釧路の表情 形成 本”の街『くしろ写真帳』はじめに 幣舞公園―1― by 佐藤宥紹
 釧路の表情 三大基幹産業 “創る本”のマチ 『くしろ写真帳』はじめに 幣舞公園から見える表情 ―1― by 佐藤宥紹210629

 ―日本三大名都論―
 1965年、石川早稲田大学工学部教授(当時)は釧路市の幣舞丘陵に立つ。
 眼下に釧路川と幣舞橋、北大通を軸に東西に広がる都市形態、中葉に釧路湿原が広がり、遠く阿寒の麗峰がくっきりとのぞめる。盛岡市、松江市とならぶ景観であると、このマチに名都のたたずまいを読みとった。
 本市は屈斜路湖に源流部をもつ釧路川の河口に成立した都市。釧路川は釧路湿原東縁部を流れる。1920年までこの川に阿寒湖から流れ出る阿寒川が合流していた。この点を知る市民は希少となり、本市が日本三大名都論の対象地と知る市民はさらに少ない。
「日本三大名都」。それは二十万都市を標榜した「釧路市の表情」とするにふさわしいと、筆者は受けとめてきた。

 ―表情形成の三大基幹産業―「
 1858年、松浦武四郎は、肥前・鍋島家の家臣に書簡を贈った。「(釧路は)豊饒の地たる一大河川」「有司に伝えよ、貴藩こそ開拓の出願を」。訳するに「資源豊富、河川水系で搬出に好都合の地」と読める。この献策は1980年までの釧路地域の開発軸、開発の思想となった。
 「三大基幹産業」としてきた水産・石炭・製紙業の蓄積。それは「釧路市の表情」を形成してきた経済機能と位置づける。

 ―出版文化の伝統=「日本三大名都」の「意味と価値」
1956年、原田康子著『挽歌』がベストセラーとなり、女流文学賞を受賞した。小説『挽歌』が世に出た前後。
「前」に同人誌『北海文学』が発行されている。市立釧路図書館は『読書人』を毎月、『釧路市立郷土博物館新聞』が隔月に刊行されていた。地域の有識者はこぞって各誌に投稿する。
「後」の時期、三誌に掲載した作品・論考をベースに釧路叢書が発行され、原田の作家としての成長に励まされるかのごとく桜木紫乃が続く。このマチの地方出版事業は「すそ野」を広げてきたのである。
本書は二つの製紙工場を有するマチから世に問われる。