息子がちいさかった頃の話
早生まれの息子は 3歳か、それくらいで幼稚園の年少さんに
なった。
毎朝 わたしと手をつなぎ、バスに乗り、幼稚園へ通った。
ある日、お迎えの時間に 見た光景。
おとなしく 性格も穏やかな息子が、なんと、
園のトイレの戸口を 足で激しく蹴っていたのだ。
わたしは 慌てた。。
「いったい なにがあったのだろう。。」と
不安に駆られて、 園長先生の奥様である方に伺った。
(「わたしの育て方が悪いんだろうか」)
そんな風にも思ってしまったのだ。
奥様は 静かにわたしにこう仰った。
「おかあさま。 たとえ 親子であっても お子さんには
お子さんの人生があるのですよ。」
(つまりは 彼=息子が なぜ そんな行動をとったのか
その「すべて」をしることは たとえ 親のわたしでも
完全には無理なのだということ。。)
そんなことを 仰りたかったのだと 思う。
ずいぶん昔の話なので、いま こうして文に書いてみると
うまく言い表せないのだが、
たしかに わたしは 一人っ子だった「息子」のすべてを
知っていたい、母親であるならば そうすべき、という
観念があったように思う。
そうして また 自分自身が男のきょうだいを持たなかったせいで
男の子、と いうものをよくわかっていなかった。
ちょっとした動作が わたしには ものすごい「乱暴もの」に
思えたのだった。