ソウゾウリョク
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    「 ラジオ放送を聴くことは
      家族や 学校から離れて
      自分にとって初めての社会関係を
      自分で作り出すことだと思う

      放送とともに成長し 行動し
      ある時は 放送を切り離して行動する
      そういう意味で すごく気軽なメディアだった

      ラジオは質問しないし 人を追い詰めたりしない
      他人の考えというものを教えてくれたし
      テレビよりもずっとつき合いやすかった

      ラジオはイメージを送ってこないから
      自己集中ができる

      テレビは 光を放つから
      暗闇で機能することはない 」


      = ロジャー・ウォーターズ




      ■




      《 ラジオはイメージを送ってこない 》


       それゆえ

       電波の受け手 聴き手の側は

       ふゆうしている ヌァニを

       自由に汲み取って

       己の内裡で イメージを 結ぶことになる


       現在

       拙者は 時折 TVドラマを

       ラジオで 聴取しているのだが


       そこでは


       たとえば

       アリー・マクビール

       いこーる 若村麻由美さま〈の声〉であり

       キャリスタ・フロックハートの身体は 不在する



       また


       音はすれども

       木戸をあける お染の 右手の甲は送られてこない


       その しなやかな 立居振舞も

       抑制の効いた たちまわりも


       記憶と その応用による想像とで

       醸成していく必要があるのだ


       *


       音が喚起する モノ コト



       聴き手の ソウゾウリョク が

       かたちを 統べるのである




       ●



       ちなみに


       ラジオで 講義を聴くことと

       学習センターへ行き テープで

       〈あるいは 自宅で

        オンエアー・チェックをした テープで〉

       講義を 繰り返し

       とめたり もどしたり 任意に操作して

       聴くこととでは

       講義は ちがったものとして 現前する


       一期一会の 立ち合いとして

       オンエアーに臨む くぁ


       咀嚼 反芻する 干草として

       素材としての講義を ものにする くぁ


       ここでもまた

       利用者の ソウゾウリョクが キイになってくる



       むぁっ もっとも

       いづれにしても たいせつなのは

       学習者の 自律的な

       予習 復習 でござるぐぁ ぬぉ〜 ・・・



       ■



       さて


       ♪. Get Back to Radio / Roger Waters 


       − を 聴きながら


       ソウゾウリョクを 鍛える ことにしやう
































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