しあわせな暮らし
自分の周りで突然なにかが変わる。
天災や自然災害であったり、家族の病気や死。。
きのうまで当たり前のように続いていた
「いつもの習慣」が ぴたっとそこで途切れてしまう。
誰もが そんな事態にうろたえてしまうことと
思います。

先日の夜 NHK番組で 広島へ原爆を投下され
亡くなったある女生徒の「日記」を 当時の彼女の
親友だった女性の話を交え ドラマ仕立てで紹介する
番組がありました。
御覧になった方もいるかもしれません。
古びた紙の縦書きの日記帳に 女生徒らは 毎日
たわいもない学校や家族のこと 友人のことを
綴っていました。
授業での先生のユーモアにみんなで笑ったこと。
友人と仲たがいし、しばらくして仲直りしたこと。
禁止されている近隣の男子学校の生徒と すれちがい
ほのかな感情が しだいに芽生えていった日のこと。

わたしが印象に残ったのは、
亡くなった女生徒が、その男子生徒に 草原を隔てて
「手旗信号」で じぶんの名前を伝えるシーンです。

旗はないものの、手作りの夏の制服から両手を
いっぱいに使い、
女生徒「これから 信号をおくります」
男子生徒「信号 受けます」
女生徒「わ た し は ○ ○ ○ ○ ○ ○ です。」
男子生徒(声で)「○○○○○○○○さんって いうんだ!」

わたしは 伝えきったときの 女生徒の
清々しい顔を
切なく 感動をもって TV画面をみつめていました。
涙は出ませんでした。
8月6日の朝。
生き残った 親友の女生徒は 偶然「盲腸の術後」で
家で休んでいたため、学校での被爆をのがれたのです。
前日まで 明るく綴られた日記帳。
ほとんどは 焼けてしまったもののなかの何冊かが
こうして わたしたちへ 「あの日の出来事」を
熱く、忠実に伝えてくれているのです。
痛ましい、胸に押し迫る事実のストーリーでしたが
観てよかった、と 思えた番組でした。

  

編集 十六夜 : そうですね (微笑  なんというか。。観るとわかるのだけれど、当時の男女の距離 (それは社会通念?モラルとして。。) そのぶん どうしても「伝えたい」きもち からだいっぱいに彼女が手旗信号で表現してて。。胸がいっぱいになったんです。 
編集 しん : 手旗信号が、今や携帯電話・メールです。   でも、現実に、もしも、、、焼け野原になったときは「手旗信号」が必要なんですよね。