釧路の結節は深い。
 農業・漁業・商業・宮大工など技術者。
 特に農業業の移住が基礎になって、商業、船大工・宮大工の技術者が渡道した。
 そのシンボルが、見出しにある「川崎船」。

 沖合4-5里=16-20キロメートル先を後場に、水深200メートルに達する大陸棚をめざし操業した。
 通年生息するタラ、カレイ、おひょうなど付加価値の高い惣菜魚種を対象とする漁業。
 船底を斜めにして水切りが良く、側板の高い大型船で積載容量を高め、風邪を帆にうけて操船する風帆船。

 明治20年ころから越後漁業者が釧路に持ち込んで操業する。
 明治30年代、船大工技術者が移転して操業地の海況にあわせ建造する故に「改良型川崎」の名が。
 初代・平岩初太郎、二代目・平岩一、三代目にして木造船建造に終止符。プラスチック船建造に切り替えた二代目弟一家が、桂恋で造船する。

 「川崎船」。「川崎」の由来。
 長く北見俊夫氏が『海事史研究』No10に記載の、越後国国府=現在の柏崎市の地先にある川崎で発祥としてきたとおもう。
 昨今は福井市川崎を発祥地とする説がネットで流布。その根拠、筆者は承知していない。
 紹介の記事は2000年4月22日に『新潟日報』に掲載。先立ち遠藤孝夫・論説委員を取材案内したのだが。
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50歳代主婦「工夫があれば人は集まる」 地域振興=やはり着想力、開発力、投資力か―ポツンと一軒家 250907HTB―
​​ 50歳代主婦「工夫があれば人は集まる」 地域振興=やはり着想力、開発力、投資力か―ポツンと一軒家 250907HTB―

 番組の終盤。ディレクターに「この学校、今後、どのようにするツマリ?」。
 声を求められた主婦は答えた。「工夫があれば人は集まる」。
 夫は信楽焼大型陶器の工房を廃校となった校舎1Fで開く。2FはCafeで妻が、地元野菜を13種の手料理でもてなす。

 「野菜は煮て食べるが、ほかにも調理方法がある」。そこはインド調理法をはじめとする多国籍料理。
 週に三日ほどの開業で、多い時で日に40人ほど。大半が女性で男性は、女性に連行されての来客がほとんど。
 「茨城から来ました、所要時間は5時間半、来た甲斐がありました、良かったです」。

 円形屋根のこじんまりとした小学校は、廃止になった。昭和32年かに開校、62年ほどの歴史であった、と。
 番組案内「陶芸のアトリエと地産食材を使ったカフェも開き、楽しみながら地域を盛り上げているご夫婦の暮らしぶり」。

 「工夫があれば」。そこに注目。なんと言っても地域おこしは、住民の含み資産。
 その源泉は、着想力、開発力、創造力、そして投資力。そうではないか。
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「山本太吉が伝えた津波伝説」 釧路アイヌ文化懇話会435th  by  佐藤宥紹(城山モシリア学コミッション)
(日時・場所) 9月13日(土)13時~15時 (釧路市中央図書館7階学習室)
(講師)佐藤 宥紹 氏 (城山モシリア学調査会 調査役)

(内容)世紀変わり、アイヌ民族社会の口承伝説に、新しい角度とあらたな評価が示されています。特に津波伝説は、地質学者が地層構造を調べたボーリング調査結果に照らし、蓋然(がいぜん)性を確認した事例が報告されました。
 蓋然性とは、ある事が実際に起こるか否かの確実さを意味し、確率とも置き換えることができます。結果、本道各地に継承され、1940年前後に収集された伝承記録が活かされており、山本太吉エカシ談「津波と春採湖」はその代表例の一つです。字数で170字ほどの記録でも、示す意味と意義は多用です。
 1)評価される要因、2)伝承として継承された意味、3)今日どのように活か
されることが大切なのか、その意義を考察してみては。そう考え、担当させていただきます。
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「心柱に仏舎利が納められていた、それお墓では」「お墓ならばいつまでも・・・」 薬師寺東塔心柱240904nhk
「心柱に仏舎利が納められていた、それってお墓ではないですか」「お墓ならばいつまでも・・・」240904「かぐわしき癒やしの木 ひのき」<美の壺 File614>nhkBS4k

 奈良 薬師寺東棟の修復工事で担当の宮大工棟梁は述べる。
 「心柱に仏舎利が納められていた、それってお墓ではないですか」
 「お墓ならばいつまでも、なんとしても、そのまま残さねば」。

 心柱根元の修復には、ひのきの接続方法が選ばれた。破損部分を丁寧に削り取る。
 削り取った柱と同型に刻んだ柱を接続。伝統の親柱を巧みに活かした。
 その放送=「かぐわしき癒やしの木 ひのき」<美の壺 File614>に注目。

 そんな方が実は少なくなかったらしい。
 掲載下図。丁寧にもその手順に矢印を付して、工程がつぶさに理解できる紹介をおこなっている。
 先んじて、長く活用される「ひのき材」の特性。棟梁は、いみじくも。

 「やまから切って下してくると その木の命は そこでいっぺん終わる」
 「終っているが そのままの状態で生き続けている」
 「決して死んではいない」。

 注目したい。あらたな命を与え、その価値を巧みに保存している。
 「心柱に仏舎利が納められていた、それってお墓ではないですか」「お墓ならばいつまでも・・・」 薬師寺東塔心柱240904nhk
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2.起 北の地上戦=樺太占領、警察官も追われる手配者に250624北海道教育大学
2.起 北の地上戦=樺太占領、警察官も追われる手配者に250624北海道教育大学

ポツダム宣言受託を前に、ソ連軍が侵攻を始めた樺太では<国民疎開>が話題となる。
 しかし巡査長拝命の身とその家族にとっては、自身と家族の安全以前に、住民誘導が先決。
 14日、憲兵の役割りを背負う著者の佐々木武四郎巡査長は、大泊警察署へ派遣される。

 が、朝出頭するに、<正午重大発表、すぐに所轄署に戻れ>と命じられる。
 帰還するに残っていたものは書類焼却の準備。放送、焼却開始。
 一方、ソ連軍の侵攻は速度を速め、8月9日から2週間で樺太在住40万人中、4000人の死者を出す。
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