鮎とふうせんかずら
父が その約束を憶えているかはわからなかった。
けれど わたしは 自分で自分へした「約束」は
必ず 果たしたいと こころに決めていた。

昔 6月に「鮎の解禁」の日が 近づくと、釣り道具を
扱っている わが家はとりわけ 訪れるひとで 賑わった。

父は 長年の銀行勤めの後、胃潰瘍を手術したことを契機に
子供の頃から好きだった釣りを商売にすることを 40歳代で始めた。
多摩川に近いその場所で 新たに始められた店は
社交好きな母の働きもあって、次第に お客を増やしていった。
父は 釣具を売るだけでなく、初心者へは 丁寧に釣りの
やり方を教え、仕掛けや餌などにも 工夫を凝らした。
多摩川で釣れる大物といえば 鯉である。
全長50cmの大きな鯉を 飛び跳ねぬよう風呂敷に包んで
斜めがけして お客と家に帰ってきた父の姿を、よく
わたしは 覚えている。
母はよくこぼしたものだ。「釣りにばっかりいって。」
店には 多摩川へレジャーでいく家族連れが 必要とするもの
すべてがあった。
パン・牛乳・菓子・缶詰・日用品。。
真っ赤なコカ・コーラの看板と自動販売機。
そのロゴをいれたベンチに、カチューシャをして座っているのは
まだ小学生だった わたしである。


     
               「平成十六夜日記」